チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

部屋にピエロを飾ろう シリアルキラー展

コレクションの始まりは、私たちと同じ「些細な興味」だったと語る、HN氏。

だれかに見せるためでも、周囲に自慢するためでもなく、ただ孤独に蒐集をしてきたというその禁断のコレクションを、7/10まで、銀座のヴァニラ画廊にて公開してくれています。今回は、このヴァニラ画廊で開催されている「シリアルキラー展」の感想です。

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ヴァニラ画廊 -Vanilla Gallery -より

シリアルキラーたち

シリアルキラー」とは、連続殺人などを行なった犯罪者に対して使う言葉です。シリアルキラー展では、このシリアルキラーたちが、獄中とかで描いた作品を一挙に公開しています。

チラシになっているピエロの絵を描いたのは、1994年に死刑になったジョン・ウェイン・ゲイシー。33人もの少年に性的虐待を加え、惨殺した殺人鬼です。他にも、ロマン・ポランスキー監督の夫人を殺害しカルト宗教の教祖となったチャールズ・ミルズ・マンソン、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士のモデルになったといわれている、1000人以上の殺害を自供したヘンリー・リー・ルーカスらの絵がありました。1000人を殺害って、日本だとちょっと考えられない規模ですね。

にわかには信じがたい犯罪を犯したシリアルキラーたちは、いったいどんな絵を描くのか。それは、社会のルールに則って生きている(ということにしてある)私たちが描く絵とちがうのか、ちがうとしたらどのようにちがうのか、あるいは同じなのか。謎のコレクター(?)HN氏が「些細な興味」から作品の蒐集を始めたように、私を含めたお客さんたちも、「些細な興味」からこの展示を観に行くのだと思います。

この展示のメインになっているジョン・ゲイシーのピエロの絵は、確かに不気味です。でもそれは、ゲイシーの画力や心の歪みがそうさせているというよりは、ただ単にピエロそのものが不気味だからなー、という身も蓋もないことを私は正直思いました。他のシリアルキラーたちの絵も、凄惨で残酷です。人間の骨を釜でぐつぐつ煮ているようなやつとか、鎖に繋がれ監禁されている女性の絵だとか、十字架の絵だとか。だけど、観る人によるのかもしれませんが、私はそれらに「殺人鬼ゆえの異常性」みたいなものはあんまりかんじなかったんですよね。「1ヶ月あげるからこの展示に飾るダミーの絵を描いてくれ」と依頼されたら、私たぶん描けますもん。原色ギラギラで、ちょっと首をちょん切ったやつ描いたらだいたいこんなかんじになりそうですもん。

展示は盛況のようで、混雑していて人がいっぱいいたから余計そうかんじたのかもしれません。だけど、「殺人鬼は異常」「私たちとはここがちがう」みたいなポイントは、やっぱりあまりなかった。少なくとも、私には見つけられなかった。……と、いわざるを得ません。

犯罪者もただの人間

シリアルキラーの絵は、HN氏のようなコレクターもいたりして、一部の好事家には人気があるみたいです。好事家の気持ちはわりと理解できて、私ももし資産が唸るほどあったら、資料蒐集のような感覚でこれらの絵をコレクションしたくなってしまう気がします。

だけどシリアルキラーの絵って、究極の属人性絵画で、アートと作者を切り離したら途端に価値がなくなってしまうものが99%だと思うんですよね。一方、同じアウトサイダーアートに属するヘンリー・ダーガーの絵画などだと、アートと作者を切り離しても作品の価値はそのままです。私は、ダーガーが美大卒の一流のアーティストだったとしても、もちろん一介の掃除夫であったとしても、この人の絵は変わらずすごいなあと思います。

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なので、これはそういう性質をあらかじめ理解して行くべきだと思うのですが、「シリアルキラー展」にアートとしての価値を期待していくとおそらく物足りなくかんじると思います。この展示を味わうためには、これを「犯罪者が描いた資料」として観に行くべきでしょう。(私がいうまでもなく、多くの人はそうしていると思いますが)

作家たちの経歴を見てみると、その多くが幼少時代に、親や近しい関係の者から虐待を受けていたことがわかります。ピエロの絵を描いたジョン・ゲイシーは生前、ずっと父親に認めてもらえなかったことを嘆いていたし、1000人以上を殺害したというルーカスの生涯は、私はちょっと同情してしまいました。もちろん、それによってこの1000人殺害という罪が減じるわけでは全然ないと思うのですが、こんな大罪を犯す前に、なんらかの社会制度が彼を救ってあげるべきだったのにと思います。

