チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

2021年上半期に読んで面白かった本ベスト10

すごく遅くなりましたが恒例のやつです。今年の上半期に私が読んだ本の中で、面白かった本10冊のまとめ。まじで、だいぶ遅くなってしまった……「今年の上半期に出た本」ではなく、あくまで「私が読んだ本」の中で順位を決めています。

ちなみに2020年末のやつはこちら
aniram-czech.hatenablog.com

10位『八月の光ウィリアム・フォークナー

フォークナー、今の時代にすごく必要なメッセージが書かれているような気がするのでちょくちょく読んでいるんだけど、読みやすい小説ではないのでそんなにハマりきれていない自分がいる。今まで手にとった中でいちばん読みやすかったのはフォークナー本人が「金のために書いた」と言っている『サンクチュアリ』かな。笑 

八月の光』の主人公は、白人と黒人の混血児であるジョー・クリスマスである。自分は白人なのか、黒人なのか、どちらにも属せないでいる主人公の苦悩と悲劇。個人的には、ラストがリーナ・グローブの旅で終わるところが好きだ。

9位『最後の瞬間のすごく大きな変化』グレイス・ペイリー

グレイス・ペイリーの小説は初めて読んだ。翻訳は村上春樹。これまた読みやすくはない小説で、「これは皮肉のつもりで言ってるの? どういう意味なの?」みたいなセリフがけっこうあるので考えながら、ページを進める必要がある。

短編集『最後の瞬間のすごく大きな変化』で私がいちばん好きな話は、連載しているAMでも書いたけど『ノースイースト・プレイグラウンド』。11人のシングルマザーが登場する話だ。シングルマザー同士の対立や、「あなたたちの支援がしたい」と言いながらトンチンカンな提案をしてくる部外者など、本当に皮肉の塊のような意地悪な小説で、読後にほっこりしてしまう。

8位『マイトレイ/軽蔑』ミルチャ・エリアーデ,アルべルト・モラヴィア

個人的に、好きだったのはモラヴィアの『軽蔑』のほう。だいぶ前にゴダールがこれを映画化したやつを観ているはずなんだけど、全然内容を覚えていない!

私はたぶん「正しい選択なんてわからない、第三者が後付けであれこれ言うことはいくらでもできるが、そのとき自分が持っている情報のなかでより最適そうな回答を導き出すこと以外にできることはない」みたいな話がすごく好きなんだと思う。ラストシーンのおぞましいほどの美しさは、今回の10冊のなかでトップだと思っている。

7位『打ちのめされるようなすごい本』米原万里

これを読むと読みたい本リストが延々と増えていく感じの読書本なのかな〜と思い軽い気持ちで読み始めてみたら、確かに読書本の側面はあれど、晩年の米原万里がいかに癌と闘ったかという闘病記だった。そのため、文学やノンフィクション以外に、いかがわしいものも含めた癌関係の本がけっこう紹介されている。

米原万里といえど、自分の命が危うくなれば疑似科学に救いを求めてしまう。その様子にはとてもリアリティがある。しかし最後の最後で、自分の体を差し出してまで救いを求めた先の疑似科学に目が覚め、「間違っている」と告げるのは、やはり米原万里という人の強さなんだろうなと。高いお金を払って時間も自分の命も投資した疑似科学を最後の最後まで信じてしまう人はたくさんいるだろうし、私自身も病に侵されたら、そうならないとは限らない。

6位『雪を待つ』ラシャムジャ

チベットが舞台の小説。詳しい感想はnoteに書いた。個人的には「古き良き共同体を懐古する」みたいな感覚をほとんど持たない人間なんだけど、それはそれとして、主人公が山頂から自分たちの住んでいた村を眺める少年時代のラストシーンは素晴らしい。

マイ・ロスト・シティー』でスコット・フィッツジェラルドエンパイアステートビルにのぼってニューヨークの街を見下ろすシーンが好きなんだけど、「自分の住んでいた世界は、こんなちっぽけなものだったんだ」ってなる展開がたぶんツボなんだろうな。

