チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

「安牌」な女

直近1週間の日記です。

2018.7.13 「裏切り」という行為

私の人生31年、今のところ、誰かに対して「裏切られた」と思ったことが一度もない。


だから、「裏切ったり、裏切られたり」の話をしている人に出会うと、いつも「何の話をしてるんだ?」と思ってしまう。裏切るという言葉が、具体的にどういう行為を指しているのか、よくわからない。借金の保証人になってやったのに逃げられて、家にウシジマくんみたいなのが来るようになっちゃったとか? 


でもどうやら、「裏切ったり、裏切られたり」の話をしている人は、そこまでのことはいってないっぽい。そりゃ、そんなにしょっちゅうウシジマくんが家に来てたら大変だ。友達だと思ってた人に裏で悪口いわれてたとか、そういうことかな。しかしそれでいうと、私、「友達だと思ってた人に裏で悪口いわれてた」も、一度も記憶にないな。


こんなふうに、「辞書的な意味は知ってるけど、体験したことがないので、実際のところどういう意味なのかよくわかってない」みたいな言葉が、私には複数ある。みんなは、そういうの、ないんだろうか?


間が悪い私はいつもタイミングを逃してしまうので、今度「裏切ったり、裏切られたり」の話をしている人がいたら、聞いてみようと思う。

2018.7.14 余計な告げ口

「裏切られた」経験がまったくないのは、もともと、私の他人に対する期待値が尋常じゃなく低いからだろう。というか、人の話を聞くと、「え、みんなそんなこと考えてるの? 私なにも考えてねー、やべえじゃん」と冷や汗ダラダラになる。


それはそれとして、「友達だと思ってた人に裏で悪口いわれてた」が一度もないの、なんでだろうと考えていた。もちろん私の人柄がいいわけではない。でも、この手の話でよくある(?)「そもそも誰のことも友達だと思ってない」も、たぶんちょっとちがう。なんていうか、いわゆる「余計な告げ口」ってやつを、そもそもされたことがないんだよね。「あの人と仲良くしないほうがいいよ」とか、そういうのも一度もいわれたことないな。


特になんの取り柄もない私だけど、たった一つの長所として、「人に嫉妬心を抱かせない」というのがある気がしている。


特に、女性からは昔からあまり嫉妬されない。男性からの嫉妬はたまに買う(恋愛的な意味の嫉妬ではなく、このクソ野郎ブッ殺すぞ的な意味での嫉妬)。「友達だと思ってた人に裏で悪口いわれてた」ことは一度も記憶にないと書いたけど、それは、そんなことをわざわざ私に伝えて落ち込ませる必要がないくらい、私が相手にとって無害な人物だからじゃないかと自己分析している。余計なことをわざわざ伝えてくる人って、やっぱり嫉妬心があると思う。出鼻をくじいてやりたい的な。

2018.7.15 「安牌」な女

ミーハー野郎なので、『バチェラージャパン』はシーズン1も2も観ている。先日、その話を友人にしたらちょっと驚かれた。いやいや、私なんてむっつりスケベ、というかむっつりミーハーの代表格ではないですか?


ところで私、バチェラーに参加することになったら、きっと、他の女の子から「安牌」として扱われるようになると思うんだよね。それで、自分でいうけど、私のすごいところは、「安牌」だと思われても、別になんにも悔しくならないところだ。まあ、バチェラーを「リアル」と受け取るのはいろいろと弊害がある気がするけれど、あれを観ていると、女の子は、他の女の子から「安牌」だと思われるのがすごく嫌なんだな、私全然嫌じゃないけど……と新鮮な気持ちになる。


そういえば世に聞く「マウンティング」も、私は一度も女性にされたことがない。出会った人たちが全員、いい人でオトナだったってのもあるんだろうけど、昨日も書いたように、やっぱり私が、女性の嫉妬心をあまり掻き立てない存在なのだと思う。「私は無害です」というオーラを纏うことにかけては、けっこう自信がある。


……なんて自信満々に書いてみたものの、意外と裏で女性からの嫉妬を買っていたら、面目丸つぶれだ。こういうのは自分ではわからないからなあ。


でも、一応それらを裏付ける証拠もある。少し前に、小学生のときからの親友から、「学生時代、女子はみんな裏で何かと悪口をいい合っていたけど、そういえばあなたの悪口だけは誰もいってなかったね」と教えてもらった。バチェラーに出たら、私やっぱり、女性陣のなかでけっこう上手く立ち回れるのでは? バチェラーを射止められるかどうかは全然別として。