ヘンリー・リー・ルーカス - Wikipedia
ヘンリー・リー・ルーカスは2001年に刑務所内で病死しています

シリアルキラー展を観に行って思ったのは、その展示に反して、「みんなただの人間だなー」ということでした。「史上最悪の殺人鬼!」などというと、まるで話が通じないモンスターかのように考えてしまいますが、よくよく見てみると、彼らには殺人鬼になってしまってもしょうがなかった理由があるように私には思えました。

高そうだから絶対買えないけど、私はジョン・ゲイシーの描いたピエロの絵を、部屋に飾っておいてもおそらく全然怖くありません。だって、それは普通の、私と同じただの人間の絵だからです。

もし殺人鬼に幻想のようなものを抱いている人がいたら、この展示は、いい意味でそれをぶち壊してくれるのではないかな、と思いました。

【中東旅行記/7】パレスチナ自治区と、Banksy 

旅行記の続きです。前回分はこちら。

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私がこの旅行のメインとして考えていたのは、前回も書いたようにイスラエルエルサレムです。もちろん、エルサレムに行かずしてこの旅行はなかったと思いもするのですが、エルサレムに次いで……というかエルサレムと同じくらい行って良かったと思ったのが、パレスチナ自治区ベツレヘム

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ベツレヘムへは、エルサレムのダマスカス門付近から出ているバスに乗って、30分くらいで着きます。エルサレムから日帰りで、余裕で行けるところです。だけど、そのわずか30分で国が変わります。入国審査とかがあるわけじゃないけど、パスポートは途中の検問所でチェックされる(ことがある)。通貨は同じだけど、街に出ている看板などは、ヘブライ語からアラビア語に変わります。時折見かける国旗は、イスラエルのものからパレスチナのものになります。

だけどそんなものは些細な変化で、いちばんびっくりしたのはやっぱり、街の雰囲気がガラッと変わることかもしれません。西欧文明の香りがする白人たちの大都市から、アラブ人たちの住む素朴な田舎町へ。前者の街ではだれもタクシーの勧誘をしてこないけど、後者の街ではバスを降りた途端「俺のタクシー乗れよ」攻撃に遭います。本当はこのカオスな街をいっぱい写真に収めたかったのだけど、カメラを出しにくい雰囲気(ようするにちょっと怖い)ところが多く、観光名所以外は写真があんまりないです。

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だけど騙されたりスリに遭ったりすることは結局なかったし、お店の人は総じていい人だったので、私はこの素朴なベツレヘムという街がすごく好きになりました。ちなみにこの街に行った理由は、イエス・キリストが生まれたという聖誕教会を見ることと、イスラエルパレスチナの間を不当に分断している分離壁を見ること。この分離壁をテーマにした映画が、ハニ・アブ・アサドの『オマールの壁』です。


第86回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品!映画『オマールの壁』予告編

『オマールの壁』はどこが舞台なのかはっきりとわかりませんが(たぶんナブルスとかそっちのほうかな)、映画のなかで主人公オマールがイスラエルの秘密警察に追われて駆け回る街の風景はやはりどことなくベツレヘムに似ていて、本当にここでそういうことが起こり得るんだなー、と思いました。私が行ったときは安全な時期だったらしいですが、治安が悪いときだとイスラエルの仕掛けた催涙弾が爆発しているらしいです。被害に遭って地元の人に玉ねぎもらってる(催涙弾には玉ねぎが効くらしい)観光客もいるので、すごくいいとこなのですが行く人はお気を付けて。

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分離壁に描かれたこちらの女性の落書きは、パレスチナ人民解放戦線(PFLP)の活動家で元テロリストのライラ・カリドさんだとか。分離壁に元テロリストの絵、そして「Don't Forget the Struggle」と描いてある。なかなか胸に来るものがあります。

そして、聖誕教会と分離壁以外に、この街に行った目的がもう1つ。それは、あのバンクシーの絵を見るためです。

バンクシー・ダズ・ベツレヘム

バンクシーといえばイギリス出身のアーティストで、最近は『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』という映画が公開していましたが、なんとバンクシーベツレヘムにも来て絵を描いていたのです。タクシーの勧誘をしてくるおっさんたちは、観光客を見つけると当然のごとく「バンクシー・アートをまわってやるよ!」と営業してきます。勧誘は断って自力で探すことにしましたが、ラクしたい人はタクシーのほうがいいかも。自力でまわるのは、不可能ではないけどけっこう大変でした。

