チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

2016年上半期に映画館で観た映画のまとめ/『オマールの壁』など

2016年が半分終わってしまいました。自分用メモも兼ねて私が上半期に映画館で観た映画をまとめます。映画館で観た映画なので、DVDなどでの視聴は含んでいません。全部面白かったので、公開が終わってしまったものもありますが、まだやっているやつもあるので気になるものがあったら観てみてください。

サウルの息子/ネメシュ・ラースロー


「サウルの息子」予告編

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、ユダヤ人である同胞をガス室に送る役割を担っていた特殊部隊「ゾンダーコマンド」の主人公を描いた映画。詳しい感想はSOLOに書いています。

「ゾンダーコマンド」を描いた映画にあなた独自の解釈を加えてみよう | チェコ好き - SOLO

2月後半からイスラエルに向かう旅に出る予定だったので、ユダヤ人を描いた映画があるなら観ておきたい、と思って観たのでした。

光りの墓/アピチャッポン・ウィーラセタクン


『光りの墓』予告編

タイのチェンマイを拠点に活動するアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画。私はアピチャッポンの映画を観るといつも必ず途中で寝てしまいます。この『光りの墓』も例外ではなく、途中は記憶がありません。この人の作品に宿る強烈な睡魔はなんなのでしょう。が、私は大好きなアンドレイ・タルコフスキーの映画も通しで観れたことがあんまりなく、いつも必ずどこかで寝てしまうので、そういうある種の「睡魔系映画」だと思えばいいのかもしれません。タイの軍事政権への批判であるなどという評もあるようですが、途中の話をあまり理解していないのでそのあたりはあまり書けません……。DVDになったら懲りずにまた観ようと思います。

オマールの壁/ハニ・アブ・アサド


第86回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品!映画『オマールの壁』予告編

『オマールの壁』の詳しい感想はブログに書きましたが、今のところこれが私の今年いちばんです。イスラエル占領下のパレスチナ、その境界にある「分離壁」で分断されてしまっているパレスチナ人のラブストーリー。

よくある三角関係の話……にならなかった話、『オマールの壁』 - チェコ好きの日記

この映画を観る約1ヶ月前に、実際に自分の目でパレスチナ分離壁を見てきたことは、やっぱり大きかったように思います。現地でロケやってるんだから当たり前だろという話ではあるのですが、本当に、「ある」んですよ。ああいう場所が。自分の足で歩いたからわかる。だから、主人公が警察から逃げ回ったり、見覚えのある格好の兵士がライフルをぶら下げていたりするのが、私は本当に怖かったです。同じ監督の『パラダイス・ナウ』もそうだったのですが、恐怖で泣きました。感動とかじゃなく、恐怖で。

バンクシー・ダズ・ニューヨーク/クリス・モーカーベル


映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編

これは、映画の感想単体としては書いていませんが旅行記のなかにこっそり紛れ込んでいます。そもそもパレスチナ自治区バンクシーを観たから映画を観に行こうと思ったのであって、これも私のなかでは旅行関係の映画です。

【中東旅行記/7】パレスチナ自治区と、Banksy - チェコ好きの日記

評判はそこそこのようですが、私がこの作品でいちばん感銘を受けたのは、上記のエントリ内でも書いていますが「アートは人を動かすことができる」ということです。動かすというのは、やる気を出させるとか感動させるとかじゃなくて、文字通り「移動させる」って意味で。やる気出すのも感動させるのも結構なことですが、「移動させる」って本当にすごいことだと私は思います。マンハッタン中央部にしかいないような人たちを、治安が悪いブロンクスやブルックリンに、アートを見るために「移動させる」ことができ、そこに経済効果が生まれる。「やる気」とか「感動」よりも「移動」のほうがワンランク上だ、と私は思ってしまいました。

