私のなかの何かが「『ニコニコ超会議2015』に行ってみたい!」と雄叫びをあげていたので、先日実際に行ってきてみました。
目当ては「超言論エリア」で開催されていた岡田育さん・金田淳子さん・二村ヒトシさんによる「オトコのカラダチャンネル」で、会場にいた大半の時間はここで過ごしました。*1
ch.nicovideo.jp
だけど私、実は「ニコニコ動画ってなに?」とキョトンとしてしまうくらいネット文化に慣れ親しんでいない、インターネット非原住民なんですね。目当てがあったとはいえよくそのテンションで行ったなというかんじですが、みんながすなるニコニコ動画といふものを私もしてみむとてするなりと思いまして、会場に足を運んでみたわけです。
今回は、そんな「ニコニコ文化がよくわかっていない人から見た『ニコニコ超会議2015』」ということで、この界隈に詳しい方にとっては外部の人間から見たある種の資料として、また「ニコニコ動画ってよくわかんないんだけど子供が来年の超会議に行きたいといってる」みたいなお父さんお母さんに読んでもらえたらいいかと思います。
ニコニコ動画ってなに? ニコニコ超会議ってなに?
「ニコニコ動画」とは、株式会社ドワンゴが設立し、子会社ニワンゴが提供している動画共有サービス。登録会員数は4000万人を超え、通称「ニコ動」とよばれているそうです。
で、その本体の動画とはどういうものなのかというと、私の認識では「右から左にコメントがいっぱい流れてくる動画、そのコメントは会員になると流すことができる」ということになってるんですけど、合ってますか? 私のなかではこの「会員になる」というのが、作業自体は全然たいしたことないんですけど心理的にハードルが高くて、ニコニコ動画になかなか近付けなかったのはそれが原因だと思います。下記の動画はログインなしで見られましたが、会員登録しないと見られない動画もあります。動画にはいろいろな種類のものがありますが、オタク系のコンテンツが充実しているようです。
で、そのニコニコ動画から生まれた「ニコニコ超会議」とは何かというと、”「ニコニコ動画(通称:ニコ動、ニコニコ)」のすべて(だいたい)を地上に再現するニコニコ最大のイベント”とのこと。2015年のリアル来場者数は151,115人、ネット来場者数は7,940,495人を記録し、リアル来場者数は2014年の12万人、ネット来場者数も2014年の780万人を上回っています。ようするに、ネットで視聴するぶんにはともかく、リアルに行くとなると「超混雑に巻き込まれる」というわけです。帰りの海浜幕張駅とかけっこう大変。
会場には「超ボーカロイドエリア」とか「超踊ってみた」とか「超コスプレエリア」などの100以上の企画ブースがあって、ネットサーフィンをするかのように好きなエリアを気分で見てまわれます。フラフラ歩いているだけで高頻度でコスプレイヤーさんとすれ違えます。レイヤーさんは、かわいいです。あとフードコートもあります。
ただし下記のツイートでいわれているように、「ネット空間をリアルに再現する」というのはなかなか難しい。ネット上でサーフィンする限りにおいて人は〈身体〉を持たないけれど、現実に空間を移動するとなると、そこでは人混みをかき分けなければならなかったり、行列に並ばなければならなかったり、そもそも海浜幕張駅まで電車などで行かなければならなかったり、足が疲れたりします。
ネットの空間をリアルに展開するにあたってその矛盾が出るのが階の移動とか館の移動とか「体が疲れる」ということであって、2階の人工地盤や連絡ブリッジが渋滞していたり来場者がぺたんと座り込んでいるのを見て仮想平面をリアルに再現するには限りなく滑らかな平面がなければいけないことが分かる。
— Ryuji Fujimura (@ryuji_fujimura) 2015, 4月 26
そうそう、疲れてぐったりして地べたに座り込んでいる人、けっこういましたね。