というわけで、比較的早く見つかるこちらは「兵士をボディチェックする少女」。なんか思いっきり保護されていますが、路上の壁に落書きされちゃったのをいいことに、壁の持ち主であったおやじさんが絵をガラスで保護してそのまわりにお土産屋さんを作ってしまったそうです(ここでお土産買いました)。

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だけどちょっとよくわかんなかったのですが、あとで映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』を観たら、この絵は切り出されてニューヨークで競売にかけられてたっぽいんですよね。売れなくてもどってきたのかな? よくわかんないです。


映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編
(※予告編にもちらっと出てくる)

続いてこちらは「防弾チョッキを着た鳩」。「兵士をボディチェックする少女」はあくまで例外的で、他はこんなかんじでさらっと放置されています。

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この後は、ちょっと歩きます。まずはイエス・キリストが生まれたという聖誕教会へ。

なかは大部分が工事中だったのですが、それを差し引いても暗いです。カトリックの教会のようなわかりやすい装飾はなく、全体的にぼや〜っとしています。

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↓ここ、ここちょっと目をかっぽじって見てください。ここ、イエスが生まれたまさにその場所だそうですよ。2016年前、ここでオギャーとなったそうですよ。この写真を撮る直前、ここに向かって真剣にお祈りしている人がいました。

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下はスペインのグラナダ大聖堂ですが(カトリック)、本家とはえらいちがいです。私は美術を勉強していたので、美術史のテキストに出てくるようなキリスト教の教会建築も好きですが、エルサレムベツレヘムにある正教会の管理している地味な教会もけっこう気に入りました。

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気をとり直して、バンクシーの絵を探す旅にもどります。聖誕教会を出てさらに下った先にあるのが、「ハートの天使」。これはちっちゃいので、ぼーっとしていると見逃してしまうかも。

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そしていちばんの難関が、「花束を投げる男」。火炎瓶を花束に持ち替えて……という、平和へのメッセージが込められた絵だそうです。ガソリンスタンドの壁の裏にあるので、行く人はまずガソリンスタンドを探しましょう。めっちゃ歩くので自力の人は大変ですががんばりましょう。

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勝てないなら、テーブルごと引っくり返せ!

というわけで、現存のバンクシー・アートinベツレヘムを無事すべて見終えたわけですが、これらのアートを全部見てまわると、バンクシーがここに危険を冒してまで絵を描きに来た理由がわかった気がしました。

映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』を観るとわかるとおり、バンクシーはニューヨーク中心部のマンハッタンだけでなく、ブルックリンやブロンクスといったニューヨークの端にあるちょっと治安の悪いところにまで、絵を描きに行っています。すると、そこにバンクシーのアートを観に、ふだんは絶対にそんなところに行かないようなマンハッタンのお金持ちやエリートたちが訪れるようになるんですね。

アートの最大の効果は、人を移動させることができることかもしれない、と思いました。治安が悪い、ガラが悪い、危険、スラム、ゲットー。だけど、世間に見捨てられたようなそんな場所でも、アートさえあれば人は来るんです。人が来れば、お金が落ちます。私は分離壁や聖誕教会も見たかったのでバンクシーだけを目当てにベツレヘムに来たわけじゃないけど、ご飯代やお土産代などで、やっぱりこの街にお金を落とすことになりました。タクシーを使う観光客だって多いから、ベツレヘムバンクシーがもたらした経済効果は、なかなかバカにできないものになっているはずです。しかも、バンクシーが勝手に落書きしただけだから元手はタダ。

BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】

BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】

上記はバンクシーの作品の解説書ですが、日本語で帯に書いてある「勝てないなら、テーブルごと引っくり返せ!」って言葉が私は大好きです。正攻法で勝てないなら、テーブルごと、つまりルールごと引っくり返してしまえばいい。路上に出て、SNSで拡散されて、人を移動させて、それが結果的に絵の価値を高騰させる。私はバンクシーの絵自体は別にそこまで好きじゃないけど、〈バンクシーという現象〉は最高にクールだと思うから、ベツレヘムくんだりまで絵を見に行って本当に良かったなあと思いました。

