チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

自分で「気付く」ために必要なこと

「ねえ、今すれ違った人、すごく美人だったね」。


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街を歩いているとき、一緒にいた知人にこんなことを話しかけられたとする。こういうとき、私はだいたい「えっ、そう? 見てなかった」と返す。「一緒にいた知人」というのが恋人で、ヤキモチを妬いているとかではない。女性と歩いているときでも、男友達や職場の人と歩いているときでも、だいたいこんな感じだ。ようは、街行く人なんか、私は全然見ちゃいないのである。


そんな私とは逆のタイプ、「そんな細かいとこよく見てましたね〜!?」っていう人もいる。いるだろう。ぜひ、あなたも身近な人のことを思い浮かべてみてほしい。あの場所に何があったとか、あのときあの人は体調が悪そうだったとか、もうホント、よく気付くなと思う。気付く人というのはだいたいすべてのことをよく見ていて、実は私とは目の総数がちがうんじゃないだろうか、なんて考える。私には目が二個しかついてないんだが、実はこういうタイプの人は目が六個くらいあるのかもしれない。しかし、本当にそうだったら諦めもつくんだけど、残念ながらどうもそういうわけではないらしい。


ただし、意識を向けることはできる。何も言われずにいつも通り街を歩かされたらそのままだが、「交差点を右に曲がったときポストの前にいる人に注目して」とか、「信号をわたった先にあるお店の屋根の色を見ておいて」とか、注文を入れてもらえれば反応はできる。こういうやつのことを、「焦点的意識」と言うらしい。多くの学校教育は、この「焦点的意識」を教えている。ここに注目すれば問題が解ける、ここを観察していると変化が見える、などなど。


「焦点的意識」を教えることは、もちろん意味がないことではない。ただし、学校教育であればそれでいいかもしれないが、たとえば私のような大人に「街をよく観察すること」を焦点的意識によって教え込もうとしても、キリがないし、そう上手くはいかないだろう。「これこれをちゃんと見ておきなさい」と言われたって、街の景色も自分も常に動いているから、「これこれ」のどこに着目していいのかよくわからなかったりする。

新しい視点をあたえられても世界は変わらない


1冊の本を読んで、あるいは印象に残る文章を読んで、まるで世界が変わってしまったかのような感覚に陥ることがある。「そういうふうに考えていいんだ!」という新しい視点は、世界を変えてくれる……と、私たちは思いがちだ。しかし、厳密にいうとこれはちょっと違っているらしく、ある視点をあたえられることによって一歩上の段階に行けるときというのは、すでに「学習」の段階にあるときのみに限定されるらしい。


何を言っているのかわからねーと思うので、順を追って説明すると、物事を習得する際には「発達」が必要な段階と、「学習」が必要な段階ってのがあるらしいのだ。


たとえば、あなたが唐突に、「チェコ語ができるようになりたい!」と思ったとする。なんとか教えてくれる先生を見つけて、週に一度、マンツーマンの授業を受けさせてほしいと頼み込む。すると、たぶん先生に最初にたずねられるのは、「あなた、ロシア語できる?」だ。チェコ語は文法がクソ難しく、日本語話者が習得する言語としては最難関レベルだと言われている。ただし、同じスラブ語圏の言語であるロシア語の素養があると、話がめちゃくちゃ早いのだ。私は結局「いや、ロシア語はできないっす……」と答えて当時の先生にため息を吐かせてしまったのだけど、ようは、「スラブ語圏の言語がまったくできない→1つだけでもスラブ語圏の言語を習得する」のが「発達」の段階で、「ロシア語はすでに習得している→チェコ語を習得する」というのが「学習」の段階だ。0を1にするのが「発達」で、1を2や3に増やすのが「学習」、と考えればいいのかもしれない*1


下記の本の著者である河本英夫さんによると、巷によくあるノウハウ本は「学習」の段階について書かれているものばかりらしい。確かに、ある技術について、本を読んだときは「おお、なるほど!」と思っても、いざ実践となると何も変化を起こせず、そのまま「おお、なるほど!」と思ったことすらも忘れて本は埃をかぶる……という体験をしたことのある人は多いはずだ。一方、この『哲学、脳を揺さぶる』という本は、そんな「学習」ではなく、「発達」の段階にある人を鍛えようという主旨で書かれている。


哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題

哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題


と、これが本当なら夢のような話だけど、読んでみたところまあそんな簡単ではない。言っていることはわかるんだけど、そして実際にいくつか練習問題を解いてみるのだけど、「こんなんでホントに大丈夫なのか!?」という感じである。ただ、他の人のレビューを読むと「できた、変わった、すごかった」と言っている人もいるので、私の頭が悪いだけかもしれない……。ちなみに、どういう練習問題(エクササイズ)があるのかというと、「限界まで息を吸う・限界まで息を吐くを繰り返す」とか、「俳句をつくる」とか、「スケッチをする」とか、である。


一つ「へぇー!」と思ったのは、「わかった」と思ったときに働くのは大脳皮質であり、「できた」という体験を通したときに働くのは脳幹から小脳、側頭連合野、頭頂連合野にわたる脳の広範囲だという話だ。つまり、何かを習得しようと思った際には、大脳皮質に働きかけるだけではいけない。脳幹から続く、脳の広範囲に働きかけるような何かをしなければいけない。そして、脳の広範囲に働きかける何か(体験)とは、「身体的なイメージ」のことである。そのため、この「身体的なイメージ」を拡張し、これまでの経験をリセットする、というのが本書の狙いであるわけだが、ま、難しいよね。私はそんなに上手にできませんでした。

三鷹天命反転住宅 ヘレン・ケラーのために―荒川修作+マドリン・ギンズの死に抗する建築
面白いなと思ったのは、この本で触れられている荒川修作の建築「天命反転住宅」である。「天命反転住宅」では、上下が逆転している。床が頭の上にあり、天井が足元にある。キッチンや水道も上からぶら下がっており、そもそも床と壁と天井の区別がない球体の部屋とかがある。ここでしばらく過ごすと、何やらめちゃくちゃに疲れて筋肉痛になるらしい。確かに、聞いてるだけで頭が痛くなる。「水道とは自分のちょうど腕のあたりにあるもの」という経験を強制的にリセットされ、身体イメージの変化を迫られるからだろう。


子供の頃は、「経験」がないから、言ってみればこういうことの連続なんだと思う。初めてスマホの画面を触ってそれが動くとき、初めて自転車に乗るとき、初めてプールに入るとき。だけど、知識として知らないことはまだまだあっても、さすがに身体的イメージのほうは一通り経験してしまった大人にとっては、新たな身体的イメージを加えることはかなり意識的にやらないと難しい。最近は、暗室の中に入ったり自分もシールを貼ったりする参加型の現代アートをよく見かける気がするんだけど、これはたぶん、私たちの身体的イメージをどうにか更新させようと、アーティストが頑張って考えているのだろう。上手くいっているかいっていないかは別として。


最初の話にもどって、では私のような"お鈍チン"が街をよーく観察できる人になるためには何が必要なのかというと、身体的イメージに改変を加えろ、ということになる。そんなこと言われても……という気がしないでもないが、真面目な話、目が六個あると思えばいいのかもしれない。本書にも、「目の位置を変えろ」というエクササイズがある。自分は役者で街は劇場、そこに客席にいる観客の目線を足せるようになれば、確かに何かは変わるのかもしれない。


aniram-czech.hatenablog.com

*1:たぶん

「境目」はない、という意識で生きてみる。

人は変わる。当然ながら、考え方も変わる。もちろん、1日2日でコロコロ変わっていたら問題だが、数年間単位で考え方が変わることはそう珍しいことではない。


私がここ数年間で、自分で明確に変わったと思う考えは、「境目」ってヤツはどうもないらしい……ということだ。2〜3年前は、「境目」があると思って生きていたし、それは目で見ればすぐにわかるものだと思っていた。


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たとえば、下世話な例で申し訳ないが、性行為をする際に、首を絞められることで快感を感じる、という女性がいるらしい。


