私はよくこのブログで、書評のような感想文のような、得体の知れないものを書いています。*1
そんな中で先日、内田樹の『村上春樹にご用心』を読んでいる途中で、書評に関して「おお、これだ!」と思う表現に出会いました。孫引きになりますが、ちょっと引用してみます。村上春樹の文章です。
筋をずらずらと書いてしまう書評って困ったものですね。とくに結末まで書いてしまうというのは問題があります。(……)一般論で言って、書評というのは人々の食欲をそそるものであるべきだと、僕は思うんです。たとえそれが否定的なものであったとしても、「ここまでひどく言われるのならどんなものだかちょっと読んでみよう」くらい思わせるものであってほしい。それが書評家の芸ではないでしょうか。
書評のゴールはどこにある?
私自身たいした書評が書けるわけではないので、「書評の書き方とは!」なんて教えられる身分では決してありません。ただ、上の村上春樹の文章を読んで、ピンと来たことがありました。それは、「自分の書く書評のゴールはどこにあるのか」ということを意識してみると、納得のいく文章が書けるのではないかということです。これから書評に挑戦してみたいという人も、すでにたくさん書評を書いてきたという人も、自分の書評のあるべき姿を一度考えてみるといいのではないかと思うんです。
ちなみに私は、この「書評とは、食欲をそそるものであるべき」という考えにものすごく共感し、「おお、これだ!」と思いました。
私がなぜ書評のような感想文のようなものをこのブログで書いているかを改めて考えてみると、もちろん「この本面白いよ、おすすめだよ、読んでみて!」ということを、PCやスマホの画面の向こうにいる誰かさんに伝えたいからですなんですよね。だとすると、私の書評のゴールは読んでいる人に「この本面白そう」と思わせることであり、さらにいえばその人をAmazonなり書店なり図書館なりに向かわせることであるわけです。
もちろん、いろいろな種類の書評があっていいはずなので、上の文章で村上春樹がいっている「一般論で言って」という部分は少々疑問です。物語の「筋」を知りたくて、とにかく筋が書いてある書評を探している人もいるかもしれないし、原典を全部読むのは面倒なので、内容をわかりやすくまとめてある書評を読みたい人もいるかもしれない。そこはケース・バイ・ケースです。
でも、どんな種類の書評であっても、誰に読んでほしいのか、読んだ人にどう思ってほしいのか、そこを意識すると、上手くいきやすいのではないかなーと思いました。あくまで書いている自分のなかでは、という話ではありますが。
自分用の備忘録として書くという人は、想定する読者は「未来の自分」ですよね。だから、未来の自分にどこをどう覚えていてほしいのかを意識して書く。読者に全体の内容をわかりやすく伝えたいという人は、目次をチェックしながら図とかも交えながら書く、とか。
私の場合は、とにかくゴールは「この本面白そう」と読んでいる人の“食欲をそそる”ことにあるので、私の書評自体への感想は「いってることが支離滅裂でわけわからん」でも「全面的に同意できない」でも「こいつはバカだ」でもいいわけです。書評自体への評価がズタボロでも、「だけど、ここで紹介されているこの本は、ちょっと面白そう」と思わせることができれば、私のなかにおける書評は成功です。逆に、私の書評自体への感想が「わかりやすいし、面白いわ!」と高評価であったとしても、その本自体に興味を持ってもらえなかったら、私のなかにおける書評は失敗です。
これまで書いてきた書評系エントリも、私は無意識に「いかにしてブログを読んでくれた人にその本を手にとってもらうか」という、その一点のみを考えて書いてきたのですが、これからはますますそういう方向で書評を書いていこう、と思いました。ありがとう村上さん。
私が書評を書くときに気にしていること
世の中には、いろいろな種類の書評があります。ただ、やっぱり数として一番多いのは、私と同じように「この本面白いよ、おすすめだよ、読んでみて!」ということを伝えたい書評のような気がするんですよね。そしてそういうタイプの書評は決まった書き方がないというか、決まった書き方をしてしまうとつまらないし本への興味を持ってもらえないというか。とにかく、一番書きたいのに一番書きにくいタイプの書評なのではないかと思うんです。特に、小説やエッセイなどの本を紹介する書評は難しい。
