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チェコ好きの日記

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DaiGoの“メンタリズム”はなぜ当たるのか?他 森達也『オカルト』感想

前から気になっていた森達也の『オカルト』を、やっと読むことができました。なかなか面白い本だったので、感想を書いてみます。

著者の森達也は、オウム真理教信者の日常を追うドキュメンタリー映画を製作したり、ミゼットプロレス(低身長症の人たちが行うプロレス)について取材したりと、何かと過激なテーマを追っている映画監督・ノンフィクション作家です。オウム真理教信者にせまった『A』については、書籍のほうの感想をだいぶ前ですがこのブログでも書いています。

どうしても気になるアレコレ オウム真理教について(前編) - (チェコ好き)の日記
どうしても気になるアレコレ オウム真理教について(後編) - (チェコ好き)の日記

今回私が読んだ『オカルト』は、イタコの降霊や超能力によるスプーン曲げ、UFO、墓地や事故現場に出没する幽霊、占い、ダウジング臨死体験、はたまたDaiGoの“メンタリズム”まで、ありとあらゆるオカルト現象に「それって実際どういうことなの?」とつっこんでいくノンンフィクションです。

私自身は、いうまでもなく霊感とかは皆無なので、今までそういう類の体験をしたことはありません。UFOを見たこともないし、スプーンも曲げられないし、占いは雑誌の後ろのほうに載っているやつをたまに眺めるくらいです。だけど、TVでうっかり心霊現象特集なんかを見てしまうと後悔する程度には怖がりであり、怖がっているということはつまり「もしかしたら」とわずかながらも信じているところがある、ということでしょう。すべてのオカルト現象に対して、「基本的には信じていない、でも、もしかしたら」という私のようなスタンスは、おそらく世間の多数派を占めているのではないかと思います。

TVにしろ何にしろ、いわゆるオカルト特集とか心霊現象特集とかって、正体にせまろうとしても結局はぐらかされたまま曖昧に終わってしまうことがほとんどですよね。でも、そこを曖昧にせずにしつこくしつこく追っていくとどうなるのか? 幽霊は本当にいるのか? UFOは本当に地球に来ているのか? 死後の世界なんて本当にあるのか? 森達也は、ありとあらゆるオカルト現象のシッポをつかまえては、後を追っていきます。

イタコは本当に霊を降ろせるのか?

青森県下北半島にある恐山。恐山大祭の時期には、イタコたちが軒を連ねてテントを張り、死者の口寄せを行ないます。森達也は現地に取材に行き、鬱病で苦しんだ上に投身自殺をして亡くなったドキュメンタリー監督・佐藤真の霊をイタコに呼び寄せてもらいます。

口寄せの前にイタコに伝えるのは、呼び寄せたい人の亡くなった年と命日のみ。故人の名前や職業、死因などは一切伝えません。恐山のテントにイタコを直接訪ねに行き、その場で命日を伝えるので、イタコは絶対に事前調査などはできない形式になっています(少なくとも、この本で森達也が行なった口寄せにおいては)。

普通に考えると、同年同日に亡くなった人は世界中に何十万人といるはずなので、その何十万人からどうやって目当ての故人を呼び寄せるのか? という疑問が起こります。でもきっと、霊界には不思議な原則が働いていて、まぁその辺は何とかなるようになっているのでしょう。実際、現地に赴く際に森達也が乗ったタクシーの運転手は、「20年前、母親が死んだときにその霊を降ろしてもらった。命日しか伝えてないのに、母親が肝臓ガンで死んだことをイタコは知っていた。あれは俺の母親としか思えない」と語っています。

2時間ほど行列に並んで、森達也は故人・佐藤真の降霊を行なってもらいます。イタコが口にしたことは、「よく来てくれた。そしてよく呼んでくれた」——その他、「身体に気を付けてくれ」など、当たり障りのない内容ばかり。森達也が体験した口寄せでは、故人に関する職業や死因など、本人を特定できるような決定的な何かが、イタコの口から出てくることはありませんでした。その後、森達也は別のテントに移り全部で3人のイタコに口寄せを行なってもらいますが、どのイタコからも、佐藤真に関する決定的な情報を引き出すことはできませんでした。

イタコの口寄せなんて、やっぱりただの迷信なのでしょうか? だとしたら、タクシー運転手が語っていたことは? 彼が嘘をついたのか、もしくは話を盛ったのか? 森達也が出した結論は、「わからない」でした。

幽霊は、自動ドアを開けることができるのか?