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カルテル・ランド/マシュー・ハイネマン


映画『カルテル・ランド』予告編

メキシコ麻薬戦争のドキュメンタリー映画。麻薬を扱うカルテルと、カルテルの脅威から町を守る自警団がいるのですが、悪のカルテルVS正義の自警団という構図にはまったくなっていません。自警団とカルテルが混ざっていたり、カルテルが政府と癒着していたりと、もうめちゃめちゃです。まさしく善悪の彼岸

aniram-czech.hatenablog.com

丸山ゴンザレスさんを生で見れたので個人的には満足度の高い作品でした。関連本もいろいろ読んでみたいです。

FAKE/森達也


佐村河内騒動のドキュメンタリー/映画『FAKE』特報

最後に、いろいろなところで話題になっている『FAKE』。森達也監督の久々の新作映画ということで、楽しみに観に行きました。人気の理由は、佐村河内さんと新垣さんというテーマがなんだかんだいいつつわかりやすかったからかな? などと考えていますが。

森達也『FAKE』 佐村河内さんと新垣さん - チェコ好きの日記

全然別のところで嬉しかったのは、上記のブログのリンクから、『A』を買ってくださった方が少なくない数でいたこと。『A』は本当にすごくいい本です。

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

下半期に観た映画も12月になったらまとめて、たぶん『オマールの壁』になるとは思いますが、年間ナンバーワンを決めようと思います。『ズートピア』も観に行きたいのですが、ベイマックスと同じ感想を持ってしまいそうでちょっと足踏みしています。

aniram-czech.hatenablog.com

【文章なし】写真で振り返る中東旅行

長々長々と書いてきた中東の旅行記(そう、私は旅行記を書くといつも長い)ですが、最後に思い出深い写真をいくつか貼っておこうと思います。ブログおよびnote未公開写真です。

以下より先は文章ないので、「いつもコイツの話なげぇーんだよな」という方でも安心して先にお進みください。

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aniram-czech.hatenablog.com

〈無計画〉のすばらしさと難しさ/『家族無計画』感想文

紫原明子さんが最近上梓された、『家族無計画』という本を読みました。

家族無計画

家族無計画

どんな内容かというと、実業家の家入一真さんと離婚された紫原さんが、その後の家庭生活のことや離婚前のことなどを綴ったエッセイです。cakesでその一部を読むこともできます。

cakes.mu

ご家族についてのエッセイなので、お子さんを持ったファミリー向けなのかと一瞬思うんですけれども、これは子供がいない夫婦や、独身女性、独身男性であっても、どんな人にとっても興味深く読める本になっている気がします。

というわけで今回は、この『家族無計画』についての感想文を書こうと思います。

〈無計画〉のすばらしさ

前述したとおりこの本は、著者の紫原さんがご自身の家庭について書いているものです。だけど、家庭生活について悩んでいる人だけでなく、働き方について考えたい人であったり、恋愛に悩んでいる人であったりが読んでも、示唆に富む内容になっていると思います。それは、紫原さんがキャバクラに潜入するエピソードがあったり、紫原さんご自身の現在の働き方について、言及しているところがあるからかもしれません。

だけど、メインとなっているのはやはり「家族の話」ではあるので、なぜ「家族の話」を書いているのに「家族の話」以外にも考えが及ぶのか、その原理がこの感想文を書いている今でも私はあまり解明できていません。いったいなぜでしょう。もしかしたら、文章の懐が深いので、読み手のほうで自由に各エピソードを解釈でき、書いてあることを「自分の物語」として読み直すことができるからかもしれません。つまり、このエッセイを内容通り「家族についてのエッセイ」だと読む人もいれば、「恋愛やパートナーについてのエッセイ」だと読む人もいるし、「女性のキャリアや働き方についてのエッセイ」だと読む人もいるのではないかということです。ちなみに私はというと、これは「これからの社会のあり方についてのエッセイ」だとして、読んでしまいました。

紫原さんの場合は、元旦那さまの経歴からして少し(だいぶ?)特殊なケースではあるのかもしれませんが、今の社会ではもう、このエッセイに書かれている「離婚」はそれほど珍しい話ではなくなっています。だけど、シングルマザーとして子育てをしていくための制度は未だにあんまり整っていなくて、やっぱりどこかで「お父さんとお母さんと子供」という家族のあり方を無意識のうちに前提としている社会になっているように私には思えます。

