チェコ好きの日記

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【中東の旅/1】自己肯定感を高めたかったらイタリアに行けばいいじゃない

……と、タイトルにあることは半分本気でありつつも半分冗談なんですけど、私は「自己肯定感」という言葉はあまり好きではありません。「またその話かー」と思ってしまうからです。しかし、「またその話かー」となるということは、私を含めた現代の日本の一部の人においては、それだけ重要な言葉でもあるということです。

このエントリを書こうと思った直接のきっかけは下記の記事だったのですが、私はこれを読んで、「もう日本人が自己肯定感低いのは国民性みたいなものだから、いっそ諦めたらどうか」などということを考えました。
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もちろん私は「江戸時代の日本人の各藩における自己肯定感に関するデータ」とかは何も持っていないので、国民性といいきってしまうのも横暴なのかもしれませんが、やっぱりラテン系の人々とはちがうのだよ我々は、と思いました。ロシアの人がいくら「寒いのはいやだ、暖かいのがいい」といったって、もうそこはロシアなんだから無理ですよ。それに、ロシアにはロシアで、死ぬくらい寒くて陰気で暗かったからこそ生まれた文化みたいなものがたぶんあると思んですよね。それはラテン系民族には逆立ちしても作れないものなんだから、じゃあもうそれを大事にしたらいいじゃないと私は思います。比喩のようで比喩じゃないような話です。ちなみに、以下は成田空港→バルセロナ行きの飛行機の乗り換えで寄ったモスクワのシェレメーチエヴォ空港の様子。雪で飛行機が遅れました。ロシアの人は大変です。

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「自己肯定感」という言葉が出てくると、それは得てして「高いほうがいいもの」「高めないといけないもの」のように思われがちですが、自己肯定感が低くても立派な人や素敵な人はいっぱいるし、逆に高いけどちょっと人格破綻してるという人もいるので、自己肯定感が低いこと自体は別に悪いことではありません。確かに自己肯定感が高いと毎日過ごしやすいというか、幸せな日々を送りやすいというメリットはあるかもしれませんが、まあいってみればそれだけのただの「便利な道具」にしか過ぎないわけです。ルンバですよルンバ。うちはルンバはないのですが、あれがあると毎日過ごしやすいだろうし掃除しなくていいから幸せだろうなと思います。うちには貧弱なクイックルワイパーしかありません。ちなみに以下は、バルセロナで空港泊をした後ようやくたどり着いたスペイン・グラナダの街の様子。すっかりヨーロッパ! 陽射しが眩しいです。グラナダはスペインの南のほうにある都市で、典型的な地中海性気候です。

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そもそも、私は最近「幸せになる」「充実した日々を送る」「人生を楽しむ」、そういう目標設定自体が間違っているのでは? と思ってきてしまいました。間違っているというといい過ぎですが、そこを最終的な目標にすべきかどうか再考してみてもいいのでは、とは思います。幸せになりたいと思っている人、それはなぜですか? 充実した日々を送りたいと思っている人、なぜそこに高い価値を見出すのですか? 楽しくなくても、別にいいんじゃないですか? 禅問答のようですが、まさしく人生なんて禅問答ですよ。不幸な日々を送っていても、毎日寝て過ごしていても、それであなたの目標が達成できるなら私は何の問題もないと思います。

自己肯定感が低くて悩んでいるという人がいたら、私は「別にもうそれはそのままでいいんじゃないですか」といいます。もちろん、知人に「あなたが自己肯定感が低いせいで迷惑している」ときっぱりいわれているのだったらなんか考えたほうがいいのかもしれませんが、だいたいは「他人が迷惑している」のではなく「自分が困っている」のでしょうから、他人に迷惑かけてなくて法にも触れてないなら何がどうだって自由ですよ。というか実は、自己肯定感が低いほうがあなたの真の目標が達成しやすかったりするのではないでしょうか。そのほうが逆に効率が良かったりするのではないでしょうか。多少の負荷があったほうが物事が上手く運ぶみたいな話はわりと想定できます。

他人に嫉妬してしまうという人も、別にもうそれはそのままでいいんじゃないですか。私は「嫉妬深い期」と「仙人になったかのようにすべてが風の音に聞こえる期」を繰り返している人なのですが、前者の時期は人間臭くて生きている実感が沸くからけっこういいものだと思っているし、後者は後者で涼やかでいいものだと思っています。どちらの時期も特に人に迷惑はかけてないと思うので、私は私の好きにしています。とかいって、実は迷惑だと思っている人がいたらどうしよう。迷惑な人は「迷惑しています」といってきてください。応じるかは気分で考えます。ちなみに、以下はグラナダにあるアルハンブラ宮殿のなかのヘネラリフェという庭園です。アルハンブラ宮殿は、イスラム建築最高峰ともいわれている大変美しい建築です。スペインのあるイベリア半島には、711年〜1492年の間、イスラム王朝が進出していました。

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ヨーロッパ 夢の町を歩く』というエッセイに載っていた写真と見比べてみると、左側にあった糸杉がごっそりなくなっています。枯れちゃったのか、よく考えたら邪魔だと思われて切られちゃったのか。糸杉はゴッホの絵画などに登場することがありますが、ヨーロッパでは墓地に埋められることが多くて、「死」を象徴する樹なのだそうです。だけど、常緑針葉樹であり冬にも葉が落ちないことから「不死」の意味を持った樹でもあって、墓地によく埋められているのは、「永生」への願いが込められているからなのだそうです。