なんだろ、直接的な意味ではなく、象徴的な意味合いにおいて、「こいつは私の男をとらんやろ」と思われるのが上手いのかな。実際、とらないが。


『バチェラージャパン』を観ていると、そんな自分の「安牌性」に思いを馳せてしまう。「無害な安牌」でいるの、ラクだし、得する面も多いで私は好きなんだけど、あまり魅力的な振る舞い方ではないので、人にはすすめない。


2018.7.16 大きなパーティーと小さなパーティー

グレート・ギャツビー』のなかで、登場人物のジョーダン・ベイカーが「私は大きなパーティーが好き。プライバシーが守られるから。小さなパーティーは何かと目立つでしょ?」みたいなことを言うシーンがある。ジョーダン・ベイカーのこの台詞は、なんだか頭に残っている。


大きなパーティーと小さなパーティー、大半の人は小さなパーティーのほうが好きだと答えそうだ。というか、私も好き嫌いでいったら完全に小さなパーティーのほうが好きだけど、「どちらのほうが上手く立ち回れるか」という得意不得意の観点から考えると、大きなパーティーでの振る舞い方のほうが得意かもしれない。大きなパーティーってのは、とにかく目立たなければいいのだ。それは自分の主張を押し殺せということじゃなくて、「必要のないことをわざわざいわない」だけでいい。大切なことほどこっそり隠し持っておくのが、大きなパーティーでの上手なやり方だ。


ただまあ、大きなパーティーに出る機会というのは大人になるにつれ減る一方なので、小さなパーティーでの身の振り方をそろそろちゃんと考えないといけない。

2018.7.17 ホストクラブで男に負ける

これはちょっとした思考実験なんだけど、たとえばある日突然、「私たち、身体が、入れ替わってる〜〜!?」的な事態が私やあなたに起きてしまい、男性は女性に、女性は男性になってしまったとして。その状態で夜のお店で働いたりしたら、はたしてどうなるんだろう的なことを考えていた。


たとえば私は女性なので、「私たち、身体が(略)」的な事態を迎えると男になるわけだけど、その状態でホストクラブで働くことになっても(つまり、ヘテロセクシャルの女の人向けの商売をすることになっても)、あまり売れっ子になれる自信がない。女性だから、女心はわかっているはずなのに、余裕でそのへんの男に負ける自信がある。ようは、「おもてなし」が下手くそなのだ、私は。


「私たち、身体が(略)」を自由自在に起こせる魔法の箱があったら、たくさんの人を中に突っ込んで性別を入れ替えて、夜のお店で働かせたい。あの子はホストで、あの人はキャバクラで、さあさあ売れっ子になれるかしら? そんな妄想を一日していた。

2018.7.18 もっとも過酷な拷問

身体的な「痛み」がとにかくダメだ。痛いのだけは無理。たまに「ぶくぶくする感じが苦手で……麻酔なしで歯の治療したよ」などという人に出会うけど、まじで、信じられん。私は痛いのだけは無理なので、歯を治療する際は何も考えずに「麻酔で」「あ、麻酔で」「麻酔でお願いしまーす」といっている。


しかし、怖いからこそなのだろうか、中学生のとき、近所の図書館で「世界拷問史」「魔女狩りの歴史」みたいなタイトルの本を夢中で読んでいたな。石があったらひっくり返したくなっちゃうタイプなのだ。石の裏がどうなっているのか、やっぱりものすごく気になるんだもん。


ところで、『マインド・コントロール 増補改訂版 (文春新書)』という本を読んでいる。これまで、拷問といえば肉体的な痛みにのみ注目していて、マインドコントロール的な、内側からじわじわ蝕んでいく系の拷問はそういえばあまり触れてこなかった。肉体的な痛みは問答無用で嫌だが、内側からじわじわ蝕んでいく系もやっぱりヤダ。


かつてソ連で行われていた拷問(という言葉は使われていなくて「監禁」らしいのだけど、これ絶対に拷問だって)は、たった一人で独房に閉じ込めて、外界との接触を一切遮断する。窓のない部屋で、昼夜問わずに電気を付けっ放しにして、時間の感覚を奪う。食事やルーティンワークの時間もバラバラにする。そして、部屋を寒くする。あと、なぜ自分がこの独房に入れられているのか、何をしたら出られるのか、絶対に教えない。そういう「監禁」をすると、人間はだいたい混乱して幻覚を見るようになるという。


肉体的な拷問と、マインドコントロール系の拷問、どっちが嫌かな……なんてことを考えるのに一日の大半を費やしていたら、気が滅入ってしまった。石をひっくり返すのもほどほどにしようと思う。でも、絶対にまたやっちゃうな。


石、ひっくり返したくない?



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