だけど、家でネット視聴もできるそのイベントになぜわざわざ15万人もの人がリアルに足を運ぶのかというと、そんな〈身体性〉をみんなが求めているからなんだろうなあと思います。家を出てでかけるというワクワク感、目の前に実際にたくさんの人がいるという高揚感。建築の設計によってどこまでリアルをネットに近付けることができるか、というのはめちゃくちゃ面白い試みだと思いますが、本当に完全にフラットな状態、完全なるインターネットの世界を再現してしまうと、人が会場に足を運ぶ理由はなくなってしまいます。実際問題としては、どんなにフラットな空間を生み出しても「家からその会場のある駅まで行く」という行為自体は外せないわけですが、この「不完全な再現」こそが、このイベントの醍醐味なんだろうなと思います。
お父さんお母さんにおかれましては、インターネットとリアル、現代における〈身体性〉を考えるためのイベントとしてニコニコ超会議を考えると、なかなか面白いかもしれません。私ももう少し長く会場にいて、いろんなところをまわってみれば良かったかなと思ってきました。
ニコニコは、スーパーフラットでエントロピー
さて、ここからは超会議の話からは離れますが、イベントに参加するにあたってドワンゴの代表取締役会長である川上量生さんの『ニコニコ哲学』という本を読みました。
- 作者: 川上量生
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2014/11/14
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (5件) を見る
本のなかで印象的だったのが、川上さんの「メディアの使命が『批判』である時代は終わった」という言葉でした。旧来のメディアは権力を批判するというスタンスを強く持っていましたが、もう権力は十分たたかれたと。だから今後のメディアは、ただ淡々と”情報”を流せばいいのだと。偏った情報も、偏っていない情報も、思想を持った情報も、思想のない情報も、すべてを等価値のものとして、フラットな状態で流す。ニコニコ生放送は政治のチャンネルも持っているそうなんですが、こういった理念で運営されているんですね。
川上さんのこの「ただ垂れ流す」という試みに対して、何人かの新聞記者の方が「無責任だ」と怒ったこともあるそうです。だけどこの「すべての情報をフラットに扱う」という思想は、まさしく私が先日観た映画『インヒアレント・ヴァイス』の原作者であるトマス・ピンチョンが描く「エントロピー」の世界だなあと思いました。aniram-czech.hatenablog.com
「エントロピー」とは熱力学の用語で、ピンチョンの小説の世界を説明する場合においては、すべてが等価値となり無秩序化していく様子を表します。私のなかではトマス・ピンチョンとニコニコの文化が完全にリンクしたので、「なるほど!」と思いました。
超会議の話にもどると、イベントには「大相撲超会議場所」というエリアがあって、そこで実際に相撲がとられていたのですが、これを編集されたニコニコ動画で見ると非常に面白い。リアルで相撲をとる力士のまわりにアニメのような光の渦が巻いていて、会場である幕張メッセから煙みたいなのが出ているんですね。日本の伝統文化を、アニメのような演出をすることでフラットにしているように見えます。ボーカロイドも、相撲も、将棋も、素人も、著名人も、ハイカルチャーもサブカルチャーも、すべてを同じ舞台へ。幕張メッセにピンチョンを招待したら喜ぶんじゃないかと思いました。
まとめ
さて、とても楽しく大成功のうちに終えた(と思われる)「ニコニコ超会議2015」ですが、それとこれとはまた別の話で、「すべてを等価値にしてしまう」ことによって今度はどんな問題が起こるのか、というのはちょっと考えていきたい話ではあります。ニコニコの世界にあるようなスーパーフラットな文化・価値観は、今後ますますインターネットを飛び出して、私たちのリアルな世界を席巻してくるでしょう。
ただし、これはもちろん「もう一度大手メディアやハイカルチャーに権威を取りもどそう」ということではありません。いったん無秩序化してしまったものを、元にもどすのは無理です。「エントロピー」という言葉が説明しているように、お湯と水を混ぜるとぬるま湯ができるけど、ぬるま湯をお湯と水に分解することは不可能だからです。
さて、私たちが次にぶつかるのは、どのような壁か。
来年のニコニコ超会議に参加される方は、そんなことを考えてみると、イベントを少しちがった角度から眺めてみることができるのではないでしょうか。
*1:路地裏のチンピラは脳を共有しているらしい