5位『信号手』チャールズ・ディケンズ

こちらは青空文庫で読んだ短編。これが面白かったので、「世界怪談名作集」にあるものを以来、ちまちまと読んでいる。

「お〜い、下にいる人!」と列車の信号手に声をかけるところから始まって、あれ、なんかおかしいな……? と気づくホラー短編なんだけど、「ギャー!」って感じのホラーではなくて、じわじわ薄気味悪くて最高。加えて、ディケンズの命日に関するエピソードを合わせて読むと薄気味悪さ5割増しでなおいい感じです。

4位『パチンコ』ミン・ジン・リー

AMでも感想を書いたやつ。勢いのある娯楽小説(と私は思う)で、ほとんど寝ずに読んだのですぐに読み終わってしまった。在日韓国人の問題、女性差別の問題、障害者差別の問題など様々な視点から考えることができるけど、私が好きだったのは上巻p64にあった、以下のセリフ。弱さや邪悪さというのは、強者になったときに現れてくるものだ。

「本物の悪人がどういうやつか知りたいか。平凡な男をつかまえて、本人も夢見たことがないほどの成功を与えてやるだけでいい。どんなことでもできる立場になったとき、その人間の本性が現れる」

3位『ダークツーリズム入門 日本と世界の「負の遺産」を巡礼する旅』

全然旅行に行ける気配がないので、こういう本を読んで気を紛らわせている。もう少し落ち着いたら国内旅行には行ってみようかなあ。ベタに軍艦島は行ってみたいと思っている。いつか行きたいのは、ブルガリア共産党ホール!

知っているところから知らないところも、「早くここに行きたい」が無限に溜まっていく旅行ガイド。

2位『完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』

池澤夏樹の世界文学全集を毎年1〜2冊くらいのペースで読み進めていて、まあ毎年1〜2冊なのでいつになったら完全制覇できるんだ!? という感じではあるのだけど、いつかは完全制覇するつもりで読んでいる。これは一足先に、その文学全集の全体像をつかもうと読んでみたやつ。知っている小説もほとんど知らなかった小説もあり、読みたい本リストに本が溜まっていくし、あと私は池澤夏樹の書評がやっぱり好きなんだなと気付かされる。

実際にこの中から手にとって読んでみたのはジョン・アップダイクの『走れウサギ (上) (白水Uブックス (64))』とか。女性的な観点で考えるとひどい小説なんだけど、私はアメリカ文学における「逃亡」ってどうしても魅力的に思ってしまうんだよな。

1位『失われた宗教を生きる人々』ジェラード・ラッセ

ずっと読みたい本リストの中に入れっぱなしだったのを、やっと今期になって読んだ本。失われゆく中東の宗教について取材した一冊なんですが、本当に失われつつある宗教っぽいので、10年後に信者の方が生きているのか不明です。

今もアフガニスタンが不穏な中等だけど、まずは、「中東=イスラム教」という認識を覆してくれる。レタスを食べるのをなぜか禁じているヤズィード教徒とか、イスラム教の宗派のひとつ? なのに輪廻転生を信じているドゥルーズ派とか、ゾロアスター教とか。それらはイスラム教よりキリスト教よりずっと歴史が古くて、特に「握手」の習慣はこれらの失われゆく宗教がキリスト教に与えた影響ではないか、みたいな仮説は面白かった。

そして、政情的に不安定な地域に住んでいるこれらの宗教の信者の方はしばしば他国に亡命するわけだけど、他国では自国での宗教を信じ続けることが難しかったり。特に結婚相手に制約がある宗教だと、亡命した途端に未婚のまま詰んでしまったり。やっぱり「宗教」と「土地」ってすごく密接な関係にあるんじゃないかと思わせてくれる本で、2021年上半期に読んでいちばん興味深かった一冊として、私はこれを推したい。

流水りんこさんのマンガを(ほぼ)全作読んだので推しの5作品を決める

相変わらず旅行に行けない日々である。いや、旅行に行けないのは百歩譲って我慢するけど、最近の私のいちばんの落ち込みはセルゲイ・ポルーニンの公演チケットとっていたのに中止になったこと。セルゲイくんの生跳躍見たかったな〜。