だけど、それは「お母さんと子供」という家庭にとって息苦しいだけでなく、子供がいない夫婦にとっても息苦しいし、独身にとっても息苦しい社会です。このエッセイ内で紫原さんは「お母さんと子供」という家庭のあり方を全力で肯定しているように思うのですが、それが遠回しに、子供のいない夫婦や独身として生涯を過ごす人、あるいはそれ以外の少し珍しい形の家族(ゲイのカップルが養子をもらって、パパが2人いる家庭とか)まで、すべてを肯定しているように読めるから不思議です。

家族についてだけではなく、現在の社会はやっぱり「正社員」として働く人を無意識のうちに前提としている社会になっているように思いますが、紫原さんの現在の働き方についての描写を読むと、やはりそこも遠回しに、いろいろなお金の稼ぎ方を肯定しているように読めます。フリーランスでもいいし、働かなくてもいいし、働いたり働かなかったりを交互にやってもいいし、非正規でもプロブロガーでもなんでもいい。「大人になったら正社員になって、お父さんかお母さんになって、子供を育てる」という従来のやり方、計画的な人生の歩み方でなくてもいいんだよーといっているエッセイだと、私は読んでしまったわけです。

〈無計画〉の難しさ

だけど、このように自由な家族のあり方、個人の自由な働き方をもっともっと社会が認めていくべきだと考える一方で、これってなかなか難しい面を孕んでいるようにも私は思うのです。なぜかというと、自分が思っている以上に、「自分で自分の幸せを規定する」ってけっこう頭を使うし、簡単には考えられない問題だからです。

たとえば、直近の話で無理やりつなげると、イギリスがEUから離脱するというニュースが最近話題になっていますよね。しかし、離脱という国民投票の結果を十分に受け入れられず、投票のやり直しを求める署名が350万人を超える勢いで集まっているとか、離脱が決定した直後に「EUって何?」と検索していた人がいっぱいいたとか、離脱に投票したことを後悔している人がいるとか、そんな話も耳にします。これらは決して対岸の火事ではなく、「自分で知識を持って、情報を収集して、自分の理想とする社会を規定して、それに近付くような選択肢を選んで実行する」ということがいかに難しいかを、物語っている出来事のように私は思うのです。人間はどんな人であっても、状況によってはやっぱり雰囲気やまわりのムードに流されてしまうし、知識不足から十分に考えることができなかったりもします。

そういう意味では、お偉いお上が勝手に「残留します」と決めてくれたり、社会が勝手に「これが幸せです。この通りにやっていれば9割方まちがえません」と規定してくれていたほうが、まだラクだなんて考え方もできると思うんですよね。自分で考えることはときにめんどくさいし、何より自分で考えたことには自分で責任を持たないといけません。「みんながやれっていうからやったのに!」「上が勝手に決めた!」と後からブーブー文句垂れてるほうがラクだという人も私はけっこういると思うし、私自身がそうでないともいえません。

しかし、国民投票の話はともかく、時代を逆行することは基本的には不可能です。今はまだ従来の社会の名残があるように思いますが、これからどんどん、自分で考えて、自分で決めて、その決断に責任を持たなくてはいけない社会になっていくでしょう。それは今よりも多くの人にとって幸せな社会であると私は信じているけれど、自由であるが故の困難さというのも、同時に自覚していなければならないように思います。

〈無計画〉であることはとてもすばらしいけれど、同時にちょっと難しい。いろいろなあり方を肯定することは多くの人の幸せにつながるけれど、自分で自分の幸せを規定できない人にとってはちょっとつらい。あちらを立てればこちらが立たずという話なのかもしれませんが、すべてはトレードオフなのです。

なんにせよ、この本の内容が様々な人にとって示唆を与えてくれることは変わりないと思います。今後の社会のあり方を考えていく上で、自分の幸せのあり方を考えていく上で、手にとってみてはどうでしょうか。

家族無計画

家族無計画

ウリドキニュース他、外部媒体寄稿、インタビュー記事など

最近、外部媒体に寄稿・インタビューしてもらった記事たちです。公開から1ヶ月くらい経っているものもありますが、Twitter上などで見逃しているものがあったら、この機会にぜひ目を通してみてもらえると嬉しいです。

ウリドキニュース

uridoki.net

こちらは公開したての記事です。昔SOLOでしていた「パリに行く女、パリに行かない女」の話に近いかも。世の中に〈できない〉ことって実はあんまりなくて、それは自分が〈できない〉と思い込んでいるだけだったりします。

