「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」
とは、かの有名映画の名台詞ですが、この台詞がここまで広く知られるようになったのって、やっぱり我々のような働く日本人の気持ちを代弁していたからだと思います。私自身も、仕事をしながら「現場で起きてるんだ!」と唇を噛み締めたことが、何度あったことでしょう。
しかしそれはそれとして、なんとなく最近の雰囲気として、「現場最優先」「現場第一主義」みたいな風潮が本当に強くなってきたよなー、とかんじていて、それは間違いではなくてむしろ正しいんですけど、ようはこういうのってバランスだと思うんですよね。会議室が必要ないわけじゃないし、理屈がまったくいらないわけではない。今回は、上記のタイトルのことと、このあたりに関する雑感を書こうかと思います。
★★★
なんでこんなことを考えたのかというと、先日五反田のゲンロンカフェにて東浩紀さんと斎藤環さんのトークショーを見てきたからなんですけど、ここで語られていたことが、私のなかですっごく腑に落ちたのです。
東さんは対談のラストで、「批評家にとって必要な3つの能力」について説明していました。しかしこれは、別に”批評家”を目指している方だけじゃなくて、webライターみたいな人でも、なにかしらのアウトプットを定期的に出そうとしている人ならだれでも参考になるんじゃないかと思うんです。冒頭の話と絡めながら、紹介していきましょう。
1・同時代性
1つめは「同時代性」。これに異論をとなえる人はまずいないんじゃないかと思います。いわば「現場を見る力」であり、私は「ヨコの力」といってもいいのではないかと思います。つまり、いかに的確に「今起きていること」をかんじとれるか、表現できるかということですね。
私自身のことをいうと、自分はこの能力が本当に欠けているなあと思います。だから今年は、年始から「現場を見ろ!」「フィールドワークだ!」みたいなことをブログで連呼しているんですけど(気付きましたかね)、「連呼してるだけやないかい」といわれると腰がヨヨヨ……ってなっちゃいます。
しかし、私以外の人のことをいうと、この「同時代性」をかんじる能力を持っている人ってすごくたくさんいて、私からすると羨ましいのですけど、それってようは他の人と差別化できないということ(かもしれない)です。だから、「俺は同時代性はあるぜ」という方は、次の項目を参考にしてください。それと、私に同時代性を身につける方法をあとでこっそり教えてください。
2・伝統を継承する
今回私が冒頭の話と絡めていいたいのはこれで、たぶん「?」という方も多いと思うので若干説明しづらいのですけど、「伝統を継承する」とは、「自分の思想(思考)がだれの系譜を継いでいるのか」を意識すること、表現していくことです。これは「タテの力」といってもいいかもしれない。まったくのゼロからオリジナルの考え方を紡ぎ出している人ってそうそういないはずで、自分は絶対にだれかの思想の影響を受けているわけです。それをしっかり意識すること、またやってもいいなと思う人は「この人の影響を受けてます」って表明しちゃうこと。私自身のことをいうと、自分は出身大学でお世話になった某映画評論家の思想を色濃く受け継いでいます。だいぶ前のエントリですが、このブログでいうと以下の話と近いかもしれません。
ただ、ここからは東さんの話とは離れるんですけど、その「自分が影響を受けた人」もまた、だれかの影響を受けているわけです。歴史は延々とさかのぼることができます。だからそれを、できる限り過去までたどってみましょう。最終的に行き着くのはギリシャの哲学者とかになるかもしれませんが、それくらいまで、紀元前までさかのぼってみること。
とかいっている私も紀元前までは全然いけてませんが、とりあえず60年代くらいまでは、今さかのぼってみているところです。「こう来てこう来てこうなったのね」というのがわかると、自分の思考の立体度が増します。実際の視界の話と一緒で、PCの画面を間近で見ているとPCの画面しか目に入りませんが、一歩身を後ろに引いてみると、視界が広がるんですよね。まあ、私は後ろに下がりすぎてPCのなかの文字が見えなくなっているわけですが。