「らしい」というのは、私自身はとにかく肉体的な痛みや苦しみにひどく弱い人間*1で、歯医者で「これくらいなら我慢できる人も多いんですけど……麻酔、します?」と聞かれたら即答で「絶対にします!」と返すようなヤツなのだ。ノー麻酔で様子を見つつ、それでもやっぱり耐えられなかったらとか、そんな悠長なことは言わんでいい。耐えられないことなんかわかってるので、麻酔という選択肢があるなら問答無用で麻酔。ほっぺがブクブクするほうが嫌だからノー麻酔で耐えた、などという武勇伝を聞くと「ありえない」と思う。


そんな人間なので、今は平和だからいいけれど、もしも日本が政情不安定になって秘密警察が跋扈するような国になってしまったら……私は拷問にかけられたら終わりである。普段はそれなりに口が固く、不用意な発言はしないほうだと思うんだけど、拷問にかけられたら初っ端から洗いざらい白状し、家族だろうが恋人だろうが友人だろうが関係なく警察に売る自信がある。いつかのために先に謝っておく、みんな、ごめん。


で、それはいいとして、だから首を絞められることで快感を感じるというのは、ちょっと私にはない回路だ。私にはない回路ではあるが、しかしこういうのは個人の自由なので、人の楽しみにいちゃもんをつけるつもりはない。でも、まあ、どうか気を付けて、とは思う。快感を越えた一歩先に、死が待っている可能性があるからだ。


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多くの人はその「一歩」を踏み超えることはなく、たぶん三歩くらい後ろで上手くやるんだろう。三歩と一歩、そしてそれを越えてしまった一歩先、それぞれの間には明確な「境目」があって、それはいついかなるときも見えているはずだ。見誤るのは故意、あるいはバカ。たぶん、2〜3年前はそんな意識で生きていたと思うのだけど、今年に入ってからは自分のこの認識が、たぶん間違ってるんだろうなと感じるようになった。


「境目」なんてのはない。仮に見えているとしても、それは脳内で作り出した幻想だ。どこまでが三歩前で、一歩前で、一歩先なのか、それは誰であっても絶対にわからない。


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そう思うようになったきっかけはいろいろあるのだけど、1つあげるとすれば、昨年インドネシアを旅したことかな、と思う。首絞めセックスから急に健全な話になるけども、昨年のちょうど今頃、私はバリ島、ギリ・アイル、ロンボク島、そしてジャワ島のジャカルタと、インドネシアの島々を船や飛行機でぐるぐるとまわっていた。



国と国との間には、通常「国境」がある。それは目に見えるもので、正式な手続きを経ずに越えるとけっこうマズイことになる。だから私たちは、他の国に行くときはパスポートを見せるなりビザを取得するなりするわけだけど、「国境」なんていうのは実は、脳内で作り出した幻想だ。


バリ島とギリ・アイルの間の移動は、船で二時間くらいかかる。バリ島と、海を渡った先のギリ・アイルは、雰囲気が全然ちがう。バリ島には湿ったような濃密な霊気があるけれど、ギリ・アイルはカラッとしていて空が抜けるように青い。でも、「同じ国」なんだ、海を隔てていてこんなに雰囲気がちがうのに、国境の内側だから同じインドネシアなんだ、変なの、と思った。


ギリ・アイルとロンボク島は船で10分なのでそんなに雰囲気に変化はないのだけど、ロンボク島から飛行機で首都のジャカルタまで移動すると、そこはもう別世界である。警察がピリピリしながら路上の物売りを怒鳴っていて、交通渋滞がひどくて、排気ガスがすごい。バリ島も、ギリ・アイルもロンボク島も、ジャカルタも、それぞれがこんなにちがうのに、全部「同じ国」ってことになっている。人間って、雑だな! 少し考えてみれば当たり前かもしれないんだけど、私がアホだったせいか知らなかった。


東京と沖縄が「同じ国」ってことになってるのだって、私たちは普通に受け入れているけれど、宇宙人からしたら「正気か? 雑だな!」って話なんじゃないだろうか。反対に、国境を隔てているけれど人々の顔付きも文化にもそんなに変化はないね、というケースもあるはずで、だからやっぱり国境なんて便宜的に引いているだけだ。