旅行記は、次回がたぶん最後です。

森達也『FAKE』 佐村河内さんと新垣さん

ユーロスペースで連日満員御礼、ドキュメンタリー映画としては異例のヒットをとばしているらしい森達也監督の『FAKE』を観に行きました。15年ぶりの新作だそうです。

森達也監督は、オウム真理教信者のドキュメンタリー映画(本もある)『A』や『A2』、低身長症の人たちが行なうミゼットプロレスの取材など、物議を醸しだしそうなテーマにあえて突っ込んでいく人として有名です。今回の『FAKE』は、2014年にお茶の間を騒がせたことで記憶に新しい、佐村河内守さんと新垣隆さんのゴーストライター問題をテーマにしています。

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映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守より

2014年のことだから、きっとこのニュースとそれを取り巻いていた状況を、みんなもおぼろげながら覚えているはずです。だけど私は、正直にいうとこの佐村河内さん問題に当時そこまで関心があったわけではありません。佐村河内さん問題への関心ではなく、完全に「森達也」の名前で観に行きました。というわけで今回はこの『FAKE』の感想を書こうと思います。

佐村河内さんと新垣さん、騒動振り返り

まず、騒動自体は覚えていてもその詳細を忘れてしまった人もいると思うので、この佐村河内さんゴーストライター問題を少し振り返ってみます。

佐村河内守さんは、耳が聞こえません。だけど、「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作曲家として知られ、「現代のベートーベン」として一部では有名な音楽家でした。が、突如そこに新垣隆さんという人が現れ、佐村河内さんの曲は実は自分が作曲していたと主張します。つまり、「現代のベートーベン」佐村河内さんの裏にはゴーストライターがいた。佐村河内さんの曲に感動して泣いていたファンの人たちは、曲そのものが素晴らしかったのもあるけれど、障害を乗り越えて作曲家として活躍している佐村河内さん自体に心を動かされていたという部分もあったのでしょう。そういうファンの人たちにとって、このニュースは大変なショックだったというわけです。

私がこの騒動にあまり関心がなかった理由は、ニュースを聞く前は佐村河内守さんという作曲家の存在を一切知らなかったからです。元々のファンの人になら佐村河内さんを責める資格があるとしても、そうではなくニュースを聞いただけの人間が「騙したな!!!」と怒る資格はないと考えていました。だって知らなかったんだから騙されてないもんね。この騒動はあくまで佐村河内さんと新垣さん、あとはレコード会社? とファンの方々、内々でやるべきことで、ここぞとばかりに佐村河内さんを叩いていたネット民のほうをむしろどうなのと思っていました。このことがきっかけで人が死んでるとか怪我したとか病気したとかならまだしも、だれも実質的な迷惑は被ってないですしね。佐村河内さんのせいで聴覚障害者の方が差別されるようになってしまうかもしれないと心配していた人もいたようですが、だったらそれこそあまり騒ぎを大きくしないほうがいいわけで。

佐村河内さんが自身でも認めている嘘は1つで、それは「作曲を行なう際、新垣さんの手を借りていた」ということ。自分1人ですべてを作っていたわけではない、ということです。「共作だった」というのが、佐村河内さんの主張。

一方、新垣さんはさらに重大な嘘があると主張していました。その1つは、「佐村河内さんは実は耳が聞こえる」ということ。現代のベートーベンというのは大嘘で、健常者と同じように会話ができるというのです。もう1つは、「共作なんてレベルじゃなく、自分がメインで作曲していた」ということ。佐村河内さんはプロデュース面のみ行ない、音楽に関わる実質的な部分は自分がやっていたということです。佐村河内さんのピアノは初歩的なレベルでしかなく、楽譜も書けなかったといいます。

映画では、新垣さんの主張するこの2つが「フェイク」なのか「真実」なのか、あるいはフェイクでも真実でもない何かなのか、探っていくことになります。

テレビで叩かれること

この作品、普通に2時間くらいあるのですが、その2時間のシーンの90%以上が佐村河内さんの自宅で撮影されています。例外は、監督の森達也さんが新垣さんの本のサイン会に行ったりするところだけ。が、画面に動きがなくて退屈なんじゃないかと観る前の私がしていた心配は、まったくの杞憂に終わりました。同じことを懸念している人がいたら、それはまったく見当はずれな心配であったと、とりあえずいっておきます。

森達也さんは単身で佐村河内さんの自宅に何日もかけて通い、この映画の撮影を敢行します。佐村河内さんには香さんという奥さんがいて、森さん、佐村河内さん、奥さん、あとは佐村河内さん宅の猫ちゃんの4人(3人+1匹)で進んでいくシーンが、映画の大半を占めています。

