最近、内田樹氏の本を立て続けに読みました。
そのなかの一冊が、『呪いの時代』という本です。最近エントリを書いた『ワーク・シフト』という本ですが、実はこの『呪いの時代』も『ワーク・シフト』に通じるところがあり、新しい時代を生きていくうえでほかの人と共有したいヒントが、たくさんあったのです。
今回は、そんな内田先生の『呪いの時代』のなかで、私がほかの人と共有したいと思ったヒントをまとめてみました。
ものをぐるぐる回す
リンダ・グラットン(『ワーク・シフト』著者)さんのように、内田氏も、未来を予測するいくつかのキーワードを本書のなかであげています。そのなかの1つに、「交換経済」から「贈与経済」へのシフト、というのがありました。
現在、日本もヨーロッパ諸国も先進国は深刻な経済不況に陥っています。この経済不況を脱却するために、内田氏の知り合いの経済学者の方が、とてもシンプルな案を提案されていたそうです。それは、「とにかく低所得者層に100万円ずつ金をばらまこう」ということ。そうすると消費活動が活発になり、雇用状況もよくなると。
実際にやるにはいろいろと問題のある政策だろうとは思いますが、もとをたどれば、経済不況とは「お金がぐるぐる回らなくなっている」ところに原因があるわけです。これを「ぐるぐる回る」ようにすればよい。
お金がぐるぐる回らなくなっている原因は、一部の人がお金を退蔵している、もしくは「お金をお金で買っている」からだといいます。
たとえば、私は最近30代の女性が“金(きん)”のセミナーに殺到している、という記事をどこかで読んだのですが、金(きん)もお金も、それ自体は持っていても何の意味もないわけです。食べられないし、着られないし、字も書けないし。お金も金(きん)も、何かと交換して、初めて効力を持つものです。
それが、アメリカ的な金融経済の影響で、投資や株や金(きん)など、「お金をお金で買う」という経済活動をする人が多くなった。でも、それは厳密にいえば「経済活動」ではない、と内田氏はいいます。お金を使って食べ物を買ったり、洋服を買ったり、鉛筆や消しゴムを買ったりするのが「経済活動」だと。「お金をお金で買」っていては、経済的に豊かな一部の人のみ、非常に狭いサークルのなかでしかお金が回らない。その結果が、今の経済状況なのでは、というわけです。
なので、ここは基本にかえって、「お金をぐるぐる回す」ためにはどうすればいいか考える必要がある。そこで、「とにかく低所得者層に100万円をばらまけばいいんでは?」ということになるんです。低所得者層なら、食べ物や洋服など、とてもシンプルな経済活動にお金を使ってくれるのではないかと。(パチンコに消える可能性もあると思うけど)
「お金をお金で買う」以外にも、これまでの経済は、食べきれないほどの食べ物を買ったり、着られないほどの洋服や必要以上のかばんや時計を買ったり、そういうことが価値ある経済活動だとして認められてきました。でも、そんなふうに価値あるものを退蔵するのは、厳密にいえば「経済活動」の本筋からかけ離れているのでは、ということです。
「ものをぐるぐる回す」。貨幣でも商品でも情報や知識や技術でも、価値あるものをどんどん次に「パス」していく。できるだけ大きい範囲で、いろんな人が関わるようなかたちで、ぐるぐるぐるぐる、回していく。それが健全な「経済活動」であり、未来はもう一度その基本に立ち返って、今までの「交換経済」から、「贈与経済」にシフトしていく――そうなるのではないかと、内田氏はいっています。
これは『ワーク・シフト』の“第3のシフト”に通じるところがあるし、今もうすでに、この動きはそこかしこで起きていると、私は感じます。みんな、過剰に所有することをやめはじめている、と感じます。
私も最近、過剰に所有することに、意欲がなくなっています。単に老けたせいかと思っていたけど、時代の流れもあるのかもしれない。服もかばんも、すごく気に入っているものが必要最低限あればいい、とか思ってます。大学のときはあれもこれも欲しかったんですけどねー。
多様性を確保する
『ワーク・シフト』を紹介したちきりんさんも、『ニートの歩き方』のphaさんも、私の好きな人(?)はみんな、「多様性の確保が大事」といいます。今まで私は、それを「いろんな人がいたほうが確かに気がラクだよねー」ぐらいにしか思っていなかったのですが。
内田氏もまた、「多様性の確保が大事」と、本書でいっています。その理由は、全員が同質であり、数値的な能力差だけがある社会では、「想定外」の入力に対応できず、わずかな躓きで崩壊してしまうから、だそうです。以下は、非常に印象的だったので引用します。(P249)