聖と俗の間に境目はない。男と女の間にも境目はない。今日と明日の間にも境目はない。たぶん、本当は全部ぐちゃぐちゃでごちゃまぜなんだろう。


「境目」はない、という意識で生きてみる。いろいろなものの輪郭は、ぼやけている。足元が不安定でちょっと怖い。しかし、こっちの世界はこっちの世界でなかなか楽しいので、私は来年以降も引き続き、こっちの世界観を続行だ。

*1:余談だけど、「忙しくてもめんどくさくても、体のSOSは無視しない」を読んで、痛みや苦しみに弱すぎるおかげで、私は絶対に無理をしないので、それで救われている部分もあるのかもしれないと思った。が、無理ができないので限界の一歩前で引き下がってしまう癖がマジで悩みでもある

好奇心の人、不安の人

人が生きる目的とは何か。それは、自分の遺伝子を次の世代に継承することだ。


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……と言うと、主に「人間」界から異論がわきおこりそうではある。子供を産むことがすべての人にとって重要なわけではない、とか。もちろん、私自身も子供がいない独身だし、「人間」界の話であるならば、これにはまったく同意だ。ただ、話を「生物」界にまで拡大するんであれば、人が、というかすべての生き物が生きる目的は、やっぱり自分の遺伝子を次の世代に継承することだ。それ以外の目的なんてないでしょ、と思う。


「自分の遺伝子を次の世代に継承する」とは、ようはゲームのクリア条件である。

えっと、世代を反映させて「赤」「緑」時代のポケモンの話をさせてもらうと、ポケモンは四天王を倒したあとにエンディングクレジットが流れる。もしも私たちの人生がポケモンであったなら、「自分の遺伝子を次の世代に継承する」ことに成功した時点で、エンディングクレジットが流れるのだと思う。実際、人間以外の生物なら、子供を産むと同時に死ぬやつとかいっぱいいる。ただ、人間の場合そこはやっぱりポケモンと同じで、ゲームをクリアした後もポケモン図鑑を埋めたりしながらあの世界はずっと続くし、逆にゲームをクリアしなくても、レベルを上げたり技を覚えさせたりしてるだけでけっこう楽しい。


ダーウィンのおじさんが、もっとも強いものが、もっとも賢いものが生き延びるのではなく、環境にたまたま適応できたものが生き延びるんだみたいなことを言っていたと思うんだけど、生き延びるを「自分の遺伝子を次の世代に継承する」と解釈すると、これはなるほどなと思う。村上春樹は、毎年ノーベル賞を逃しているとはいえ、小説や翻訳でめちゃくちゃ稼いでいる優秀な人だ。ランニングもやって健康管理もバッチリである。だけどお子さんはいない。別にそれが悪いわけじゃ全然ないけど、「人間」界の話ではなく「生物」界の話を、遺伝子とかだけを見て考えるのであれば、今の世界の状況ってけっこう「なるほどな」って思いませんか?


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>


ダーウィンのおじさんの話はあまり長くやると間違えそうなのでさらっと流すとして、私のまわりには、好奇心旺盛で開放性があり、どんなことにも興味を持ってチャレンジする人と、常に慎重で石橋を叩いて、結局怖くてあまり一歩を踏み出せない人と、両方いる。そして、どちらかというと前者の「好奇心の人」を持ち上げる傾向が、今の世の中にはある気がする。自分で言うな感があるが、私自身も、どちらかというと前者のタイプだ。(必ずしも良い意味ではなく、あまり先のことをちゃんと考えてない、的な意味も含めて)


だけど、これはダーウィンの科学もどっかの宗教も飛び越えた私の勝手な思想だけど、すべての性質には「意味」がある。今日まで生き延びてきたこと、この時代まで遺伝子を受け継いできたことには、必ず「意味」がある。