この映画を観る限りだと、佐村河内さんは、共作を黙っていたこと、そして結果的にそれが音楽を聴いてくれた人を騙す形になってしまったことを、申し訳なく思っているように見えます。しかしそれ以上に、殺人でも犯罪でもない行為をなぜここまでテレビや雑誌に叩かれなければならないのか理解できず、そのことに戸惑っているように思えました。

佐村河内さんは奥さんと一緒に自宅のテレビで、自分の騒動を報じるテレビ番組をじっと見ています。なかにはほとんどワイドショーというかバラエティ番組のようなかんじで、佐村河内さん騒動をパロディにしたり笑い事として扱っているテレビ番組もあります。それを、佐村河内さんは一言も発さずにじっと見ています。私は別に
「これじゃ佐村河内さんがかわいそう」などといいたいわけじゃないのですが、テレビでだれかを笑い者にするというのはものすごい暴力なんだな、ということが実感としてよくわかりました。

テレビというのは、インターネットが発達した今でもなんだかんだ強大なメディアです。私もブログが炎上してネットで悪口をいわれたことくらいならあるけど、ネットの悪口程度だと、まあちょっと気は沈むけどみんながみんな敵ってわけじゃないしなー、とそんなに深く考え込むことはないです。だけどそれをテレビでやられると、まるで国民全員が自分のことを嫌っていて、日本中が敵のように思えます。テレビの前で黙り込んでいる佐村河内さんを見ていると、この問題って、やっぱりそんなに大騒ぎするほどのことじゃなかったのでは……と思えてくるのですが、むしろ、殺人や犯罪が絡んでいなかったからこそ、みんな面白がって思う存分やりたい放題いいたい放題できたのかもしれません。

私が特に印象的だったのは、テレビ局の人が佐村河内さん宅にやってきて、年末特番への出演を依頼するシーンでしょうか。黒いスーツを着た4人くらいのテレビ局の人たちが、奥さんの香さんにコーヒーを出してもらいながら書類を広げて、佐村河内さんに年末特番の説明をします。番組の趣旨は2014年に起きた出来事の振り返りで、司会はお笑い芸人(おぎやはぎ)だけど佐村河内さんを悪くいったりはしない。むしろ、これをきっかけにすべてを笑い飛ばし、佐村河内さんの今後の活動のきっかけになればいいと。テレビ局の方々はとても誠実そうに見え、私などはこれならそんなに悪い話ではないんじゃないかと思ったりもしました。

が、佐村河内さんは「すべてを笑い飛ばし」というところが引っかかったみたいで、やはり自分をバカにする番組になるんじゃないかという懸念が拭えず、結局出演を断ります。そしたら、年末に件の特番を確認してみると、なんと新垣さんが笑顔で「事件の真相!」みたいなことを語っているではありませんか。テレビ局の人はあんなに「佐村河内さんを悪くいう内容にはしない」と語っていたのに、出演しなかったことによって結局自分は笑い者になっている。新垣さんが特番のノリで大久保佳代子さんに壁ドンしている場面が、映画館に虚しく響きます。


佐村河内騒動のドキュメンタリー/映画『FAKE』特報

ドキュメンタリーは嘘をつく

『FAKE』は佐村河内さんの側から描かれた作品なので、多くの場合、観客は映画を観たあと基本的には佐村河内さんの側に立つことになると思います。私のこの感想も、思いっきり佐村河内さんのほうによっているでしょう。だけど監督は「ドキュメンタリーは嘘をつく」とずっと言い続けてきたあの森達也なわけで、監督自ら「この作品を鵜呑みにしないでどういうことなのか自分でよく考えてね」というメッセージを発信しています。

ラストの12分をだれにもいうなと予告編のなかでいわれているので私もラストについては触れませんが、まあこれは確かに衝撃ではありました。結局、この騒動はなんだったのか。だれがどんな嘘をついていたのか。真相はわからないし、そもそも真相なんて追求できる類のものではないのかもしれません。新垣さんや、新垣さんの側からノンフィクションを書いた神山典士さんの視点を排しているので、この映画が真実だとはとてもいえません。映画に突っ込みを入れることはいくらでも可能です。

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

だけど、繰り返すようですがそもそも「真相を究明する」なんてことが無理なのかもしれません。書面で契約内容を残すことはできるけど、だれがいつ、何を思っていたかなんて絶対にわかりません。小保方さんの問題もそうだし、ゲス不倫問題もそうだし、とにかく世の中で騒動になっているあらゆる問題がそうです。『FAKE』は佐村河内さんゴーストライター問題の映画だけど、そこで語られているのは、決してこの騒動に関してだけではないのでしょう。