……と、いうは易し行なうは難しなのですが、「いつかできたらいいな」と思って先延ばし先延ばしにしていると、どんどんそれをやるためのコストは高くなってしまうので、とっとと手を付けて夢をぶっ壊しましょうという話をしています。ちなみに私は意識が低いので、まだ30歳にもなっていないのですが、人生でやりたかったことのメインはほとんどやってしまったのでちょっと困っています。今は、次に何をして遊ぼうかなと画策しているところです。

ウリドキニュースさんは、私以外のブロガーだと、日野瑛太郎さんの記事なども読めますよ!

AM

am-our.com

斬新な恋愛記事でお馴染みのAMには、桜井亜美さんの小説について寄稿しました。桜井亜美さん、私と同世代でも男性はあまりご存知ないかもしれません。しかし、女性であれば中高生時代を思い出して何か思うところがあるはず……。

最初の数行でさらっと私自身の黒歴史を暴露しているので、見逃している方はぜひ読んでみてください。

ノマド的節約術

nomad-saving.com

こちらはインタビューしていただいた記事。トークイベントなどでお話する機会はこれまでも何回かありましたが、インタビュー記事ってこれが初めてかもしれません。お金の使い方、お金に対する考え方などの話をしています。

上記の記事とは直接関係ないですが、最近以下の本が少し気になっています。しかし、自分で読むのがちょっとダルイ。だれか読んで上手いこと書評でまとめてくれないかなという下心満載でリンクを貼っておきます。インタビューで偉そうに「私は物欲がない」という話をしているんですが、それが時代性によるものなのか、私自身の特質なのか、自分自身でいまいちわからないんですよね。こんな私ですが、もしバブル時代に20代後半だったら意外と物をどさどさ買っていたかもしれませんしね。

物欲なき世界

物欲なき世界

欲望に忠実に

AMだけちょっと毛色が異なりますが、ウリドキニュースさん、ノマド的節約術さんで語っていることの本質は、「自分の欲望に忠実に生きよう。たとえそれが他人に、世間に受け入れられないものだったとしても」ということです。

どれもブログとはちょっとちがう雰囲気の話をしているので、目を通してもらえたら嬉しいです!

【中東旅行記/最後】オーパーツを見逃したアテネ

旅行記の続きです。今回分で、一応旅行記が終わりです。前回分はこちら。

aniram-czech.hatenablog.com

といっても、メインのつもりで想定していたイスラエルを出た後に訪れたギリシャアテネは、私のなかでは完全な「おまけ」という位置付け。ギリシャギリシャでずっと行ってみたいと思っていたところだったのですが、まさかこんなテキトウなかんじで準備せずに行くことになるとは思っていませんでした。ギリシャアテネよりもサントリーニ島とかシミ島とかのほうが魅力的な気がするので、もし次回機会があったらそういった「島」を船や飛行機で渡り歩いたあとトルコまで行こうかななどと考えます。

アンティキティラ島の機械を見逃した

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アテネ考古学博物館

というグダグダなかんじで訪れたアテネだったのですが、とりあえず考古学博物館に行こうと思って初日に行きました。しかし、何も本を読んだり調べたりしてこなかったので、昔美術史や世界史でやった古代ギリシャのわずかな知識をもとに頑張って英語のキャプションを読んで理解するという始末。

それで、帰ってきたあとに判明したのですが、なんとこの考古学博物館に世界で唯一の本物のオーパーツといわれる「アンティキティラ島の機械」があったんですね。知らなかった。これ何かというと、古代ギリシャ時代のコンピューターで、紀元前150〜100年に作られたとされています。たくさんの歯車が内蔵された作りらしく、月の運行などを計算するために用いられたとか。

謎なのは、ここまで高度な機械が作られていたのに古代文書にその記述が一切ないこと、そして類似するような他の機械がまったくないということです。発明者はアルキメデスじゃないかといわれているそうですが、古代ギリシャでは、この高度な機械を隠蔽しなければならない理由が何かあったのでしょうか。1900年に漁師たちが海底から偶然発見したそうなんですが、その発見がなかったら今こうした研究もなされていないわけで、つまりまだまだ歴史は覆るし我々が起源だと考えているものは変化するんですね。夢のある話です。