これってようは、現場からちょっと離れた”会議室思考”なんですよね。「現場ではちがうんだよ!」といわれると、会議室思考の強い私は「でもさァ……」と後ろでブツブツいうしかなくなるんですけど。会議室の話し合いもちょっとは考慮に入れてよ、と。「僻みかよ」という話ですが。
信じるか信じないかはあなた次第というアレですが、私はこの伝統性とか、「タテの力」っていうのも、長期的には絶対に必要だと真面目に思っています。結局はバランスの話で、現場と会議室が綱を引っ張り合っていて、現場のほうが若干優勢な今の時代の雰囲気がいちばんいいのかもしれません。ただ、綱を完全に現場に引き渡してしまうと、それはそれでちょっと危ういんじゃないか、ということを言い添えておきたいわけですね。社会のなかでも、1人の人間の思考のなかでも。トークイベントの話にもどすと、東さんのいう福島原発とか、チェルノブイリの話を聞いていてそう思いました。「福島の人がいいっていってんだからいーじゃん」っていう現場第一主義の雰囲気は、すごく説得力はあるのだけど、本当にそれで大丈夫なのかと。このあたりは、私もまだ頭のなかを整理中なので、あまり多くは語りませんが。ブツブツ。
3・パフォーマンス
というわけで冒頭の「現場VS会議室」の話は終わってしまったので、最後はオマケですが、オマケといえどもこれは文章を書く人にとってはすごく重要な話です。同時代性と伝統に加えて、「パフォーマンス」。決め台詞みたいに、バシっと何かをキメちゃうことです。
学問の世界、批評家の世界ではこれが軽視されがちだというのですが、webの世界ではこれ得意な人は多いですよね。自分はというと、すごい得意なわけじゃないけどめちゃくちゃ不得意なわけでもない、くらいに思っています。でも、どちらかというと不得意よりかな。
ここまでだと「ふーん」というかんじですが、これって日本の伝統芸能とけっこう深い関係がある、という話が興味深かったです。歌舞伎でいう「見得」みたいなもので、静止状態でガッと注目させることができると、日本人てつい反応しちゃうようです。アニメにもこういう表現多いですよね。文章であっても同じだということです。
で、その「見得」ってどうやったら切れるわけ? という疑問がわきますが、これは私もまだ模索中ですけど、以前書いた「自分を殺す言葉をたくさん集める」というのがいいんじゃないかと思います。自分を殺すことができれば相手も殺せます。なんだか物騒な話になってきましたね。aniram-czech.hatenablog.com
★★★
ゲンロンカフェって初めて行ったのですが、楽しかったです。
あと本筋とは関係ないですが、上記のことに加えて、「ハーム・リダクション」っていう考え方がすごく面白かったです。オランダの政府がやっている薬物政策なんだそうですが、コカインなどのハードドラッグを本気で禁止するために、マリファナなどのソフトドラッグは許可しちゃうというものなのだそうです。ソフトドラッグも本当は禁止したほうがいいのだけど、それまで禁止にすると、結局ヤミ市場でソフトドラッグがハードドラッグと一緒に出回ることになり、かえって事態が悪化すると。アルコール依存症の治療現場でも最近は、完全に断酒するのではなく、「ちょっとなら飲んでもいいよ」というやり方のほうが効果があると実証されてきたのだとか。
これに似たような状況って今の日本でも起きていて、たとえばガチのカルト宗教(ハードドラッグ)とかにハマるのはやめたほうがいいけど、なんとなくスピリチュアル、なんとなくオカルト、つまりパワーストーンを買ったりパワースポットを巡ること(ソフトドラッグ)とかって流行ってますよね。まあハードドラッグにハマるよりはそっちのほうが全然いいんですが、東さんはこのような状況に関して、いいのか悪いのか少々言い澱んでいたし、私もこれはけっこう難しい話だと思います。ただ斎藤環さんは治療の現場を見ていることもあって、「いや〜でもね、人が”死なない”っていうのは大きいんだよね」というふうにいっていて、これは確かに重みのある発言でした。
半分ちかく私の愚痴みたいになりましたが、何かみなさんの参考になる部分があったら幸いです。