チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

このブログを始めて、丸3年経ちましたが……

「石の上にも3年」といいますが、この諺は今回のエントリにまったく関係ないですが、それにしても未だに「3年」という月日はひとつの区切りとして機能していますよね。

私がほとんど考えもせずに、安易なハンドルネームとブログ名を決め、テキトーに始めたブログが今月で3歳になりました。3歳になったからといって特に変化はなく、今後もこれまで通り更新していくだけなのですが、先日「3年続いたブログは潰れない。」ということが書いてある記事を見かけて、ちょっと嬉しくなったりしました。

「スナック」と「ブティック」の話がおもしろい!スナックのようなウェブメディアを目指して。 | 隠居系男子

ブログという形態自体が今後どうなるかわからないし、いろいろ思うところありまして最近は更新頻度を下げたりもしているのですが、おそらく「私の文章をウェブ上のどこかしらで定期的に読める」という意味では、確かにこのブログが潰れるということは可能性としてものすごく低いんじゃないかと我ながら思います。

上の記事では、ブログやウェブメディアをスナックやブティックに例えていて、それがすごく面白かったのですが、じゃあ私はこのブログをどういう雰囲気にもっていきたいのかというと、これはもうだいぶ前から考えていたんですが、私は「ゼミ」を作りたいんですよね。

っていう話を、今日はします。

私の恩人、仏文ゼミ。

大学院生時代、私は芸術研究科(映画学専攻)に所属していたのですが、なんとなく「芸術学」「映画学」というものに飽きてしまっていて、特に研究もせずにフラフラしていた時期があったんですね。そのとき「うちに遊びにくれば」と声をかけてくれたのが仏文科の教授で、この方は今も最も尊敬している人の1人なのですが、「シュルレアリスムのことやるからおいで」と全然関係ない私を仏文のゼミに参加させてくれたのでした。

今だからわかることですが、たぶん当時の私は「視覚芸術(映画、美術)」というものの捉え方がよくわからなくなっていたんだと思います。仏文のゼミは、私はフランス語ができないのでけっこう苦労したのですが、それでも「文学」という方面から思考の掘削を繰り返した結果、見事に自分本来の研究テーマまでトンネルを開通できたので、このゼミに参加することができてどんなに救われたかわかりません。最終的に、部外者であるにも関わらず図々しくゼミ旅行(イタリア・フランス)までくっついていきました。チェコプラハは世界でいちばん美しい都市ですが、ローマはその美しさを超えると私はこのとき思いました(この話をすると長くなるのでやめます)。

仏文教授と私では月とスッポン×3くらい教養的なものの差があるのは十分承知しているのですが、それでも私は、いつ頃からか「あの空間をウェブ上に再現できたらいいのに」と思いながらブログを更新していた気がします。「あの空間」がどんなものだったかは言葉にするのが難しいのですが、自分の本来の仕事(研究)に行き詰まったときにフラっとよれて、でも遊びに行っただけなのにしっかりと知的好奇心を満たされて帰って来れるという、そんなかんじですかね。仏文ゼミだったのでフランス文学の話題が中心でしたが、旅行の話も写真の話もしたし、美術の話も絵本の話もしたし、思想や歴史の話もしていました。先生は「アナロジー」という考え方をすごく重視している人だったので、最初に出たテーマからメンバーの想像力を媒介にどんどんどんどん話がズレていったんですが、その過程そのものがすごく楽しかったのです。

「遊び」「息抜き」というと、テレビだったりお酒だったりレジャーだったりを連想してしまいますが、私はそういうのとはまた別の、現実に還るための「知的な遊び」をブログを読む人に楽しんでもらいたいのです。……というのはもちろん最終的な理想の話で、当ブログはまだまだ「私が1人で遊んでる」状態ですが……。

景色が変わらなくてもいい?

また、これはブログに限らずの話なんですけど、「あなた約1年前に書いたことと矛盾してますけど」というツッコミを怖れずに書きますけど、私は最近、「ずっとこのままでもいいや」っていう考え方をするようになってきました。「約1年前に書いたこと」っていうのは以下のエントリですね。

ブログを長く続けるには、書きながら見る景色が変わること、変えること #ブロフェス2014 - (チェコ好き)の日記

上のエントリで私は、「ブログを続けるには書くことによって見る景色が変わるのが大事だ」的なことをいっているんですが、最近は「景色なんて変わらなくてもいい」と思っているし、ブログに限らず人生のすべてにおいて、たとえば社会的な地位とか年収とかに関しても、「ずっとこのままでもいいや」っていう考え方をしています。ずいぶんと意識が低いのね、とがっかりされる方もいるかもしれませんが、これちょっと説明が難しくて、「ずっとこのままなんてありえない」と確信するようになったからこそ「ずっとこのままでもいいや」と思うようになったんです。あらら、今度はずいぶんと意識が高いのね?

「ずっとこのままなんてありえない」というのは上昇の意味だけでなく、下降の意味ももちろん含んでいるし、単純な変化そのものも含んでいます。たとえば私、10年後も今と同じ賃貸物件に住んでいる可能性は、ほぼゼロだと思っています。10年後の自分がどこで何しているのかはさっぱりわかりませんが、確実にいえるのは、良い意味でも悪い意味でも、「今と同じではない」ということです。諸行無常を真に理解できるようになったからこそ、今目の前の刹那を大切にする方向に頭が切り替わった、とかいうとずいぶん大それた話に聞こえますが、なんか最近はそう考えてますね。

そんなかんじで、これを3年記念エントリと代えさせていただきます。お粗末様でした。