大バッシングされるのを覚悟で告白しますが、私は、サッカーおよびワールドカップがきらいです。
「決して負けられない戦いがここにある」的なキャッチコピーもきらいだし、青いユニフォームを見るのもきらいだし、ワールドカップのテーマソングになっている曲もきらいです。
どうして私は、ワールドカップがこんなにきらいなんだろう?
これまでは、その原因を深く考えることはなく、ただ「きらいきらーい」といって避けてきただけだったのですが、ある本を読んで、一度その理由を、腰を据えて考えてみることにしました。
- 作者: 古市憲寿
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/06
- メディア: 単行本
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著者は、東大の博士課程に在籍している古市憲寿さん。85年生まれで26歳とのことなので、ちょうど私の1つ上です。
現在、日本の若者の多くが、「世代間格差」のもと、非正規雇用であったり、大学を卒業しても就職先が見つからなかったりと、不安定な生活を余儀なくされています。しかし、統計によると、20代の若者の75%が、「現在の生活に満足」しているというのです。
これはいったいどういうことなのか? 古市さんは、ワールドカップの夜に渋谷でさわぐ若者たちや、ネット右翼のデモに参加する若者たち、震災後にボランティアや募金に立ち上がった若者たちを、取材します。
うさんくさい、「ニホン」
私がワールドカップをきらいな理由は、おそらくそれが国民的なイベントとして、「日本」というくくりで語られるからです。
ワールドカップの期間中、テレビやネットの世界ではもちろん、会社へ行っても学校へ行っても、話題はサッカーのことばかり。スーパーやコンビニでもワールドカップ関連の商品にあふれ、日本中がお祭り騒ぎです。
そこへ1人、興味関心をしめさず普段どおりでいると、あっという間に非国民扱い。笑
いいですよ、4年に1度のことですから、サッカーが好きな人たちがワールドカップでもりあがるのは。
でもなぜ一緒に、サッカーに興味関心のない私まで、「日本」を応援しないといけないのですか。
二〇一〇年のワールドカップでは、本田圭佑(二四歳、大阪府)という選手が一躍、日本中のヒーローになった。サッカーに興味のない僕でも本田くらい知っている。しかし、なぜ僕たちは本田圭佑を応援することができたのだろうか。
本田圭佑を応援した多くの人にとって、本田圭佑とは血縁関係にあるわけでもないし、直接話したこともないはずだ。多くの場合、彼を応援した人と、彼の関係は、ただ同じ「日本人」というだけである。
なぜ当たり前のことをわざわざ文字にした? と思うだろうか。だけど、よくよく考えてみるとおかしくないだろうか。
なぜ一度も会ったことがない人を、僕たちは応援できるのか。(P123)
上は本からの引用ですが、その通り。
本田選手が高校の先輩だとか、中学の同級生だとかいうのなら話は別ですが、彼と私たちの多くをつなぐのは、「日本人」という共通項だけです。
ところで、この、「日本人」という概念ですが、誕生したのは実は明治時代です。
江戸時代以前の人たちの多くは、「日本」という単位で何かを考えることは、なかったといいます。
「国」といったらそれは、「藩」や「村」を意味していました。
当時の人たちはその多くが、生まれた場所から出ることなく、一生を終えました。だから、日常生活において「外国」に接触する機会なんてなかったのです。「外」がいなければ、「内」を意識することはありません。さらに身分制度があったので、受けた教育もちがうし、考えていることはバラバラ。思想を統一するようなマスメディアも、まだ登場していません。江戸時代以前の人々が、「日本人」という“想像の共同体”をもつことは、とても難しかったし、その必要もありませんでした。
そんな日本列島の人々に、「日本人」という概念を刷り込んだのは、明治政府。黒船がやってきて、欧米列強からいつ侵略されるかわからない。そんなとき、国のために戦ってくれるのが「武士」だけでは、心許ない。なので、身分制度を廃止し、義務教育で「日本の歴史」を教え、とにかくみんな「日本人」にして、「国民」みんなで戦争に立ち向かおう。そうしてできあがった概念が、「日本人」です。
私たちは、ワールドカップやオリンピックでもりあがるとき、「ニッポン、ニッポン」とさけびますが、改めて「日本」という概念をふり返ってみると、その「ニッポン」とは、いったいだれのことをいっているんでしょうか。
「日本列島に住む人」でしょうか。「日本国籍を有している人」でしょうか。はたまた、「大和魂」的なものがある「サムライ」ならばOKなんでしょうか。
ワールドカップと同じ理由で、実は私、震災後にやたらさけばれるようになった、「日本の力を、信じてる」とか「日本が一つのチームなんです」とか「日本は強い国」みたいなフレーズも、きらいなんです。
古市さんは本書で、「ワールドカップがずっと続いてるみたいだ」と遠慮がちにいっていますが、私も、口に出せないまでも同じことを考えていたので、思わず唸ってしまました。
私は、震災によって被害にあわれた人たちのことを、心から気の毒に思いますけど、それは「同じ日本人だから」じゃありません。スマトラ島地震で被害にあわれた人も、ハイチで大地震に見舞われた人も、同じように気の毒に思います。
もちろんスマトラ島やハイチより東北地方のほうが距離的に近いですし、復興支援は「日本」の税金で行なっていくので、外国の地震よりも、私たちが復興のためにできることは多いと思います。
でも、「日本が一つのチームなんです」みたいな言葉を使って、自己陶酔しているというか、震災をダシにもりあがっているというか。
本気で東北地方の人々のことを想い、本気で力になりたいとボランティアに出向いた人たちもいるとは思いますが、私は、「絆」みたいな言葉で括られる、そんなうさんくさい「ニホン」が、あまり好きじゃないのでした。
同じ理由で、たまに起業家の人がいう「日本を元気にしたいんです」というセリフにも疑問を感じます。日本というのは、具体的には、どこのだれ? それとも、日本のGDPをあげたいって意味?
