チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

魔物をつれて帰る

勇気を一度も知らなくて、わたしは悲しい。
恐怖が去ろうとしないので、わたしは悲しい。
太陽に近く、熱からは遠く、
わたしの終末はもうそこまで来ていると思う。
ピクニックは賑やかすぎて、足を踏みだせない。
テーブルは強すぎて、わたしは縁に蹙みついているだけだ。
誰でもいい、わたしは人の肩によりかかる。誰だってわたしよりは暖かい。
勇気を一度も知らなくて、わたしは悲しい。
恐怖が去ろうとしないので、わたしは悲しい。
太陽に近く、熱からは遠く、
わたしの終末はもうそこまで来ていると思う。

こちらはポール・ボウルズの妻、ジェイン・ボウルズが29歳のときに書いた『ある老女の歌』という詩なんですが、私は最近モロッコに憧れを抱きはじめまして、手始めにモロッコに関する旅行記を読んでたんですね。というわけで今回は四方田犬彦氏の『モロッコ流謫』の感想文なんですが、きっと今後もモロッコ関連の本はたくさん読むことになると思います。

モロッコ流謫 (ちくま文庫)

モロッコ流謫 (ちくま文庫)

キフとマジューンとポール、あるいはジェイン・ボウルズ

ポール・ボウルズは1910年、ニューヨークのクイーンズで生まれた作家なのですが、のちにモロッコのタンジェという町に移り住み、そこでベルナルド・ベルトリッチによって映画化されることになる『シェルタリング・スカイ』を書き上げます。『シェルタリング・スカイ』は、ニューヨークから北アフリカに移り住んだ夫婦が体験する過酷な砂漠の旅を物語った小説らしいのですが、これはまさしく自分たち夫婦がモデルなんでしょう。

で、『モロッコ流謫』にはそんなボウルズを四方田氏がタンジェまで訪ねた際の話が書いてあって、それも相当面白かったんですけど、妻のジェイン・ボウルズに関する話が私は好きだったのです。フィッツジェラルドも、スコットの話も好きだけどそれ以上に妻のゼルダの話が私は好きだし、作家の妻って探してみるとけっこう興味深い方がいる気がします。ちなみにジェインも夫と同じように作家で、『ふたりの真面目な女性』とかが代表作のようです。作家になったジェインは、サインを求められたときいつも「死せるジェイン・ボウルズより」と署名していたといいますが、私は影響されやすいのでこういうのをまた真似したくなってしまいました。死せるチェコ好きより。

ジェインはレズビアンで、ニューヨークで生活しているときも周囲に(特に母親に)理解されず苦しんでいたようですが、ボウルズと結婚して(ちなみにボウルズはゲイ)タンジェに移り住んだあと、現地の無学文盲のシェリファという女性と深い仲になってしまいます。夫婦であったとはいえ、ゲイのポール・ボウルズレズビアンのジェインがはたして男女の仲だったのか、それとも親友のような関係だったのかは研究者たちをも悩ませている問題らしいですが、とりあえずこのシェリファという名の女性は相当な魔性の女だったらしく、ジェインをいとも簡単に陥落させてしまいます。宝石から家屋の名義まで、思うままにジェインを操り我が物にしてしまったそう。

一説にはジェインの心を奪うために黒魔術を使ったとか、身も心も病んでしまうように長きにわたって毒を盛り続けたとかそんな話もあるようですが、誤解をおそれずにいうならば私はモロッコのそんな妖しげな挿話に心を惹かれてしまうわけです。

私は夫・ボウルズの小説をこれから読む予定なんですが、彼の作品にはキフとマジューンが暗い影を落としているといいます。キフはインド大麻の大葉を乾燥させて細かく刻み、パイプに詰めたり紙巻にして吸飲したりするやつで、マジューンは同じ原料のものをペースト状にしたもの。ボウルズはこれを、ジャムのようにしてビスケットに塗って楽しんでいたようです。ただしこちらのマジューンのほうは、使用法を間違えると悲劇的な結果を招くようで、ジェインはマジューンの飴を大量に食べて一晩中、幻覚と強迫観念に苦しんだことがあるといいます。

あとは、四方田氏が南スペインからジブラルタル海峡をわたり北アフリカの町タンジェに到着したとき、現地のタクシー運転手が「ジャポネ?」と声をかけてきたらしいんですね。それで車に乗れと営業してくるんですが、その営業のしかたがすごかったです。「魔物(ジュヌーン)がどこに隠れているかわからないから、あんたは車に乗ってホテルまでいかないといけない。連中は鉄とか金属を怖がるから、車のなかにいれば安全だ」っていうんです。そんなあやしげなこといわれたら、逆に営業に乗せられてしまう……。