なぜ「好奇心の人」と「不安の人」がいるのか。答えは簡単で、人類が生き延びるためには、どちらも必要だったからだ。楽観的な「好奇心の人」が怖いもの知らずに様々なものへ向かっていってしまうとき、悲観的な「不安の人」は常にリスクを想定し思いとどまることで、生き延びることができた。ただし、「好奇心の人」が無駄に崖をのぼってみたり舟で隣の島へ行ってみたりしたことで、人類は地球上の居住地を拡大することができ、結果生き延びる確率が高まった。『利己的な遺伝子』のドーキンスがなんて言うかはわからないけど、「好奇心の人」と「不安の人」はどちらも必要なのだ、人類が命をつなぐ上で。


確かに、今の世の中だと、「不安の人」のほうが生きにくそうだな、というのはある。だから、もう少し楽観的な考え方をしてみたら、と思うこともある。だけど、「不安の人」は間違いなく優秀なのだから、どうか自分を卑下しないで欲しい、と思う。そして「好奇心の人」には、ちょっと生きやすいからって驕るなよ、撃ち落されるぞ、と思う。


それから、できれば「好奇心の人」と「不安の人」は、同じ性質の人同士でグループを作らないで、なるべくごちゃごちゃしながら一緒にいたほうがいい。性質が違うから、お互いにイライラすることもあるけど、それでも。


そんなことを、最近は考えていました。

渋谷のこと

渋谷にまつわる私のもっとも古い記憶は、高校二年生のときのもの。平日に学校をさぼって、友達と映画を観に行った。


私は神奈川県の片田舎の出身なので、渋谷までは、電車に乗って一時間くらいだった。近くもなく遠くもなく、学校をさぼって出かける距離としては、ちょうどよかったように思う。

観た映画は、友達が魚喃キリコのファンだったのでたぶん『blue』だったと思うんだけど、学校をさぼって女友達と『blue』を渋谷に観に行くって、シチュエーションだけ聞くと百合っぽくてヤバイな。登場人物の片方が私じゃなければ、けっこうドキドキできるところである。市川実日子が、庭にあるホースの水を、自分で頭からじゃぶじゃぶかけていたシーンをよく覚えている。逆にいうと、それ以外のシーンや、そのとき歩いたはずの渋谷の風景はほとんど記憶にないのだけど、学校をさぼって渋谷に行くのは、なんだかふわふわしていてすごく楽しかった気がする。何はともあれ、このときのことを思い出すと、自分にとっての渋谷はやっぱり、「映画の街」として始まったんだなと思う。


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渋谷が本格的に「映画の街」になったのは大学生になってからで、自分で観に行ったり、芸術学科だったから学校の課題で観に行かされたり、招待券も学校で先生や知り合いに分けてもらっていた。ユーロスペースシネマヴェーラアップリンクイメージフォーラム、今は亡きシネマライズに、シアターN渋谷。映画館に行けばたいてい知り合いが受付でバイトしていて、よくタダで中に入れてもらっていた。それで、シネマヴェーラなんかは入れ替えがなかったりするから、3本とか4本とか連続で、お尻が痛くなるのを我慢して同じ席に座ったまま、一日中ずーっと映画を観ていた。

もっとも、私はそんなに真面目な観客ではなかったので、午前10時の回に入ったのに途中から爆睡していて目が覚めたら夕方を過ぎてたみたいなこともしょっちゅうあったんだけど、それでも今振り返ると、あんなに長時間よく映画館にいたよな、と思う。


今もたいして世の中のことをわかってないけれど、あのときは今以上に、本当に何もわかっていなかった。なので、なんとなく、これがずーっと続くんだ、と思っていた。自分は、良くも悪くも、ずーっと渋谷の映画館で映画を観る人生なんだ、と思っていた。



大学を卒業してからも、しばらくは変わらずに渋谷の映画館に通い続けた。私を筆頭に、勘違いしたお花畑頭が多い学科だったので、みんな就職が決まらなくて、映画館のバイトをダラダラと続けてくれていたのである。ただしそれも時間の問題で、季節を経るごとに、一人また一人と、受付から知り合いの姿は消えていった。