まだコロナとどう付き合っていけばいいのかわからなかった1年前は、「旅行のエッセイやマンガを読むと行けないことが悲しくなるから」という理由で、旅行関係の本は一切開かず、発酵食品の本とか北欧家具の本とかをちまちま読んでいた。それはそれで楽しかったのだけど、最近は悲しいのをどうにか乗り越え、またエッセイやマンガで旅行成分を摂取できるまで、メンタルが回復してきた。


そしてその回復を手伝ってくれたのが、私の場合は、練馬区在住・旦那さんがインド人のカレー屋であるという流水りんこさんの作品だった。疲れているときってあんまりカロリーを消費するマンガを読めなかったりすると思うんだけど、流水りんこさんの作品はいい意味で体力使わずに読める、つまりマンガ界のおかゆなのである。松坂牛ステーキ的大作もいいけど、体力ないときはおかゆに限るでしょう。というわけで、昨年末から今年初めくらいにかけて、けっこうメンタル疲れていたらしい私は流水りんこさんの作品をほぼ全作読んでしまったのであった。

人におすすめのマンガを聞くとたいてい大作を答えられてしまうというか、答えるほうとしてもついサービス精神で、読み応えのあるものを! っていうセレクトになっちゃうと思うんだよね。でも、体力ないときに大作を勧められても読めないわけ。今年完結した『大奥』とか『進撃の巨人』とか、ああいうのばっかりが読みたいんじゃないわけ(好きだけど)。


そして、「おかゆ」的マンガは世の中にたくさんあるはずなのに、情報としてはほとんどまとまっていない。それがサービス精神ゆえなのか、見栄なのかはわからない。しかし、人は、いついかなるときも松坂牛を求めているわけではないの。求む、おかゆ。求む、おかゆ情報! というわけで以下は、そんな私が厳選した流水りんこさんの推し5作品である。

推し5位『流水りんこアーユルヴェーダはすごいぞ〜!』

私が初めて読んだ流水りんこさんのマンガ。なぜ手にとったかというと、そのとき眼精疲労がひどかったので、頭に油垂らせば治るかもしれないと思ったから……つまり、シロダーラというのがやってみたかったんである。

ただいろいろ調べた結果、日本で頭に油垂らしてもあんまり意味がなさそうという結論に達した。でも、いつか観光も兼ねてスリランカかインドに行き、現地のやり方で頭に油を垂らすのは楽しそう。そういうわけで、スリランカかインドでアーユルヴェーダ治療を受けた人の体験記みたいなのを読もうと思ったのだった*1

このマンガでは流水さんが、旦那さんの実家がある南インド方面の治療病院に行き滞在、そこでどんな治療を受けたかが描かれている。これ1冊でアーユルヴェーダの体系的な知識が得られるとかではもちろんないんだけど、植物園に行きボケ〜と植物見ているときのような面白さがある。まあ、なんといっても「おかゆ」なので!

推し4位『恐怖体験〜霊能者は語る〜』

エッセイマンガを描いている人として認識されることが多いであろう流水りんこさんであるが、もとはホラーマンガ家であり、著作には心霊・オカルト・都市伝説などに関わるものも少なくない。というか、流水さんの作品の魅力は、インド・旅行・オカルト・心霊・育児・家族といった雑多なジャンルが混交し、相乗効果でそれぞれに厚みが出ているところだと思っている。

こちらは流水"凜子"名義の初期の作品集で、タイトルのとおりホラー系の話題を集めたマンガ。ただ、むやみやたらに怖がらせるって感じではなく、日常の隅に潜んでいる影の存在にそっと気づかせてくれるような……というほど柔でもないんだけど、ようは、あまり後味の悪くない怪談である。 収録されているのは「桜の木の下で」「夢を告げる者」「真夜中の訪問者」「恐怖夜話」「母達の恐怖体験」の5つの話。私がいちばん好きなのは流水さん自身の体験が描かれている「夢を告げる者」で、夢のお告げによりインド旅行が妨げられたというエピソードが描かれている。

