旅行に行きました。今回は少し長い旅で、期間は1ヶ月弱。その間でまわった国は、スペイン、モロッコ、ヨルダン、イスラエル、ギリシャの5カ国です。
なぜこのルートだったのかというと、理由は後付けでもある(だから関係ない場所も多少含まれている)のですが、旅先を決めてからいろいろと調べ物をしているうちに浮かび上がってきたキーワードが「セファルディ」でした。セファルディとはスペイン系ユダヤ人のことで、スペインやポルトガルなどの地域に15世紀頃まで定住していた人々です。1492年、イベリア半島のイスラム政権が滅ぼされ、この人たちはユダヤ教からキリスト教へ改宗するか、もしくは故郷を出て行くかの二択を余儀なくされます。そして、彼らが故郷を捨てて選んだ地の1つとして、スペインからジブラルタル海峡を渡った先にあるモロッコがありました。
旅のスタート地点に選んだのは、このイベリア半島におけるイスラム政権の滅亡を象徴する、アルハンブラ宮殿のあるスペイン・グラナダ。そこからアンダルシア地方を南下し、ジブラルタル海峡を船で渡ってモロッコまで行きます。そして、旅の山場であり最終目的地となっていたのは、そんなスペイン系ユダヤ人たちが戦後移り住んでいったユダヤ人の国家、イスラエルです。
なんで2016年に生きる日本人の私が、時代も人種も政治的にもまったく関係のない「スペイン系ユダヤ人」に目を付け、話を1492年、レコンキスタの終焉までタイムスリップさせなければいけなかったのか? というと、はっきりした理由は自分でもわかっていません。それはきっと、この旅行記を書きながら考えていくことになるのだと思います。
だけどひょっとすると、私はある種の人間たちが抱える「帰る場所がない」という問題について、自分なりに考えてみたかったのかもしれません。スペイン系ユダヤ人「セファルディ」たちは1492年以降、常に新天地を求め、西洋や中東の各地へ移住を繰り返しました。だけどその「移住」とは決して希望に溢れたものではなく、住み慣れた地を、餓死や疫病の恐怖と戦いながら追われるようにして逃げていったわけです。
「帰る場所がない」って、たぶんいろんな意味があります。日本でも、地方都市から東京や大阪へ出てきて、でももう地元にはもどれないな、って人はいくらでもいるでしょう。もしくは、過ぎ去ってしまった過去のことを思い浮かべてもらってもいいかもしれません。もう戻れない場所、もう戻れない時間、そういうのは何もスペイン系ユダヤ人に限らず、人間ならば多かれ少なかれだれにだってあるものです。だから、「帰る場所がない」という言葉にピンと来るものがある人には、きっとこれから書く旅行記は楽しんでもらえるものになるんじゃないかと思います。逆にいうと、自分にはいつだって帰る場所があって、故郷があって、歓迎してくれる人たちがいる、という人には、もしかしたら読んでもらってもいまいち面白いものにはならないかもしれません。もちろんそれは実際上の話ではなく、自分の精神上の問題の話です。
というわけで前置きが長くなりましたが、とりあえず最初に旅行記ダイジェストとして、この1ヶ月弱の間で訪れた12都市を写真で紹介します。あとタイトルにあるように、最後に告知があります。
1・グラナダ(スペイン)
写真はアルハンブラ宮殿のいちばん有名なところ。アルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム王朝、ナスル朝の宮殿です。キリスト教国のレコンキスタによって、1492年に陥落させられます。
従来のイスラム王朝はユダヤ教徒にある程度寛容だったのですが、新たにこの地域を支配することになったキリスト教国は彼らに不寛容で、ユダヤ教徒は改宗か故郷を去るかの二択を迫られることになります。
2・コルドバ(スペイン)
写真はコルドバにあるメスキータという教会。もとはイスラム教のモスクだったのですが、1492年以降はキリスト教の教会へ。イスラム教の雰囲気とキリスト教の雰囲気が融合した、なんとも不思議な場所です。建築的には多柱式プランというのが採用されており、無数の柱とアーチが無限に広がる大空間を可能にしています。
3・アルヘシラス(スペイン)