※これも帰ってきたあとのニュース

翌日は、パルテノン神殿を見に行くなどしました。

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そして最終日は、モナスティラキの蚤の市などを見学。ミニマリストが来たら気絶して死ぬんじゃないかと思うくらい、ガラク……用途不明のものがたくさん売っていました。

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おしまい

というわけで旅行記はこれで終わりなのですが、今回はnoteでリアルタイム旅行記を書いてしまったぶん、それをもう1回書き直すというのは正直けっこう微妙でしたね。だけど、帰ってきたあとにいろいろな発見があったのもまた本当です。

旅の製図法|チェコ好き|note


私が今回の旅行でいちばん記憶に残っているのは、イスラエル最終日、テルアビブのベングリオン空港に到着したときのこと。

そのとき、私は疲れていたのか何の変哲もないただの電車に酔ってしまい、ぼったくりみたいな値段のオレンジジュースを飲みながら空港のベンチで息も絶え絶え、休憩していたのです。

するとその隣に、ユダヤ人の女性が4人、わ〜っと集まってきました。年齢はたぶん私と同じ20代後半くらいで、なかにはベビーカーを引いているお母さんも。なぜ彼女たちがユダヤ人とわかったかというと、みんな頭髪を隠す帽子みたいなやつをかぶっていたからです。帽子みたいなやつは、イスラエルのユダヤ人女性に特徴的な格好です。

彼女たちが話す言葉は当然ながらヘブライ語なので、いくら隣にいてももちろんさっぱりわかりません。……はずだったのですが、ヘブライ語を一切理解しない私が、彼女たちの会話がどのような内容であるのか、だいたいわかってしまったのです。

「えー、めっちゃ久しぶりなんだけどー!」「元気〜!?」「これ息子くん?」「かわいい〜!!」
「どこ行く?」「駅出るとー、向こうに知ってるご飯屋さんあってー」「じゃあそこ行こうよ」
「ねえ最近何してるの?」「息子くん嫌いなものある?」

久々に会ったっぽい20代後半らしき女性4人組、そのテンション、声のトーン、などなどから、言葉なんて知らなくてもだいたい何を話しているかわかる。

イスラエルに住んでいて、帽子をかぶっているということは、おそらく彼女たちはそこそこ正統派のユダヤ教徒だと思うのです。そして女性も徴兵されるイスラエルなので、当然彼女たちは、軍人として勤めた経験もあるのだろうと思います。宗教も、育った環境も、見てきた景色も、私と彼女たちはまったくちがうはず。それなのに、友達と再会したときのリアクションはほぼ同じなのです。

わきゃわきゃと騒ぐユダヤ女性4人組の隣で、「まあ、人間なんてどこもそんなもんなんだよな」と、私は疲労で薄れていく意識のなか、思ったのでした。

というわけで、私の「旅行記」はここで終了です。

しかし、私の意識のなかでは、日本に帰ってきたくらいで旅は終わりません。「あのとき見た”アレ”は何だったんだろう?」と、本を読んで映画を観てニュースを見て考える、今度は「そっちの旅」が始まります。国内にいるか国外にいるかというちがいだけで、私のなかではずっとずっと旅行しています。旅行記はここで終わりですが、今後も書評やらなんやらのなかに、旅の話はひょこひょこ入ると思います。

1492年、スペインを追われたユダヤ人「セファルディ」は、もう二度ともどることのない故郷をあとにして、モロッコへ、欧州へ、各地に散りました。あとは、ポール・ボウルズが書いた『シェルタリング・スカイ』の主人公夫婦も、もう二度ともどらないものとしてニューヨークを去り、モロッコにやってきました。

〈故郷を失う〉こと、それは物理的に失う場合もあるし心理的に失う場合もあるのですが、私はもうしばらく、それってどういうことなんだろうなーと考えてみたいと思います。

「あまりにも遠くに行き過ぎたため、もはや帰還が不可能になった旅行者」はボウルズの作品のなかで繰り返し描かれるモチーフですが、私が憧れるのはいつだって、そんなちょっと「人にはいえない」旅行なのです。

★参考文献★

奇界紀行

奇界紀行