続いて面白かった森達也の取材は、毎日4時40分に勝手に開く某寿司屋の自動ドアです。

以前その某寿司屋の常連客に、1人暮らしの老人・Oさんという方がいました。いつも銭湯の帰りに寄っていたようで、お酒を飲みながら寿司をつまんでいたといいます。ところが、そのOさんがある日亡くなってしまいました。結局、死因は脳溢血か何かで事件性はないとわかったものの、寿司屋さんには警察が事情聴取に来たといいます。

Oさんはいつも、夕方4時40分頃にやって来ていました。そして、Oさんが亡くなってから、なぜか寿司屋の自動ドアが毎日4時40分頃になると、勝手に開くようになったのだそうです。そして一定の時間が過ぎると、また自動ドアが勝手に開く。まるで、Oさんが店にやって来て、寿司をつまんで帰っていくかのように。

寿司屋に設置されている自動ドアには、数として最も普及している光線照射式というセンサーが付いています。自動ドアのシステムに関しては私は素人なのでよくわかりませんが、そのセンサーは前を通り過ぎる猫や犬、風に揺れた観葉植物の葉っぱなどには反応しない作りになっているようです。森達也も自動ドアの前に立って、何度も開けたり閉めたりをくり返して試してみますが、自動ドア自体に特に変わった様子は見られません。

店主は、不審だけど別に悪さをされるわけでもないし、怖いという感じはしないといいます。森達也は編集者と一緒に、4時40分を待ってカウンターで寿司をつまみます。すると、4時42分、ほぼ定刻通りに、本当に自動ドアが開いたのです。開いてすぐに、森はドアを出て周囲を確かめにいきますが、まわりには猫1匹いません。

自動ドアの故障でしょうか? 季節や土日、自動ドアの電源を入れる時間、一切関係なく、決まって4時40分頃に開く自動ドア。後日、森達也は寿司屋の自動ドアを製造しているメーカーに問い合わせをします。しかし、担当者は「毎日決まった時間に開閉するという誤作動は、システム上ありえない」と回答します。

私の考えでは、やっぱり一番あり得るのは自動ドアの誤作動だと思うのですが、担当者の回答を聞くと「???」です。修理に行くのが面倒なので、メーカー担当者はそう答えるように上層部に指導されているとか? 

ひとつわかるのは、もし自動ドアの開閉が誤作動ではないとすると、幽霊とは光線照射式のセンサーに反応する何かである、ということです。森達也はその可能性に賭けてさらに後日、センサーの前に赤外線カメラを設置して大がかりな検証を試みますが、結果は空振り。カメラに何も撮影できなかったどころか、その日は自動ドアが4時40分になっても開かなかったのだそうです。

DaiGoの“メンタリズム”はなぜ当たるのか?

その後も、森達也はUFO観測会に参加してみたり、超能力者に目の前でスプーンを曲げてもらったり、永田町の陰陽師に会ってみたり、臨死体験をしたという人に話を聞きに行ったりします。そして最終章、彼が面会を申し込んだのが、“メンタリスト”のDaiGo。

私はTVなどでDaiGoのパフォーマンスを見たことはないのですが、彼は超能力者ではなく、自分がやっているのはあくまで物理学の範囲を出ない“メンタリズム”、「人の意識や心理を分析して見抜き、さらにコントロールする技術」だといっているようです。