就職決まって良かったねって話なんだけど、やっぱりあのときの渋谷は、ちょっとさみしかったような気がする。今も、渋谷の映画館で正規料金を払うとき、実はちょっとだけさみしい。昔は受付に知り合いがいて、挨拶したり、論文進まないんだよって話したり、あれ観た? って話したりしてたのに、今では受付に誰か知っている人がいることはない。それだけが理由ってわけじゃないけど、私も大学院を卒業して就職してからは、渋谷から一度、足が遠のいてしまった。忙しくて映画を観る暇もなかったし、何より、渋谷からほとんど誰もいなくなってしまったから。


それがちょうど、2012年とか2013年の話だ。このときになって初めて、「これがずーっと続くんだ」という学生時代の感覚は、見当外れの思い込みであったことを知った。代わりに、もう以前のように渋谷に通うことは、永遠にないのだろうと思うようになった。


ところが、結論から先にいうとこれもまた見当外れの思い込みで、2012年に始めたブログで「チェコ好き」を名乗るようになってから、少しずつ縁ができて、また渋谷に足を運ぶ機会が増えていった。もちろん、狙ったわけではない。


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ただし。2014年頃を境に、ふたたび訪れるようになった渋谷は、「映画の街」から、「インターネットの街」に姿を変えていた。


これはもちろん私の感覚上の話で、正確にはいつから渋谷に錚々たるIT企業が進出しだしたのか、よくわかってないんだけど*1。しかし、ヒカリエができたのが2012年で、同じ年にシアターN渋谷が閉館になったことを照らし合わせると、私の感覚もあながちズレてないかな〜という気がする。まあ、本格的な都市論として考えるとこの二つを並べるのはたぶん変なんだけど、これはあくまで私の個人的な話だ。ちなみに、シネマライズが閉館になったのは2016年だから、けっこう最近である。


「映画の街」として私の中にあった渋谷は、気が付いたらすっかり「インターネットの街」に姿を変えていて、私がこの場所で会う人たちも、「映画の人」ではなく、「インターネットの人」ばかりになっていった。私が「チェコ好き」であることを知っていることが「インターネットの人」である証で、まあだからどうということはないんだけど、以前親しんだ場所で、新しい人に出会い、新しい思い出を作っていくのは妙な気分だし、今でも正直、ずっと「なんか変だな」と思い続けている。


「あの場所にもう一度行けば思い出せたはずの何か」みたいなのがあったはずなんだけど、「あの場所」自体がもうないし、「思い出せたはずの何か」が何であるのかも、もう忘れてしまった。とても大切なことだったような気もするし、どうでもいい瑣末なことだったような気もする。


だから、私にとって渋谷は、奇妙で、歪で、矛盾を抱えた街だ。「映画の街」として始まって、それが一度終わった街。そして、一度終わったにも関わらず、「インターネットの街」としてまた始まった街。昨日見たはずのものが消えていて、今日見るものは明日には姿を変えている。唯一無二のようでいて、実体のない、不思議な街だ。


かつて、記号学者のロラン・バルトが著書『表徴の帝国』において、東京を「中心を欠いた都市」と表現したことがある。

東京の真ん中には皇居という「空洞」があるだけ──というのがその理由らしいんだけど、異論がありそうだとはいえ、私としてはこの感覚はとてもしっくりくる。中心を欠いた空虚な都市。確たるものがあるようでなく、実体がつかめないまま、目まぐるしく姿を変えていく街。

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)


こんなことを書いているくらいだから、これでも一応、渋谷は私にとって東京の中でいちばん思い入れのある街である。だけど、思い入れはあるくせに、好きでも嫌いでもない。好きになろうとしても、その好きな部分は気が付いたときには姿を消しているし、同様に嫌いになろうとしても、何がそんなに気に入らなかったのか、すぐに忘れてしまう。


今の私にとって渋谷は「インターネットの街」で、最近は性懲りもなく、これがこのままずーっと続くんだと、また思い始めている。でも、これまでの経験から考えると、おそらく今回もまた、見当外れの思い込みなんだろう。


目まぐるしく姿を変えるくせに、変わらない何かを何度も夢に見る。やっぱり渋谷って、私にとっては、めちゃくちゃ矛盾している。好きにも嫌いにもさせてもらえず、空虚な中心点のまわりを、ずっとぐるぐる歩かされている。