みんなが同じ方向を向いて進む先に断崖があれば、全員ぱたぱたと墜落死する。そのとき、さしたる理由もなく、「オレはそっちに行きたくないね」と別行動をとる個体が一定数いれば、集団は全滅を回避できる。生物的多様性というのはそういうことである。システムの適所に「付和雷同しないもの」をつねに一定数確保しておくこと。それは「システムクラッシュの回避」という点において必須の配慮なのである。
私としてはすごく納得というか、腑に落ちるのですが、いかがでしょう。
でも、「一億総中流」とか「一億一丸となって……」みないな文句が大好きなどこかの国は、果たして未来の世界にちゃんと適応できるのだろうか、という一抹の不安も出てきますよね。だから、そこは今の30代・20代・10代――若者が、変えていくしかないんだと思います。そして、自分を含む今の若者は、きちんと「そっちの」方向にアンテナをはれている、と私は思っています。
ノブレス・オブリージュ
「ノブレス・オブリージュ」という言葉があるそうです。
「ノブレス」とは、一般的には、貴族やその高貴さのことを指します。日本は(本当はちがうのに)全員が平等であり均質な社会なので、「貴族」というのは存在しません。だからちょっとわかりにくいのですが、欧米でいう「貴族」は、生まれながらに経済的にも教育的にも恵まれています。でも、「貴族階級の家庭に生まれた」のは、まったくの偶然であり、本人の努力でも何でもありません。だから、貴族は自分が受けた恩恵を、他の人にも分配、オブリゲーションしなければならないという、いい意味での“負い目”があるらしいのです。これが、「ノブレス・オブリージュ」。
内田先生は、この「ノブレス」を「貴族」だけではなく、万人がいろいろなかたちで持っているものだ、といいます。
たとえば、自分以外誰も気づいていないことがある。自分にしか見えないものがある。そういうものがあるのならば、その人はそれをほかの人に知らせるべきだと。もう少しわかりやすい例でいえば、力のある人は腕力を、絵の上手い人は絵を、知力のある人は知力を、隣人に捧げる。これが、内田氏がいう「ノブレス・オブリージュ」です。
内田氏の話はちょっと抽象的ですが、これは『ワーク・シフト』の第1のシフトにつながるものだ、と私は考えます。
『ワーク・シフト』のリンダ・グラットンは、2025年の社会において「高度な専門技能」を身に付けたスペシャリストになることが必須だ、といっています。「高度な専門技能」とは、価値を生み出せ、希少性があり、まねされにくい技能のことです。
私たちはついついこれを短絡的に「使える資格」とか「食いっぱぐれない業界」っていうふうに考えてしまい、それで「私ムリ…」とか「オレ安泰!」とか思ってしまいますが、たぶん本当はそんなことじゃないと思うんです。というか、思いたい。
リンダのいう「高度な専門技能」とは、内田氏のいう「ノブレス」のことだと、私は解釈しました。
生まれながらに持っている、その人にしかない特異性。
とかいうと、またいつか流行ったような「自分探し迷路」にはまってしまいそうですが、重要なのは「ノブレス」を「オブリゲーション」していくということです。というか、オブリゲーションできないようなノブレスを探して見つけても意味ないでしょう。
「ノブレス」自体は誰もが持っています。それこそ、何の努力もせずに、生まれながらにして。重要なのは、それを価値を生み出せ、希少性があり、まねされにくいというところまで、その人が努力によって昇華させることができるかです。そして、昇華させたあと、それを独占せずに、隣人に捧げられるか、オブリゲーションできるかです。
ものをぐるぐる回す。ぐるぐる回すのは、貨幣や商品だけではありません。
一番初めの話に戻りますが、価値を生み出せ、希少性があり、まねされにくいというところまで高めた「高度な専門技能」「ノブレス」を、ぐるぐるぐるぐる、回していく。ほかの人にパスしていく。そしてその「ノブレス」は、いろんな種類があっていい。むしろ、いろんな種類がないといけない。多様性を確保しなければならない。
そういうことなのかな、と思いました。最後はちょっとこじつけっぽいですが、『ワーク・シフト』の補強として、『呪いの時代』、おもしろかったです。

- 作者: 内田樹
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