チェコ好きの日記

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『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』の感想

“おちゃらけ社会派”のカリスマブロガーであるちきりんさんが、世界50か国以上を旅して考えたことが綴られている『世界を歩いて考えよう!』。これを読んで、ちきりんさんのブログの愛読者のなかには、下記の言葉が思い浮かんだ人が少なからずいるはずです。

私はよく、「世界とは、自分が知っている範囲のことである」と感じます。知らないことは、存在自体が認識されません。私たちが「世界は……」と語る時、それは自動的に「私が知る範囲の世界は……」ということです。

私はこの言葉が、本書を読んでいるあいだ(読み終わったあとも)ずっと頭に浮かんでいました。たとえば「はじめに」では、ちきりんさんがフィリピンのセブ島に滞在したときの話が語られます。ちきりんさんが仲間と近くのレストランに行き紅茶を頼むと、運ばれてきたのはリプトンのティーバッグと、カップに入ったお湯。われわれ日本人の感覚では、ティーバッグをそのまま、しかもごく日常的なブランドであるリプトンのものを出すなんて、ちょっとがっかりです。ですがセブ島では、“リプトン”はグローバルな高級ブランドであり、むしろそれをティーバッグのまま出すことが、レストランにとってのステータスになるのです。紅茶の出し方1つとっても世界には様々な受けとめ方が存在することを、ちきりんは冒頭で示してくれます。しかし、海外旅行に行かなければ(もしくは、海外旅行に興味をもってこのような本を手に取らなくては)、このようにリプトンに対して異なる価値観をもった人々が存在することに我々は気が付きません。「知らないことは、存在自体が認識されない」のです。

もちろんこのリプトンのティーバッグは序の口で、この本でちきりんさんは、我々の経済感覚、社会の常識、価値観に何度も揺さぶりをかけます。そしてちきりんさんが世界を旅してきたなかで出会った様々な経験は、我々に「あなたが信じている価値観は本当に、本当に普遍的なものなのか?」と繰り返し問いかけるのです。

お金から見える世界、各国で働く人々、共産主義国への旅、ビーチリゾート、世界の美術館に古代遺跡、変貌するアジア。読む人によって、心に残る国もエピソードも様々でしょう。ちなみに私にとって衝撃的だったのは、10章「豊かであるという実感」のエピソード7、「おまえは車を持っているか?」でした。

ちきりんさんはビルマ(現ミャンマー)を旅行中、お金持ちの現地人男性と仲良くなり、家に招待されます。(危なくないのか?と旅初心者の私は思ってしまいますが、そこはさすがちきりんさんです。)

彼は家も持っているし、車もあるし、大量の現金もある。家に招かれそのことを男性に自慢げに語られる一方、(当時は)家も車もお金もないちきりん。でもちきりんさんは、ビルマの男性が全然羨ましくありません。いったいなぜなのかと、ちきりんさんは自問自答します。

男性の持っているお金は、どんなにたくさん持っていてもビルマの外では全く通用しないものです。一方、世界中どこでも通用する通貨である日本円を所有しているちきりんさん。そして政治が安定せず国外へ出ることが容易でない男性と、日本のパスポートで世界のどこへでも自由に行くことができるちきりんさん。

「豊かさ」とは、家や車やお金を持っていることではない。日本人であるちきりんさんのように、希望や自由や選択肢のある人生が、本当に「豊かな人生」といえるのではないか。男性も本当はそのことをわかっていて、自慢話やプロポーズ(?)に見せかけながら、そのことをちきりんさんに伝えようとしていたのです。日本では、希望や自由や選択肢のある人生が当たり前です。ちきりんさんの本を読まなかったら、この視点は私にはありえませんでした。

「世界」とは、自分の知っている範囲のことです。しかし残念ですが、この範囲は、ある程度大人になってしまうと、自ら意識してひろげていく努力をしないと、実はどんどん狭まってきてしまいます。なかには、自分がある一定の「範囲」のなかで考え暮らしているにすぎないことを自覚していない人もいるかもしれません。日常を「日本の常識」のなかで過ごしている私を含めたほとんどの人にとって、一歩外に出てみない限り、それが「日本“だけ”の常識」だとは気付きません。「日本の常識」しか知らない(知ろうとしない)人にとって、まさか外に「日本の常識が常識じゃない世界」があるとは思いもよらないのです。

海外旅行とは、この「自分が知っている範囲」をひろげる旅であると、ちきりんさんは教えてくれます。自分の信じている価値観が、もしかしたら普遍的なものではないのかもしれない、と人が気付いたとき、それはものすごいショックをあたえますが、同時に「それまで常識だと思っていた世界」から、自由になることができます。

ちきりんさんの本に一貫しているのは、この「自由」という思想ではないでしょうか。『ゆるく考えよう』ではまず身近な話題についての常識や価値観を疑ってみることを、『自分のアタマで考えよう』ではあらゆることを常識にとらわれず自分のアタマで思考することを提示します。そして本書では、海外旅行という非日常を通して、半強制的に自分の価値観の変更をせまられるプロセスを見せてくれるのです。それらはすべて、「自分が知っている範囲」をひろげ、今いる場所から自由になることにつながっていくのではないでしょうか。

そんな本書の最大の魅力は、読んだあと、とにかく海外旅行に行きたくなることです。ちきりんさんの本を読んで「へー」で終わるのではなく、「自分もあんなことやこんなことを実際に体験してみたいっ!」とむずむずしてくるのです。

「教えてもらいたい」ではなく、「自分のアタマで考えたくなる」のです。ちきりんさんの本もじゅうぶんに面白いですが、自ら異なる世界に飛び込んで「自分のアタマで考えた」ことによって「自分の知っている世界の範囲」がひろがることは、とっても自由で、わくわくする体験であることを、本書がささやいてくれるからです。

本書の「あとがえきにかえて」に、この本の読者は、海外旅行が好きな人か、憧れている人だろう、と書いています。この、海外旅行が好きな人や憧れている人とは、自分の価値観の変化をポジティブにとらえることができる、「常識」から自由になろうとしている人なのではないでしょうか。少なくとも、海外旅行好きの一人である私自身は、そうでありたいと強く願っています。

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!