世界を見る、とは

「学校を出たら、農業をやるんです。だからもうこんなふうに、自由に海外を旅する機会は、あまりなくなるんじゃないかと思います」


と、大学院の退院*1を前にして、とある先輩が言った。それに対して先生*2は、

「自由に海外を旅する機会がない? そんなこと、嘆く必要なんかまったくない。だって君は農業をやるんだから。毎日畑に出て土に触ることは、旅以外の何者でもないでしょう。こんな豊かな生き方は他にない」

と、言っていた。


当時私は23歳で、「先生が、なんかスゲエことを言っているぞ……!」ということだけはひしひしと理解したのだけど、正直、なぜ毎日畑に出て土に触ることが旅と同じになるのかよくわからなかったし、今でもあまりわかっていない。


ただし、20代の後半くらいになって気が付いたこととして。人生を豊かにしてくれるのはきっと、「答え」ではなく、「問い」と「謎」を与えてくれる人との出会いだ。私はいまだに、あのとき先生が言っていたことの意味がよくわかっていないのだけど、考えようによっては、それはけっこう贅沢なことなのだろう。


埋まらない距離を見つめて – FT Focus '17


話は変わって、私はあまり人生経験が豊富ではないので、他人の体験したエピソードにめちゃめちゃ嫉妬してしまうことがままある。「それ、私がやりたかった〜! 私が体験したかった〜〜!!」とか、思ってしまうわけである。

一応、私にも人並みの(?)良心というやつがあるので、今回は引用という形で紹介させてもらうけど、もし私がもう少し常識の欠如した人間だったら、これはもう「自分の体験した話」として語ってしまいたいところである。それくらい、上の柴幸男さんと佐藤健寿さんの対談は、立ち止まって考え込んでしまうところがあった。

佐藤 インドのホテルの屋上に、そのホテルのオーナーであるおじいさんが住んでいました。彼はずっとその屋上で生活をして、もう10年も下に降りずに、ガンジス河を見ながら毎日を繰り返しているらしい。ある日「何を見ているの?」と僕が聞いたら、彼は「世界だ」と答えました。とても深い言葉ですよね。彼とは真逆ですが、彼がガンジスから世界を見ているように、僕は移動をすることによって世界を見ているんです。


老人は、毎日同じものを見ている。繰り返し繰り返し、ガンジス河を見ている。飽きたりしないのだろうか。退屈しないのだろうか。おそらくしないのだろう。なぜなら、老人は「世界」を見ているからだ。

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冒頭で書いたように、私は、なぜ毎日畑に出て土に触れることが「旅」と同じなのか、なぜ老人がガンジス河をとおして「世界」を見ることができるのか、よくわかっていない。よくわかっていないし、はたしてそれを理解するために、今から死ぬまでの短い時間で足りるだろうか、足りないのではないだろうか、とも思う。


少しだけ、こうかなと考えることは、「世界」とは「変化」のことなのだろう。

毎日畑の土に触れれば、季節が微細に移り変わっていく様子がわかる(たぶん)。ガンジス河の流れは、本当は一日だって同じではない(たぶん)。日本からアジアへ、アフリカへ、中東へ旅をすれば、目に入る景色も耳に入る言語も変わってしまう。
「あなたはどのように世界を見るか」とはつまり、「あなたは何に対して、どのような変化を見出すか」ということだ。



まあなんだ、まとめると、自分はつくづく酒が苦手な人間で良かったと思う。これが下手に飲める人間だったら、ガンジス河の老人の話をまるで自分が見聞きしたかのように人にぺらぺらとしゃべってしまい、翌日に自責の念にかられて大後悔しそうである。

何かが変化していく様子はきれいだ。

同時に、過ぎ去ってしまったものは二度ともとにもどらないし、それは螺旋を描きながら死へと向かっていくことでもあるから、やっぱり少しだけ悲しくて、また少しだけ怖い。

*1:将来の潰しがきかない文系の大学院へ入ることを入院、卒業することを退院といいます

*2:前回出てきた先生と同じ人ですが、二回連続の登場はたまたまで特別な意図はありません