あとは旅行好きで海外に知人がたくさんいる流水さんなので、チベット人のおばあちゃんに聞いた恐怖体験とかもあるんだけどこれもすごくいい。インドへ亡命したときの難民キャンプで遭遇した亡霊(?)の話なんだけど、「世界難民キャンプ怪談集」とかあったら私はソッコーで買うだろう。

推し3位『オカルト万華鏡』(全5巻)

流水さんが「その道」の専門家にインタビューを繰り返し、「その道」についての考察を繰り返すエッセイ集。「その道」とは、パワーストーン、予知夢、生まれかわり、生霊、チャクラ、インド占星術、オーラ、コックリさん、UMA、タロット、などなどなど多岐にわたりまくる。

流水さんのスタンスとしては、それらをがっつり信じているわけでは毛頭なく、批判的な目線も同時に持っているし、一種の「ギャグ」として楽しんでいるようなところもある。ただもちろん全否定はしない。まあ、雑誌「ムー」が好きな人はこのエッセイも楽しめるはず、という感じ。

第1巻1話目のパワーストーンにまつわる話がなかでも私は好きで、実は流水さんは石マニアなのである。パワーストーンのご利益が好きなのではなくて、純粋に綺麗な石が好きな鉱物マニア。で、石マニアだからこそ出てくるこういう「鉄由来と銅由来の鉱物の効能が一緒なのが納得いかない」みたいなツッコミが私は好き。笑 


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推し2位『インド夫婦茶碗』(全24巻〜続)

ランキングという形式にしてしまったゆえに紹介が遅れてしまったが、推しも推されぬ流水りんこさんの代表作である。インド人のサッシーさんとの結婚から、長男・長女の出産、そしてその育児体験を綴ったエッセイマンガだ。

世に育児エッセイは星の数ほどあるけれど、『インド夫婦茶碗』がすごいのはまず、その長さだと思う。結婚・出産から子供が小学校に上がる前後くらいまでが描かれたエッセイはたくさんあるが、長男が大学院生・長女がイギリスに留学しているところまで、というかその後もまだ続いている育児(もう「児」じゃないが)エッセイってあまりないのでは? 

「エッセイ」は、諸刃の剣だ。誰かのあけっぴろげな話を聞くことは面白いし、いつの時代でも一定の需要がある。だけどエッセイは、書き手と、またエッセイの中で描かれる、家族や恋人や友人を傷つけかねない凶器となることもある。『インド夫婦茶碗』で私がいちばん感動したのは、長男長女が中学生になったくらいで、流水りんこさんが「もうあなたたちのことを描くのはやめるよ」と宣言するところ(18巻)。まあなんだかんだその後も子供たちは登場はするんだけど、19巻以降は「夫婦」と「自分の老い」がメインテーマになっていく。私は長男長女が小さかった頃のドタバタも楽しんで読んだんだけど、やっぱりこの「子育てのその後編」が描かれている19巻以降、そして休筆期間を経て復活した『インド夫婦茶碗 おかわり!』が好き。『おかわり!』は、流水りんこさんがイギリスのロックスターに会いに行く旅について描かれており、もはやインドも夫婦も子育ても関係ない。でもそれがいい! 

で、『インド夫婦茶碗』がいかに名作かということについてあと1万字かけて語れますけど……って感じなんだけど、私、独身34歳なんだよね。他の夫婦・育児エッセイだと、フツーに疎外感を覚えてしまうので、こんなに楽しくは読めないわけ。それを読ませてしまうのは、ひとつは流水さんの人柄にあるんだろう。流水さんはおそらく、妻となって母となったあとも、マンガ家でありバックパッカーであり石マニアである自分を、すごく大切にしている。だから独身の私も、疎外感なく読ませられてしまう。ギャグマンガだし、ドタバタエッセイの体をとっているけれど、私はこの作品を「人間はいかに年齢を重ねるべきか」という問いに対する、真摯な考察だと思うのだ(てなことを、あと1万字は書ける)。

推し1位『インドな日々』(全4巻)