ケーキとレモネードとジャン・ジュネ

タンジェでポール・ボウルズを訪ねたあと、四方田氏はフェズに行き、アトラス山脈を越えてマラケシュへ向かいます。そして再び北上しララーシュへと向かうのですが、このララーシュという町には、『泥棒日記』を書いた作家、ジャン・ジュネのお墓があるらしいです。

泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)

ジュネの文章はサルトルコクトーに評価されながらも、彼自身は泥棒であり、乞食であり、男娼であり、牢獄を出たり入ったりを繰り返していました。私は学生時代に読んだ『泥棒日記』の、悪臭たちこめる獄中の描写がとても印象に残っているんですけど、ジュネのお墓がモロッコにあることをこの旅行記で初めて知りました。

1974年、63歳のジュネは、モハメッド・エル・カトラニという26歳の青年と、タンジェの路上で出会ったといいます。職も家もないカトラニはキフを吸いながら、ジュネを見て「なんだ、フランス人か」と相手にしなかったのですが、ジュネはフェダイー(パレスチナのゲリラ兵士)だ、と答えて彼をパリへ連れて帰り、俳優に仕立てあげようとしたらしいです。だけどカトラニははじめて見たパリの劇場で、何もできなかった。彼を俳優にする夢は諦め、ジュネはフランス国家に死ぬまで税金を支払わないと心に決め、この青年とモロッコで時間を過ごすことにします。

カトラニはジュネと関係を持ち続けながらもフェズの女と結婚し、2人の間には子供が生まれます。子供の名前は、パレスチナ解放機構パリ支部の代表からとって、イッズ・アッディーン。

窃盗と男娼を繰り返し、母国フランスを拒否し続けた晩年のジュネと、年下の愛人カトラニ、その妻、そして幼いイッズ・アッディーンという4人家族の生活は、その歪さからもわかるように上手くいっていたとはいい難い部分もあったようですが、ジュネはこのアッディーンくんをとても可愛がっていたらしいです。彼を格式のある学校に入れてギリシャ語やラテン語やピアノを勉強させ、彼の誕生日にはケーキとレモネードを両手いっぱいに抱えて学校を訪れたとか。私はこのエピソードを読んでなんだか泣けてしまったのですが、孤児として生まれ社会に背を向け続けてきたジュネが、モロッコという異郷で幸福な晩年を送っていたということがわかってなんだか良かったです。アッディーンくんは「パパの恋人」である初老の男をどう思っていたのか知りませんが、きっと暖かい幼年時代の思い出として記憶されているのではないでしょうか。

嘘みたいでバカみたいな個人的な話をはさむと、先日「洗脳された結婚願望を抱き続ける女たち | チェコ好き - SOLO」というコラムを書いたんですけど、これを公開してみなさんに読んでもらったら、なぜか私のなかにあった結婚願望が、すっと消えてしまったんですよ。もちろん完全になくなったわけではないんですけど、私のなかでは恋愛関係を延長した男性と法的な結びつきによって一緒に居続けたいという思いが、どうやら希薄になったようです。味方とか、家族みたいな存在がいてくれたら心強いだろうなとは思うんですけど、それはジュネの晩年のような歪なかたちであっても一向にかまわない、と考えるようになりました。ケーキとレモネードを両手いっぱいに抱えてアッディーンくんを訪ねたジュネがとても幸福だったことがわかるから、じゃあいいじゃん、と思いました。

ジュネはやがてイッズ・アッディーンを正式に養子として迎え、死後の財産分配を決定します。そしてジュネの死後、アッディーンの父であるカトラニは、車に乗って深夜に樹木と衝突してしまい、ジュネのその後を追うように1年後に亡くなったといいます。

モロッコとは、こちらがすっかり忘れたころになっていきなり夢のなかに現われ、人を驚かすといった場所である。モロッコに足を向けるとは、ジンかジュヌーンといった魔物を知らぬ間に体内に宿し、持ち帰ることになるのだ。その魔物がときおり無意識から現われ出て、わたしの夢を攪乱する。思うにそれはわたしばかりでなく、この日没の国を訪れた人の多くが、わがこととして納得されることではないだろうか。

モロッコ流謫 (ちくま文庫)』p368

四方田氏によると、モロッコには魔物がいるらしいです。だけど、ローマにはローマの魔物が、プラハにはプラハの魔物が、ニューヨークにはニューヨークの魔物がいるように私は思います。もちろん、東京にも、美しく怖ろしい魔物がいることでしょう。旅をすること、そして生活をすることは、行く先々で無数の魔物を体内に宿すということです。魔物はときに我々の夢を攪乱し、そして内側から臓腑を食い荒らすでしょう。旅をする人は、不幸にもそれを願ってやまない人たちです。


というわけで、モロッコへの憧れがより一層高まってしまいました。ハムドゥリラー(アッラーを讃える)!