ぼくらのクローゼットさんへの寄稿記事が公開されました。「おじさんとは何か」、というテーマで書いています。
ぼくらのクローゼットさんは、大人の男性向けのサイトらしいんですね。でもこれ、最初に記事を書くとき、ちょっと困ったんです。私は現在20代後半の女性なのですが、自分より年齢も、おそらく社会的地位も上の、それも男性に、いったい自分が何を書くんだと。最終的に自分のなかでつけた落としどころは、「一緒に年齢を重ねていく仲間」として、目上の男性というよりは「ちょっとお兄さんの友だち」にしゃべるくらいのテンションで、書くことにしました。「……って私は思ったんだけど、あなたはどう?」っていう、ここはいつものブログのエントリと同じですね。
ところで、みんな年ってとりたくないものなんですかね。私は、少なくとも現時点では、年とるの楽しいんですよね。というのも、私は小学生のときの通信簿でほぼ毎回「とても落ち着いています」みたいなことを書かれていたほどの妙な落ち着きがあるのと、あとは老け顔のせいで、中学生のときは大学生に間違われていたりしたんですね。なんというか、ずっと、自分の実年齢と中身の年齢が合っていないような感覚があって、見た目は+5歳、頭脳は実年齢*1、精神も+5歳、その名は……みたいな、変な名探偵のような気持ちでいたのです。
だけど20代後半になって、ようやく実年齢が中身の年齢に追いついてきたというか、最近は「落ち着いてるね……(引き気味)」ってあまりいわれなくなったので、嬉しいです。昔はほんと、どこに行っても「落ち着いてる」「達観してる」みたいなこといわれて、嫌だったなあ。まあそんな背景があり、私は少なくとも、20代前半の頃より今のほうがずっとずっと生きやすいとかんじます。ほんと、年とって良かったなあって思ってます。
ただ、今後は少し心配な面もあります。40歳くらいになって、「もう自分の人生に大きな変化は起こらない」ということが身に沁みてわかってしまったとき(このあたりはシロクマ先生がお書きになっていますね)、そのとき私は初めて「若さ」のありがたみをかんじるのかもしれません。いずれにせよ、私が通信簿で書かれていた「妙な落ち着き」も、通用するのはアラサーまででしょう。今後はわりとみじめったらしく、ジタバタしながら生きることになるかもしれません。でもなんか、それも楽しそう。大人になった今はいわゆる”通信簿”はありませんが、「チェコ好きさんは、いつも慌ただしく落ち着きがありません。もう少し静かに、目上の人の話を聞きましょう。」とか、書かれてみたかったから、その夢を30年越しにかなえてみるのもいいかもしれません。
人は若くありたいと願うけれど、永遠の若さを手にいれてしまったらそれはすなわち死も同然で、えーと、生きているということは変化するということだから、変化しなくなったら死ぬということです。だから、私はやっぱり永遠の若さはいらないです。肌と体型の劣化にはなんとかして抗いたくもなるけれど、まあそれもほどほどのところで諦めるしかないというか、綱島温泉でたくさんの(80歳くらいの)おばあちゃんのしわしわの裸を見たとき、けっこう気分が明るくなったというか、「どうせ最後はみんなじいちゃんとばあちゃんなんだろ、細けえことはいいじゃねえか」と思いました。温泉いいですよねー、温泉。みんなで安いラーメン食べてカラオケしよう。演歌をうたおう。
人生にはそれぞれのステージに、様々な楽しみが用意されています。こっちにはハイパーヨーヨーがあるんだから、メンコにこだわらなくても、新しいおもちゃも楽しいよって思います。まあメンコで遊びたいなら否定はしないけど、ハイパーヨーヨーはハイパーヨーヨーで良さがあるという話ですね。綱島温泉にいたおばあちゃんは、最新型のハイパーヨーヨーをお持ちであるように私には見えたので、私もその年その年の最新型のおもちゃで遊びたいなあと思うわけです。ただ、難易度は毎年上がりますよね、そんなに気合いれて開発しなくていいよってこっちは思いますけどね。
とりあえず、ずっとメンコで遊んでたら飽きるから、私は人間が「生まれてから徐々に年をとり、いつか死ぬ」っていう仕組みの生き物で良かったなあって思います。
あ、あと最後にひとつ付け加えると、「なるべく苦しまずに、まわりに迷惑かけずにポックリ逝きたいんだよね〜」っていう希望を口にされる方が、特に男性に多いみたいですが、それ統計的に難しいっぽいですよ。世話し世話され亡くなっていくケースが多いようなので、まわりの人への感謝を忘れずに、やわらかに生きていったほうが後々のために良いみたいです。私も「どの口がいってんだ」というかんじなのでアレですが、お互い良い老後をむかえるために、今から一緒にがんばりましょう。
「おじさん」をとおりこして「おじいさん」の話になってしまいました。
*1:頭も+5歳ならよかった