そして、『インド夫婦茶碗』を凌ぐ個人的トップが『インドな日々』である。

冒頭で触れたように、流水りんこさんの作品は本当に、いつもいつも読み口が軽い。疲れているときでも、元気がないときでも、あんまり頭使いたくないときでも読める。でも、1話1話はそうでも、重なると実はとてもハードな問いに挑んでいる。そしてこの『インドな日々』はその極地というか、「軽い読み口」と「ハードな問い」が並存している、すごく不思議なエッセイマンガだ。

語られるのは、主にインドでバックパッカーをしていた頃の流水さんの体験である。あくまで軽いギャグマンガのテイストなので、熱が37〜38度あって何もしたくないけど寝れないので脳が暇! みたいな人にも躊躇なく勧められる。読んでるうちにふわ〜としてきて寝れるかも。でも、翌朝起きて元気になったときに、ふと「あ、昨日読んだのすごいマンガだったんだ」と初めて気付く、みたいな。

好きなエピソードはありすぎて選べない。インドの自然、文化、政治、ヒンドゥー教、動物……まるで本当に旅をしているときのように、それらにそっと触れることができる。ひとり旅の楽しさも、自由も、孤独も、不安も、その麻薬的な魅力も描かれている。決して清潔とはいえないインドの安宿になぜわざわざ大変な思いをしてまで泊まりに行くのか!?ーー自由が欲しいからだ、という。

でも、こんな深淵なテーマに迫っているのに、体裁は軽いギャグマンガなんだから本当に不思議だ。笑っているのに、いつの間にか泣いてもいる。これを読んで私も、いつかインドに行きたいと強く思った。しかし、今は行けないので、仕方なくスパイスを集めてカレーを作っている! 

まとめ ランキング外

というわけで1〜5位について語ってきたが、ここからは「すごく好きだけど『インド夫婦茶碗』とキャラ被るからやめよう」みたいな感じで入れなかったやつ。

ひとつは、『働く!! インド人』。流水りんこさんの夫・サッシーさんが自分のカレー屋を持つまでのエピソードが綴られている。面白いのは、インド人の就職事情(?)。サッシーさんのキャリアのスタートは、サウジアラビアでの縫製の仕事である。サウジアラビアで縫製の仕事をしていたのが、日本でカレー屋をやることになるんだから、キャリアって不思議だよな……。

流水さんは動物好きで、庭いじり好きである。『インド夫婦茶碗』に出てくるカメの兄弟たちのエピソードも好きなんだけど、これはコキボウシインコのスノークくんについて描かれたエッセイ。スノークくんは今は亡くなってしまったそうですが、鳥と仲良くしている感じを読むのが好き。

もしこの先の人生で入院とかすることがあったら、ずっと流水さんのマンガを読んでいようと思います。以上、おわり。

*1:医療機関で行わない「治療」を私はあまり信用していないんだけど、インドではアーユルヴェーダ医師の資格は国家資格らしいので、いわゆる民間療法などとは違うと考えている。というか、インドでは西洋医学アーユルヴェーダがどう併存? しているのかが気になる

ダサいことでも、続けるとスタイルになる

週刊はてなブログに「ブログを書き続けるコツ」について書いたものを寄稿しましたというお知らせです。プロブロガーブームあったよね〜! という思い出話とか。昔あのあたりの界隈にいた方々、今はみんなYouTubeやってるのかなー。


blog.hatenablog.com


あんまり年寄りくさいことを言うのもアレなのでほどほどにしておくけど、ブログ開設当時25歳だった私は、もう34歳になってしまいました。この9年間で世の中も自分自身も、本当に変わったよなあと思います。