面会は、DaiGo、DaiGoのマネージャー、森達也、編集者と、複数人で行なわれました。DaiGoは、好きな3ケタの数字を頭に思い浮かべて、それを紙に書くよう森達也側に指示します。その数字を、メンタリズムを駆使して当てる(というか、その数字を思い浮かべるように心理的に誘導する)と。結果は、1回目は的中、2回目は一部的中でした。一部というのは、森達也が思い浮かべたのが「841」だったのに対し、DaiGoが言い当てたのは「441」だったからです。でも、下2ケタは当たっています。

そもそもの“メンタリズム”とは、DaiGoがあみだしたわけではなく、発祥の地はイギリスらしいです。1940年代、テレパシーを使ったある夫婦が行なったパフォーマンスで、初めて“メンタリズム”という言葉が使われたのだとか*1

面会では、DaiGoのマネージャーである村山氏が、ちょっと面白い話をしていました。アメリカの大学で行なわれたある実験で、2つの封筒の一方にただの紙を、もう一方に写真を入れ、被験者に写真が入っているのはどちらかを当てさせたそうなのですが、結果はもちろん50%でした。しかし、被験者に男性を選び、“もう一方”に入っている写真はエロ写真だという情報をあたえると、当たる確率が53.1%に上昇したというのです。2011年(最近ですね)に研究論文が発表されたこの実験は話題になり、ニューヨーク・タイムズも記事掲載を行なったそうです。

実験はかなり厳密に行なわれたようで、この3.1%が誤差だとは考えにくい。もしこの実験が本当ならば、私たちはこの3.1%をどう解釈すべきなのでしょう? 論文を発表したダリル・ベム教授は、人間には「エロティックな刺激の予知検出能力」と「ネガティブな刺激の予知回避能力」があると結論づけているそうです。笑っちゃうような話ですが、とても不思議です。生命の危機に立たされたときならば、人間は超能力的なものを発揮しうるのか? なんて可能性を考えてしまいますよね。

ちなみに、DaiGoのメンタリズムを取材した結果も、森達也の結論は「わからない」でした。

まとめ:オカルトは、「わからない」

しつこくしつこくオカルト現象にせまってみたはずの森達也の取材も、結果としてはTVの特集と同じように、曖昧なままそれを終えてしまいました。オカルト現象をテーマにした撮影や編集では、機材トラブルやスタッフの災難などが相次ぐといいますが、それらもこの検証を妨げる一因となっているようです。「あきらめようと思えば視界の端にちらりと何かが動く。凝視しようとすると二度と見えなくなる」と、森達也はいいます。

しかし同時に、彼は疑問に思います。オカルト現象は、われわれの目を避けている。でも、だとすると拒絶するその主体はだれなのか。超能力者や臨死体験者その人なのか、あるいはわれわれの潜在意識なのか、あるいは目に見えない“何か”なのか。謎は深まるばかりです。


私の感想としては、オカルト現象はやはり玉石混淆で、その95%くらいは何らかの見間違いや誤作動、あるいはトリックなんじゃないかなぁと思います。しかし、残りの5%は、もしかしたら“真実”かもしれない。でもその真実も、いつか科学で解明される日が来る。今の科学では解明できなくても、未来の科学なら解明できるかもしれない。そんなふうに思います。

でも、その解明が、私たちに幸福をもたらすかどうかは、また別の話です。イタコは霊を降ろせるのかもしれないし、降ろせないのかもしれない。けれど、もし亡くなった故人にどうしても会いたいと思ったとき、たとえそれがトリックであっても、私たちは恐山のイタコの口寄せに救われるでしょう。それを解明することが、はたして善なのかどうか、私にはわかりません。単なる好奇心としては、やはりだれかに解明してほしいけど……。

オカルト否定派も、肯定派も、中庸派も、どんな人でも楽しめるオカルト本でした。「絶対にそんなわけない」と思う人も、「もしかしたら」と思う人も、興味のある方はぜひ手にとってみて下さい。本編とはなれたことをいうならば、森達也はやっぱり一流のノンフィクション作家だと私は思います。

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

こっちも面白い!

*1:後日、このテレパシーはトリックだったことが判明