アルヘシラスはモロッコのタンジェへ行くフェリーに乗るためだけに立ち寄ったのですが、たぶん夏に行くとビーチで泳げる軽いリゾート地らしいです。フェリーに乗っただけなのであまり写真がありません。だけど、アルヘシラスからモロッコに行くとタンジェMEDという市街地から外れた新港へ行ってしまうので、今後ジブラルタル海峡を渡る計画のある方は、タリファという街からタンジェ旧港に行ったほうがいいかもしれません。
この日は雷がなるほどの大雨で、海は大荒れ。私は見事に船酔いしました。
4・タンジェ(モロッコ)
スペインから海を渡った先にある、アフリカ大陸の玄関モロッコのタンジェ。作家のポール・ボウルズやウィリアム・バロウズが移住し、愛した場所でもあります。かつてはスパイや密輸業者がここを闊歩していたこともあったそうで、少し危ない魅力に溢れた街です。バックパッカーやヒッピーの聖地でもあるそうです。
5・シャウエン(モロッコ)
「青の街」と呼ばれるシャウエンは、なぜか街全体が写真のように青いのですが、なぜ青いのかは諸説あるのでよくわからないそうです。一説にはスペインから逃れてきたユダヤ人たちの習慣だった、という話もあるらしいですが、「もともとこの辺の石灰石は青みがかっている」がいちばん説得力があるように思います。
シャウエンは美しいだけでなく、地元では大麻で有名な街でもあります。旅行者のみなさんは売りつけられないように注意しましょう。
6・マラケシュ(モロッコ)
スペインから逃れてきたユダヤ人たちは、モロッコのマラケシュやフェズといった街に住むようになり、そこでユダヤ人街を形成します。もっとも、今はもうみんなイスラエルへ移住してしまったので、ここに残っている人はほとんどいません。「メッラハ」と呼ばれるユダヤ人居住区がありますが、面影はそんなにないかも。
マラケシュには悪夢のような迷路が広がっており、訪れる人すべての方向感覚を奪います。東に進んでいると思えば南に来ており、北に向かっていると思えば西に出てしまいます。何かを目印にしようにも、同じ看板や落書きが街中に3箇所くらいあったりするので気休めにしかなりません。日が落ちたあとに道に迷うと、冗談抜きでちびりそうな恐怖を味わうことになります。悪夢です。
7・カサブランカ(モロッコ)
空港に行くためだけに寄ったので観光はしていません。ムハンマド5世空港からヨルダン・アンマンへ。ちらっと見ただけだけど、トラムが走っていて、カサブランカはとても近代的な都市のようです。
8・ワディ・ムーサ/ペトラ遺跡(ヨルダン)
ペトラとは、ギリシア語・ラテン語で「岩石」という意味らしいです。スペイン系ユダヤ人とは関係ない趣味観光コース。古代都市ペトラがいつ建造されたのか、正確な年代は今でも謎なんだそうですが、紀元前1世紀以降には乳香、没薬、香辛料などの貿易で栄えていたとの記録が残っているそうです。
9・エルサレム(イスラエル)
それからたどり着いたエルサレム。エルサレムに着いた日は、私の誕生日でもありました。嘆きの壁と岩のドーム。
「ヴィア・ドロローサ」は、イエス・キリストが十字架を背負って歩いた道だといわれています。ゴルゴダの丘に向けて歩くと、聖墳墓教会があります。
10・ベツレヘム(パレスチナ自治区)
イスラエルとパレスチナを分断する壁が立ち並んでいるベツレヘムへも行ってみました。分離壁には落書きがいっぱい。写真はちがいますが、ここベツレヘムはバンクシーのアートが見られる街としても有名です。あと、イエスが生まれた街でもあります。
11・テルアビブ(イスラエル)
テルアビブは半日滞在。この都市を一言でまとめると、大都会です。テルアビブ美術館を見学して、空港に行きました。1972年に日本赤軍が銃を乱射し、一般乗客を含めた26人が死亡したロッド国際空港(現ベン・グリオン空港)です。
12・アテネ(ギリシャ)
最後に、本当についでというかんじで訪れたアテネ。イスラエルと時代が前後しますが、スペイン系ユダヤ人セファルディはギリシャにももちろん移住しています。ところが、ギリシャにはセファルディ以外に、「ロマニオット」というヘレニズム時代からここに住んでいたユダヤ人もいたらしい。現在はみなイスラエルに移住してしまったので、ギリシャ国内にはほとんど残っていないそうですが。
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