いや、私自身はそんなに変わってないんだけどやっぱり世の中が変わったかな。私はかなり図々しい上にお調子者なので「あーら! やっと世の中が私に追いついたのね、おほほほほ」と思うシーンが年々増えているんだけど、これは単に私が年食って鈍感になっただけかもしれないので、なんか変なこと言ってるなと思ったらいつでも容赦なく燃やしてくださいませ。でもまあ、これは愚痴だけど、25〜27歳のときはちょっとフェミニズムっぽいことを言うと「僻んでる」とか「だからお前はモテないんだ」とかネットでもリアルでもたくさん言われたもんだけど(お前が私の何を知ってんだよ)、今はぜんぜんそういうこと言われないのでやっぱり比較的ラクになったなとは感じます。比較的、だけど。「既婚=成熟、未婚=未熟って考え方は違うと思う。結婚していることと本人の資質はあまり関係ないと思う」みたいなこと27歳(2014年)くらいのときに言ったらポカーンとされたり冷笑されたりしたけど、今はふつうに受け入れてもらえるもんな。「やったー、よかったよかった」と思う気持ちと、「だから言ったじゃん」という気持ちと、「あのとき冷笑したやつの顔を私は忘れてないからな」という気持ちとがある。

もちろんいいことばかりではなく、今の世には今の世なりの問題があり、それについて考え悩む機会は昔よりもだいぶ増えました。25〜27歳くらいのときは、なんだかんだで自分の半径3mくらいのことしか見えてなかったなーと思う。今だって別にそんなに誇れるほど視野が広いわけではないんだけど、少なくとも昔の自分よりは、「社会」や「世界」や「未来」を見ている気がします。まあ年食ったんだから当然だけど。

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ボツになった本棚写真 

ダサいことでも、続けるとスタイルになる

「最初の動機はダサくてもいいんじゃないか」と寄稿した本文でも書いているんですが、ダサいっていうか、意味のない逆張りはしないほうがいいけど、本当に強い自分の主張がそこにあるのなら、逆風が吹いてもバカにされてもやっぱり書いておいたほうがいいんだなと34歳になって改めて思います。というか、「強い自分の主張がある」って、そんなに誰にでも訪れる状況ではないみたい。「まわりにバカにされてでも言いたいことがある、やりたいことがある」って、考えようによってはとてもとても幸福なことなのだろうと思います。まあ世の中の大半の人にとってはノーセンキューな幸福だろうけど、私はそういう意味ではすごく幸せ者だ。


しかし世の中がこうなってくると、欲が出てきて「お前は間違ってないからもっとドーンと行け! オブラートに包むな! ドッカーンと書いたれ!」とかも思います、このへんのブログを読むと。昔のブログを読み返すと、「言いたいことはあるんだろうが弱腰だな! ちょっと怯んだなこいつ!」みたいなのが透けて見えるので、我ながら楽しいです。こういう振り返りができるのが、やっぱりブログのいちばん素敵なところなんじゃないかな。


最初の動機も書く内容も主張そのものも、ダサくてもカッコ悪くてもいいんだろうなと思います。というか、ダサいことを書いて半年で辞めちゃったら本当にただダサいけど、ダサいことでも10年続けるともうダサさを超えてしまう気がする。あとは、世の中って本当に変わるので、ダサいとダサいとバカにされていたことこそが10年後のスタンダードになることだってあるわけです。私も散々な9年間だったけど、「でも、まだ書いてる」という今によって、それらのダサさが全部チャラになってる気はするんですよね。「いやチャラになってないよ、今もお前ぜんぜん現役でダサいよ!」って思ってる人もいるだろうけど、まあ、あくまで私の中での話。今現役でダサいのも、あともう10年、また続けたらチャラになるかなーとか。というわけで、タイトルの「スタイルになる」はちょっとカッコつけましたすみません。正しくは「チャラになる」です。あとは、私もなんだけど、昔バカにされてたのがスタンダードになると「それ見たことか!」精神が働いて他者排除に向かうことがあるので、それはまあ気をつけたほうがいいと思います。


たくさん文章を書いてきてよかった。たくさん考えてきてよかった。「私がこういう私でよかった」と思えるのもまた、9年間ブログを続けたご褒美なのかもしれません。

りっすんに寄稿しました/具体的なエピソードを書くときは2年空ける

お知らせがずるずると遅くなったけど、「りっすん」に寄稿した記事が公開されています。このご時世だとやりたくてもできないけど、人数多い飲み会が苦手な人やっぱりけっこういるよな〜と、Twitterの反応など見ていて思いました。すでに読んでくれた方、ありがとうございます!