おまけ

オーソン・ウェルズの『フェイク』と比較してみたりとかしようと思いましたがキリがなくなるのでやめます。森達也さんは著書の『A』『A3』も面白いので、これを機に興味がある人は読んでみるといいかもしれません。

オーソン・ウェルズのフェイク [DVD]

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A3〈上〉 (集英社文庫)

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A3〈下〉 (集英社文庫)

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昔書いた森達也さんの『オカルト』の書評です。

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【中東旅行記/6】イスラエル、エルサレムとテルアビブ

旅行記の続きです。今回と、次回のパレスチナ自治区編と、最後のアテネ編で旅行記は終わります。前回分は以下。

aniram-czech.hatenablog.com

イスラエルは、今回の旅行のメインとして考えていた場所でした。が、みなさんご存知のとおり、イスラエルは現在でもいろいろな意味でトラブルが絶えません。だいたい週1くらいで、エルサレムやテルアビブなどで起きたテロを報じるニュースを国際面で目にする気がします。よく、銃が乱射されたりバスがガス爆発されたりしています。私が行ったときも、エルサレムで発砲事件と刺傷事件があって、ちょっと肝が冷えました。

イスラエル旅行の安全性

というわけで、隣国ヨルダンからバスでイスラエルへ入ったのですが、噂には聞いていたものの入国手続きはけっこう骨が折れました。「何しに来た」「どこに泊まる」「いつ出国する」「帰りの飛行機の予約表見せろ」などなどいろいろなことを聞かれ、さらになんかめっちゃ待たされました。それも「少々お待ち下さい」というかんじではなく、「お前、そこから動くな」みたいなかんじで。

おそらく多くの人は、イスラエルに旅行と聞くと安全性をすごく気にすると思います。私も旅行前、外務省のサイトを毎日張り付くように見ていました。だけど先ほどの話を覆すようですが、実際に行ってみた感想としては、テロさえ起きなければ治安はめちゃくちゃいいです。中東と聞くとなんか未開社会みたいなのを連想する人もいるかもしれませんが、エルサレムやテルアビブといった大都市は、東京と比べても見劣りしないくらい近代的できれい。道に迷ってしまったら、街の人に尋ねれば親切に教えてくれます。もちろん、その後にお金をせびられたりしません。日本人と同じです。

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エルサレムの新市街の風景

もちろん旅行者として最低限の注意は払っていないとダメだけど、スリとか強盗とか女性のレイプ被害とかは、よっぽどハメを外した行動をとらない限りないんじゃないでしょうか。つまり、ロンドンとかパリとか、ヨーロッパの主要都市くらいの治安レベルだと思ってもらっていいと思います。街の雰囲気としては、モロッコとかヨルダンのほうがよっぽど怖いです。

なので旅行者としては、入国手続きで多少手こずるということ、現地で予定を決めないで宿と帰りの交通手段は事前に決めていったほうがいいということ(入国の際に不審がられるから)、ニュースをよく見てテロ情報に注意すること、この3つを覚えておけば大丈夫だと思います。

もっとも最後のは、テロはいつどこで起きるかわからないので、注意しろといっても注意しようがないのですが、情報はないよりあるほうがいいでしょう。エルサレムでは、旧市街と新市街の境界である門付近、特にダマスカス門の近くはよくテロが起きていました。気を付けましょう。

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ダマスカス門前、ライフルを持って警備にあたる兵士の方々

聖墳墓教会に行ってみよう

危険とされている門付近にはあまり近付きたくないものの、キリスト教の聖地である聖墳墓教会ユダヤ教の聖地である嘆きの壁イスラム教の聖地である神殿の丘(岩のドーム)はどれも門をくぐった旧市街のなかにあるので、まあ通らざるを得ません。なので通ります。門をくぐって進むと、モロッコにあったスーク(商店街)みたいなのが続きます。

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観光客いっぱい

地図を見ながら、イエス・キリストが十字架を担いで歩いたというヴィア・ドロローサをたどり、磔にされたといわれているゴルゴダの丘の跡地に建っている聖墳墓教会に行きます。

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なかは暗いです。ロウソクの火がぼおっと灯っているかんじです。あとガチでガチの神聖な場所なので、女性はだいたいスカーフやベールを頭に巻いています。私はクリスチャンではないのでニット帽で失礼しましたが、「なんかすいません」感がハンパなかったです。

