直近1週間の日記です……が、掲題の日の日記が長くなってしまったので、3日分だけ。
2018.9.15 借りた本が面白い
人から借りたんですが、この手の本って説明的になりがちなのに、これはしょーもないゴシップが多くて珍しく笑いながら読めた。「医者を信じずに死ぬヤツもいれば医者を信じて死ぬヤツもいる、つまりいずれにしろ人は死ぬし人生はバクチ」とか書いてあっておもしろい pic.twitter.com/V5utpHW5SP
— チェコ好き (@aniram_czech) 2018年9月15日
借りた『エピソードで読む西洋哲学史 (PHP新書)』がすっごく面白いので、部屋で声を出して笑う(人に見られるとまずい姿)。扱ってる哲学者はデカルト、スピノザ、ルソー、アダム・スミス、カント、ヘーゲル、マルクス、サルトル、他多数。
本当に、みんなしょーもないことで悩み(後輩への嫉妬とか)、しょーもないことをやらかし(主に色恋沙汰)、しょーもない感じで生きている。歴史に名を残した哲学者ですらそうなのだから、私たちがしょーもないのは当たり前である。思想のことでいうと、私はカントはきちっとしてて嫌いじゃないけどちょっとマッチョすぎる気がして、なんかハイデガーとかがお気に入りかな。親鸞とか(西洋哲学じゃないが)。
ポジティブに、いついかなるときも堂々と太陽の下を歩き、大好きな人たちと笑顔でいたいのはやまやまだが、人間は「しょーもない」のがデフォルトだからな。なかなかそういうわけにもいかないね。しょーもなくてもいいじゃん、そういうもんだし、と最近の私はよく思う(やっぱり親鸞ぽいな、これ)。
2018.9.18 美容鍼を打ちに行ったが効果はあまり感じられなかった
たまに雑誌とかテレビで、「顔に美容鍼を刺してみたビフォー/アフター」みたいな画像を目にすることがある。美容鍼じゃなくても、小顔マッサージの類とか。でもその度に私は思うんだ、「え、これビフォー/アフターそんな変わってなくない?」と……!
しかし、みんな口々に「フェイスラインが引き締まった!」「目がはっきり、大きくなった!」などというので、そこに口を挟むのは「王様は裸だ〜〜!」級の空気の読めなさというか、勇気というか、野暮さというか、まあいろいろなアレが必要なわけである。
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でもほら、写真だとよくわからないこともあるしネ。写真だと「気のせいでは?」レベルのちがいしかなくても、肉眼で実際に見ると本当にフェイスラインが引き締まったりしているのかもしれないし。何事も、やらずに/観ずに/読まずに批判するのは良くないって私はいつも思うんだよネ。だから行ってみたわけです、モデルさんとかも通っているらしい某有名キラキラ美容鍼サロンに。週末に友人の結婚式が控えているので、ここらでひとつ、顔をシュッとできるものならシュッとさせておくというのも得策なのではないかと。
私が行ったところは、鍼はもちろん刺してくれるんだけど、その前後にマッサージとかもしてくれる。施術自体はたしかにすごく気持ちよかった。でも、「ここの硬い部分は、みなさん骨だと思われてる人が多いんですけど、"コリ"なんですよ!」と集中的にグリグリやられた部分に関しては、「いや、そこは骨だよ」と心の中で突っ込んでしまった……。そこは、骨だよ!!!
そして気になる施術後の結果だけど、私もビフォー/アフターを写真に撮ってもらったし、目をかっぽじって鏡をよぉーく見てみたんですが、「うん、変わってない!」と思いました。これで長年の謎が解けた、やっぱりこれは気のせいだ! もちろん個人差があるものだろうし、「お前の目が節穴なだけだろ、どう見てもフェイスライン引き締まってるだろうが!」という意見もあるかもしれないし、こちらのサロンと私の相性が合わなかっただけで、他のサロンでは本当に効果が出るのかもしれない。
いろいろな可能性は考えられるけど、私はスッキリしたのでよかったです。フェイスラインがじゃなくて、長年の疑問がね! 上手いこと言っちゃったな!
2018.9.19 朝から胃が痛い
ジェンダーや政治思想に関する話題は、発信するのはもちろん、目にするだけで正直しんどいときもある。誰かが怒っている姿は、それが自分に向けられた怒りではなくても、あまり気持ちよく見ていられるものではない。もちろん、必要な怒りであり、誰かが声を上げなければいけないことであると十分に理解している。むしろ、何回か書いているけれど、私は基本的には「もっと怒るべき、声をあげるべき」という意見の持ち主なのだ。
それでも、この状況しんど……と思ってしまうことはある。ジェンダーと政治思想、触れたくねえ〜〜! この話題スルーしてえ〜〜! と、正直いつも思っている。思っているだけでなく、実際にスルーしている。大半は。なんか、体力が削られるんだよね……
まずTwitterで何かが起きて、そのことを報道機関が記事として取り上げるっていうの、最近ではよくあることだけど数年前は考えられなかったことだな……
— チェコ好き (@aniram_czech) 2018年9月19日
しかし、今回の新潮45の件はちょっとスルーできず、新潮社出版部文芸のアカウントを応援したい気持ちが生まれた。私も何か言おうかなと思ったけど、Twitterはもはやチラ裏ではなく公共空間である。私は不用意な発言をしてみんなに怒られることがままあるので(本当にいつもすいませんね)、言いたいことはいろいろあるけど何をどう言おうかなと考えているうちに時間が過ぎてしまい、結局ブログに書くことにした。
声を上げることは必要だ。でもなんとなく、今のやり方じゃダメなんだろう、と私は思っている。新潮45側からしたら、左派やリベラルを自称する人間は、今のところ「感情的になって不当な言論弾圧を加えてくる悪者」に見えているだろうから。悪者ではなく、対話できる者として見なされないといけない。「なんでこっちが折れなきゃいけないんだ!?」という意見もあるだろうし(折れる、というわけではないと思うんだけど)、私の考えはきっと、左派やリベラルの意識が強い人間からは不評だろう。でも、個人的には、保守層に届く言葉──というのを考えたい気持ちでいる。
まあ、私は文化系ブロガー・ライターなので、政治的な文章を書く予定はなく、考えたところでどこで使うんだよという話ではあるのだけど。個人的に。