ワールドカップの話はあくまでネタというか、笑い話ですが、私は「ニホン」という括り、概念が、どうしてもきらいです。「ニホン」という言葉を使うとき、私たちは「ニホン人」以外の人々を、疎外してしまう気がするのです。
「日本の未来」ってだれの未来?
本書で古市さんは、ワールドカップの夜に渋谷でもりあがる若者たちに続いて、休日のデモに参加する若者たちにも、取材を行ないます。
彼らにデモに参加したきっかけを聞くと、mixiの「誰だよ民主党なんかに投票したの」というコミュニティを通じて知り合ったとか、インターネットのニュースサイトをたどっていった結果イベントのことを知ったとか……始まりは、何ともカジュアルです。
彼らはしきりに、「このままでは日本がやばい」とか、「頑張れ日本」とか、そういうことを口にします。
確かに、政治や法律や税金体系などは現状「日本」という国家の単位で動いているので、「日本」という枠組みで考えざるをえないこと、というのは存在します。
でも、「日本は強い国」のように、精神的・文化的な意味で「ニホン」を語る人たちに、私はやっぱりアレルギー反応をおこしてしまうんですね。
日
本さえ強い国になれば、他の国はどうでもいいのでしょうか。日本に住んでいる外国人とかは、どうすればいいのでしょうか。彼らのいう「ニホン」とは、いったいだれのことを指しているのでしょうか。
私にとって、「日本」という国はただのインフラです。税金を払う相手です。日本国籍をもっているので、法律は守ります。
外国に行くときは、日本のパスポートがほしいです。そして、私に何かあれば、国家の力である税金と法律で、守ってほしいです。でも、私にとっての「日本」はただそれだけの存在なんだなと、この本を読んで気付いてしまいました。
もちろん、日本語や日本の文化はすばらしいと思うけれど、私にとってそれは、フランス映画やイタリア・ルネサンスの絵画やチェコ映画をすばらしいと思う気持ちと、何ら変わりありません。そして、極端な話、「日本」という国家がなくなったって、「日本の文化」は残していくことができます。
古市さんはこの本で、興味深いデータを提示しています。
それは、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という質問に「YES」と答える、日本人の割合です。
この質問に「YES」と答えたのは、全体で15.1%だったらしいです。参考までに、スウェーデンでは80.1%。
さらに、15歳から29歳までの若年層に回答をしぼると、何と「YES」は7.7%にまで減少するというのです。
古市さんいわく、「ぶっちぎりで低い国防意識」。確かに。なーんだ、みんな、「ニッポン、ニッポン」ともりあがるわりには、いざとなったらアッサリしてますね。
ちなみに、私ももし日本が戦争を始めたら、絶対に国のためになんか戦いません。とっととさっさと逃げさせていただきます。
そのために「日本」がおわっても、かまいません。
自分と、日本列島に生きる人々の命が、助かるならば。
自分と、まわりの大切な人と、日本列島に生きる人々、アジアに住む人々、ヨーロッパやアメリカ、アフリカや中東に住む人々が、そのほうが幸せになれるのならば、「日本」なんてなくてもいいと、私は思っています。
私は確かに「日本人」です。日本列島に住んでいて、日本語を母語として話していて、日本国籍を有している、という意味において。
でも、だからといって、「強い国チーム」のメンバーになった覚えはないし、国のために死ぬのなんていやだし、何かの思想を強要されるのもごめんです。
★★★
2014年、ワールドカップ*1。
あなたが青いユニフォームを着て応援している「ニッポン」って、
いったい、だれのことなんですか?
【追記】
こちらは2012年に書いたエントリです。現在の自分は考え方がまた変わっていますが、当ブログは所詮個人ブログなので、これはこれで残しておきます。
当エントリについてご意見をメールでいただくことがありますが、繰り返すように現在の私は考え方が変わっているため、対応することができません。ご了承ください。
*1:文の途中でもいってますけど、ワールドカップはネタですからね、ネタ。サッカー好きな方、ごめんなさい。笑