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嘆きの壁に行ってみよう

エルサレムといえばここ(の写真が使われることが多い)、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」。聖墳墓教会から歩いて15分(もっと短いかも)で行けますが、途中どのルートを通っても手荷物チェックのゲートをくぐらないといけません。

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左側は男性エリア、右側は女性エリア。最初、異教徒は入れないのかと思って遠くから眺めていましたが、そんなこともないらしいので女性エリアに入ってみました。

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いちばん上の写真と天候がちがうのは別の日に撮ったせいです。

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神殿の丘(岩のドーム)に行ってみよう

3つの聖地のなかでいちばんピリピリしていていちばん厳戒態勢なのがここ。実際に行ってみるとわかりますが、嘆きの壁のすぐ裏にあります。見学は時間制限付きで、私が行ったときは午前10時でクローズしていました。

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3つの聖地、けっこうゆっくりまわっても半日で観光が終わるような近距離です。そして、聖地にそってキリスト教徒の居住区とユダヤ教徒の居住区とイスラム教徒の居住区が分かれています。こんな近距離に異なる宗教の聖地があって混乱しないのだろうか。とりあえず、浅い感想をいうと「うわ、世界史でやったやつ本当にあるんだ」と思いました。

【番外編】テルアビブにも行ってみよう

エルサレムは他にヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)や、イエスがイスカリオテのユダに裏切られて捕まったゲッセマネの園などを見に行きました。イスラエル最終日は飛行機に乗るため、1972年に日本赤軍が銃を乱射したベン・グリオン空港へ。飛行機まで時間があったので、テルアビブにあった美術館に行きました。

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館内は撮影自由です。ゴッホやモネのような印象派から、ジャクソン・ポロックマックス・エルンストハンス・ベルメールアイ・ウェイウェイまで、コレクションの幅が広かったです。

ハニ・アブ・アサド監督という人が作った『パラダイス・ナウ [DVD]』という映画があって、その映画には、パレスチナ人の主人公がテルアビブのバスで自爆テロを起こすシーンがあります。イスラエルではライフルを持った若い兵士がフツーにひょこっとバスに乗ってぺちゃくちゃおしゃべりしているんですけど、映画のなかのバス内の映像が、私が旅行で見た光景とそっくりでした。だから映画のなかの自爆テロのシーンは、けっこう身に迫るものがあり見ていて辛かったです。

おそらく今このブログを読んでいる人で、銃を所持している人はいないと思います。大麻を所持している人もいないんじゃないかな。だけど、私が、あなたが、今銃を所持せずにいられるのは、麻薬に頼らずに日常生活を送れるのは、私やあなたの意志の力ではありません。たまたま日本の、この時代に生まれたから、偶然そうなっているだけです。つまり、銃を所持せず、大麻を吸わず、人を殺さず、戦争に反対できるのは、人間の本質ではないということです。だとしたら、人間の本質とはなんなのか。私やあなたのしている仕事は尊くて、麻薬の売買や売春の斡旋、スラムでのゴミ拾いなどの仕事は汚いのか。善と悪はどこにあるのか。……だいぶ話が大きくなってまいりましたが、なんか私は、そういうことを考えるのがけっこう好きです。

【中東旅行記/5】ヨルダン・ペトラ遺跡の砂漠感

中東を中心に旅していた旅行記の続きです。前回分は以下。

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リアルタイムの旅行記はnoteで書いていました。

旅の製図法|チェコ好き|note

下記のようなルートで旅行をしていたのですが、タンジェ→シャウエン→マラケシュと進んだモロッコ編が終わり、カサブランカの空港からアブダビの空港へ飛び、そこからヨルダンの首都アンマンに到着したところからが今回です。

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アンマンの空港からバスで4時間くらい? ペトラ遺跡のあるワディ・ムーサへ向かいます。アンマンの空港からバスステーションまでの行き方に関する情報がネット上はもちろん地球の歩き方などを読んでもよくわからず、どうなることやらと思っていたのですが、空港から出ているタクシーの運転手さんに「ペトラ行きのバスが停まるとこ! ジェットバス!」みたいなことをいえば連れてってくれました。バスは早朝6時の出発で空港を出たのは5時くらいだったのですが、早朝のアンマンは霧がもくもくしていて幻想的……といえば聞こえはいいですがめっちゃ怖かったです。

はい、というわけで着きました。

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私のなかでペトラ遺跡は「手付かずの自然!」みたいなイメージがあったのですが、幸か不幸かそんなことはなく、きちんと管理された「自然公園」的なかんじでした。広すぎるので管理の手が届かないエリアはもちろんありますが、正規ルートを外れなければ観光地観光地したところです。正規ルートを外れなければね。