糸杉の持つ意味が「永生」からやがて「死」へと変わっていってしまったように、何かを守るために、何かを願うために、それが自分自身を傷付けてしまっているということもあるのかもしれません。だけど、やっぱりそれはそれで別にいいんじゃないですか。「死」とか「永生」とかって意味があるということは前述したエッセイのなかで初めて知ったのですが、私は糸杉のちょっとさみしげで上品な佇まいがとても好きで、この樹をみるとちょっとホッとします。

あとこれは私の考え方ですが、私は世の中ってやっぱり多様な人間で構成されているべきだと思うのです。世界にいる70億人? 全員が自己肯定感高くなってしまったら、そのとき地球は終わる気がします。だから、自己肯定感高い人も、低い人も世の中にいるべきだと私は思います。70億人いる人間の唯一の共通点は、「いつか必ず死ぬこと」。私たちはそれ以外に何の共通点も持っていません。

自己肯定感が低い人は、「難しいほうを任されちゃってやれやれだぜ」とでも思えばいいでしょう。私も「酒がほぼまったく飲めない」他、様々なトホホ要素を持っている人間ですが、つらいことやいやなことがあったときは、「やれやれだぜ。まあ、並の人間にはこのゲームはハードすぎるからな」とか思っています。自己肯定感の低さというのも、それはそれで社会にとって必要な人間の要素だから、特に急務というわけでなければ、自己肯定感を高めなくても別にいいのではないでしょうか。ただ、「絶対にルンバ買うんじゃねえぞ」という話ではもちろんなくて、ルンバが欲しければルンバを買ってみてもいいのかもしれません。そのルンバの買い方がわからないから困ってるんだという人は、とりあえず「ルンバは所詮ルンバ」と吹っ切るところから始めてみてください。私もルンバは欲しいけど、クイックルワイパーのままでもそこまで困ってないからまあいっかと思って、現状購入予定はありません。でも、ルンバ買った人はみんな買ってよかったっていいますよね〜。自己肯定感が高い人も、みんな高いほうがいいっていうんですよ。まあそりゃそうですよね、だって掃除がラクなんだから。

ちなみに、以下はアルハンブラ宮殿のなかでも最も有名だと思われる、コマレスの塔という場所です。イスラム王朝に政権を奪われたキリスト教国は、イベリア半島を彼らの手から取り返そうと、レコンキスタという再征服活動を700年以上続けます。中世ってヤバイと私がときどき思うのは、ある活動を700年続けるってちょっと意味がわからないなと思うからです。700年ということは、自分が生きて死ぬまでどころかお父さんの時代もおじいちゃんの時代もひいおじいちゃんの時代もレコンキスタやってましたねという生粋のレコンキスタ人もいるわけで、しかも当時は当たり前ですがインターネットのイの字もないから、「世界とはすなわちレコンキスタ」と思って死んでいった人もいると思うんですよね。そんな人と、私は言葉を交わすことができるのだろうか? もし恐山のイタコが生粋のレコンキスタ人を降霊できるというなら、私はぜひ彼と話がしてみたい。「世界とはすなわちレコンキスタ」なあなたから見た世界は、いったいどんなものだったのですか? レコンキスタをやってない世界って想像できますか? 1492年まで続いたんですよコレって報告したら、あなたは「マジで、長っ!」って思うのか、それとも「いや、むしろ終わったんだアレ」って思うのか、どっちでしょう。

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1492年、アルハンブラ宮殿はついに陥落し、グラナダキリスト教国のものになるのですが、当時この街は「ユダヤ人の街」といわれるほどユダヤ人がたくさん住んでいたそうです。だけど、この美しいコマレスの塔の内部で、時の女王はユダヤ教徒追放を命じた書類にサインをしたそうです。その後は、約17万人のユダヤ教徒が国外へ移住、約5万人がキリスト教に改宗、スペインに残り、密告の恐怖に耐えたといいます。

もう一度冒頭の話に戻りますが、自己肯定感が低いあなたがもし日本人だというのなら、それはあなたが悪いわけじゃなくて、ある程度は仕方ないことなのかなと思います。だってここ日本だから。イタリアじゃないから。というと、日本人でも自己肯定感低い人と高い人がいるだろうといわれてしまいそうですが、高い人は何かが優れているわけでも素敵なわけでもなくて、まあ運ですよね。運よくルンバが当たっちゃったのです。ラッキーだったのです。

つまり、今回は結局のところ旅行記だったというオチなのですが、私は全体として何がいいたかったのかというと、自分を構成しているもののすべてを自分がコントロールしていると思わないほうがいいのではということです。我々にコントロールできることなんて本当にちっぽけなもので、どの国に生まれるか、どの時代に生まれるかによって人生なんて全然変わります。もし自己肯定感が低くて悩んでいる人がいたら、もうそれはそのままでいいじゃんと思いますが、それでも! というのなら、自分を構成しているものの外部要因を探って考えたほうが話は早かったりしないですか? 外部要因とは、歴史とか経済とか政治とかです。自己啓発本を読んでみたり、女性ライターのエッセイを読んでみたりするのも悪くはないと思いますが、「これ一向に進まんな」と思ったら飛んで歴史を復習したほうが捗る気がします。ちなみに以下は、ちょっと離れた場所から見たアルハンブラ宮殿の全景です。丘(というかむしろ山)の上に建っているので、歩くとちょっと大変です。

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私は、「世界とはすなわちレコンキスタ」と思って生きて死んでいった人の見ていたものが、上手く想像できません。だって私の世界はレコンキスタじゃないから……だけど、すなわちレコンキスタな世界もレコンキスタでない世界も、どちらも真実でありどちらも虚構です。

自己肯定感の話は今回で終わりますが、旅行記はまだ続きます。

※プロローグ
aniram-czech.hatenablog.com

※次回
aniram-czech.hatenablog.com