どんな本について書くときでも、基本的にはそのときそのときで感情の赴くまま勢いで書くのが一番楽しいし、本自体への興味も持ってもらいやすいのではと私は考えています。
以下の3つは私が書評系エントリを書くときにいつも何となーく念頭においていることですが、あくまでサンプルの1つでしかありません。また、小説系と新書やビジネス書系の書評は書き方が全然ちがってくるはずなので、後者のほうの書評を書きたいという方にはあまり参考にならないと思います。
他の人はどんなことを考えながら書いているのか、気になるところです。
1・あらすじは極力書かない
村上春樹も上の文章でいっていますが、あらすじを書くのは必要最低限にとどめたほうが面白い書評が書ける気がします。それよりは、自分が感動した部分とか、登場人物のここが好き! とか、とにかく自分の心が大きく動いた部分について書いたほうが楽しい。あらすじや物語の設定は、その感動を伝えるためにどうしても説明せざるを得ないときだけ書く、というふうに私はしています。
2・自分の体験を交えて書く
本の内容だけについて書くのではなく、「そういえばこの前友だちが主人公と同じようなことをいっていて〜」とか、「私はこれを早朝からコーヒーを飲みながら読んだんですけど〜」とか、何でもいいので自分の体験を交えて書くようにしています。自分とその本がどうリンクしているのかを書くと、内容にグッと厚みが出るというか、書評の説得力が増す気がします。
3・作品論より作家論のほうが書きやすくないか?
これは完全に私のみのやり方というか、他の方にはまったく参考にしてもらえないのではないかと思うのですが、私は実は1冊だけ読んで書評を書く、というのが苦手です。特に小説の場合だと、作家って手を替え品を替え設定を替えながらも、結局どの本でも同じテーマについて追求していることが多いんですよね。村上春樹だったら「この世には意味もなく邪悪なものが存在する」とか、フランツ・カフカだったら「不条理」とか。ビジネス系の本でも、ちきりん氏だったら「自分のアタマで考えよう」とか。
1冊だけ読んでも「この人は何をいいたいんだろう?」っていうのが見えてこなくて、私は書きにくいんです。何冊か同じ作家の本を読むと初めて、「あ〜、この人はこういう感覚のなかで生きている人なのね」っていうのがしっくり来て、作品がより立体的に見えてきます。そうすると、書評も圧倒的に書きやすくなるんですよ。何冊も本を読まなければならないので手間も時間もかかりますが、書きやすさでいったら作品論より作家論だよな、と私は思っています。『ノルウェイの森について』よりも『村上春樹におけるノルウェイの森』のほうが書きやすい。作家論て書いたことないなー、という人は1度お試しあれ。
おすすめして何がしたいのか
ここからは、「書評の書き方」からはちょっと脱線するのですが、人はなぜ本なり映画なり、自分の触れた作品について人に紹介したくなってしまうのでしょう。「おすすめ」系のエントリを書いたことがある人、考えたことはありますか?
これはやっぱり、「共感」を得たいから、ですよね。「私とあなたは全然ちがう人間かもしれないけれど、同じ物語で感動できたということは、少なくともその部分だけは共有しているよね」っていうのを、バラまいていきたいのだと思います。
私は今、西村賢太についてのエントリを書きたくて彼の本を読んでいる途中なのですが、この人は大正期の小説家・藤澤清造にものすごく傾倒しています。藤沢清造の物語がいかに西村賢太を救い、生きる希望をあたえてきたかは、想像に難くありません。「物語」っていうものには、根本的にそういう作用があります。「誰かが自分と同じことを思ってくれている」というのは、とっても救いになるんですよ。
自分がなぜおすすめしたいのか、その物語の何に惹かれたのか。直接関係のないことまでいろいろ考え込みながら書いていくと、書評の楽しみというのはより一層深まります。
★★★
本当はもっとガッツリとした「書評の書き方!」って感じの方法論を書ければよかったのですが、私もいつもふわふわっとその場の勢いで書いているので、無理でした。
ただ1つ私がいえるのは、愛があればたぶん伝わるよ、ということです。作品への愛、どこかで読んでくれている誰かさんへの愛。博愛主義者になると、おいしい書評が書けるかもしれません。
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