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ペトラに来て思ったことは、こういう光景には日本ではまずお目にかかれないだろうなということです。なぜかというと、地質がちがうというか自然条件がちがうというか、私は地学的なことはよくわかりませんが、とりあえず日本の地層でこういう深い渓谷はできないんじゃないかと思います。ここ、雨が降ったら水が雪崩のように降り注いできて水死しそうです。

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谷間を歩いていくと宝物殿(エル・ハズネ)が出てきます。

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私は大学のときに読んだ『オリエント夢幻紀行』って本がすごい好きなのですが、エル・ハズネはこれの表紙になっています。同じものを見れて感激。ちなみにこの本は、巖谷國士氏によるエジプト、シリア、トルコ、ヨルダンの旅行記です。今行くには危ないエリアが多いですが、もし治安が回復したら、私はいつかシリアのアレッポダマスクスパルミラ遺跡に行ってみたいなと思っています。

図説 オリエント夢幻紀行 (ふくろうの本)

図説 オリエント夢幻紀行 (ふくろうの本)

ちなみに、ペトラペトラといいますが、ペトラは紀元前1世紀以降にナバタイ王国の首都として栄えていたという記録が残っているそうです。が、それ以外のことに関してはよくわからないんだとか。途中、ローマ帝国に併合されたそうです。

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1812年、スイス人の探検家ヨハン・ルートヴィッヒ・ブルクハルトが地元民族のベドウィンに案内してもらい、この場所を「再発見」したらしいです。首都としての機能を失った7世紀中頃からこの19世紀まで、1000年以上ペトラは廃墟だったんですね。カンボジアのアンコール遺跡も歴史の表舞台から姿を消し廃墟化した時期がありますが、一度人々に忘れ去られた場所を訪れてみるというのはちょっと不思議な心地がします。

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エル・ハズネは比較的すぐ見られる場所にあるのですが、正規ルート最奥の修道院(エド・ディル)に行くまでは超大変。険しい山道を1時間くらい登っていかなくてはいけないからです。

ここまで行くのめっちゃ大変だったので途中を省略せねばならぬのが非常に惜しいのですが、延々と1時間灼熱の太陽の下を歩いた話をしてもしょうがないので、こちらがエド・ディルです。

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これから行きたい場所

私がこれまで訪ねた国は、14カ国。20歳のときに初めてパスポートを取得して1人で台湾に行ったときから、ほぼ毎年どこか海外を旅行していました。ただ、時間とお金の制約があって毎回1カ国とか2カ国しか訪れられなかったので、そこまで数は多くないなと自分では思っています。

この旅行をする前、私が行ってみたい行ってみたいと夢に焦がれていた国はイスラエルでした。なぜイスラエルだったのかというと、3つの宗教の聖地として常に歴史上欠かせない土地であったその場所に行けば、自分のなかの人間観みたいなものが変わるのではないかと思っていたからです。なんか、「人間の本質」みたいなものに迫れるのでは!? と思っていました。

で、結果はどうだったかというと、迫れたといえば迫れたし、迫れなかったといえば迫れませんでした。迫れなかった理由を簡単にいうと、イスラエルというのは西欧社会に文化の基盤があるので、中東にあって問題も多いけれど雰囲気はヨーロッパとあんまり変わらないと思ったからです。つまり、東京やニューヨークやロンドンやパリやソウルと同じだった。少なくとも私はそういう印象を受けました。

じゃあ「人間の本質」とやらに迫るため、次に私が目指さなければならないのはどこかというと、それはおそらく、我々と文化の基盤をより共有していない地になると思うのです。たとえば、パプアニューギニア。南米でもいいかもしれない。今回の旅でいえば、イスラエルよりはモロッコのほうが「文化のズレ」があったので発見は大きかったです。

しかし、そういう地に赴くのはハードルがすごく高いです。アフリカ、パプアニューギニア、南米、より治安が悪いところ、よりインフラが整っていないところ。そういうところに行くためには、もっと語学ができないといけないし、もっと体が丈夫でないといけません。いざというときに逃げる能力とか、危険を察知する能力とか、全体的なサバイバル能力を上げないといけません。えー、だから私は頑張ろうと思います。

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ペトラは砂漠じゃないけど砂漠感が凄かったです。ラクダがいっぱいいるし、歩いていると砂まみれです。