www.e-aidem.com


ところで、私は文章を書くときに、「フェイク」を入れる確率がかな〜り高い類の書き手である。もちろんエピソードそのものを捏造するわけではないんだけど、たとえば「恋人」を「友達」と書いたり「母親」を「知人」と書いたり「友達」を「知り合いの知り合い」って書いたり、あとはいろんな人のエピソードを混ぜたり情報を入れ替えたりしていることがある。ブログや寄稿で公開する文章は大意が伝わればいいと思っているので嘘をついているとは思ってないんだけど(「母親=知人」って別に嘘じゃないし)、なぜそんなことをするのかといえば、やっぱり「自分のまわりの人のことを書く」ことに強い抵抗があるからなのだった。強い抵抗というか、強すぎる抵抗というか。あんまり自分のプライベートをさらけ出すのもどうかと思うけど、それにしたって私は書かなすぎかもしれない。


今回の寄稿に限っていえば、いわゆる「フェイク」はないのだけど、私にとって「夜の仕事」の話がやっと時効になって表に出せるようになったな〜という気がする。自分のまわりの人のことを書くのが苦手というか、リアルタイムで身辺雑記を書くのが苦手なのかもしれない。旅行記だけはほぼリアルタイムで書けるんだけど、それはまあ非日常だからだろうな。というわけで私の時効の話、まだ読んでいない方がいたらぜひ読んでください!



しかし、自分の身辺雑記をリアルタイムでは書かない私も、他人の身辺雑記を読むのは好きで、ここ1ヶ月くらい流水りんこさんのマンガにどハマりしずっと読んでいた。もうこれでほぼ全作読破したんじゃないか。しかも、全作読破した上でさらに2周目とか3周目とかを読んでいるので、ハマりかたがえぐい気がする。ただ「これが推しなの、絶対みんなに読んでほしいの超おすすめなのキラキラ!」という類のイタリアンや創作料理的なものではなくて、どちらかというと納豆ごはん的というか、「毎日とにかくずっと読める。深い感動はないがとにかくずっと飽きない」みたいなマンガ。いやもちろん私の感想ですよ! これがイタリアンで創作料理だという人ももちろんいるでしょう。でも私にとっては、同じ話を毎日読んでもぜんぜん飽きないという、すっごい不思議な空気感のマンガなんだよなー。上の『インド夫婦茶碗』はインド人のサッシーさんと結婚した流水さんの子育てエッセイなんだけど、全24巻あるの2周読みました。ちなみにいちばん好きなのは、流水さんのバックパッカー時代を描いた『インドな日々』全4巻で、これたぶん5周くらいしたな。朝起きてまず読む。夜寝る前にとりあえず読む。聖書か!? なんかのお祈りなのか!? という読み方をしている。子供って同じ絵本をずっと読んでて「なんで飽きないんだ??」と思ったりすることがあるけど、そういう感じで何周も読んでいますね。流水さんのマンガを朝晩読むと来世で聖人になれる宗教に入っているとかいうわけではないです。



自分のバックパッカー時代を描いた『インドな日々』はともかく、『インド夫婦茶碗』はサッシーさんと結婚して息子さんと娘さんが生まれて、その子供たちが成人するまで全部書いてあるのですよ。24巻もあるので。ただ、子供が赤ちゃんや小学生の頃はともかく、中学生高校生となると自我が育ってくるので「お母さん、家族のことをマンガに描くのはやめてよ!」と言われたりする。そこらへんも含めて面白い。そして「そりゃそうだよな、うん、子供のことはもう描かないよ」となって、そこから自分たち夫婦の老いについての描写が多くなるのも面白い。


私はあんまり「さらけ出すエッセイ」は好きではないほうなんだけど、流水さんのマンガを納豆ごはんのごとくすいすいと読むことができたのは、距離感の取り方が絶妙だったからではないか。あとがきを参照すると、『インド夫婦茶碗』は、実際のできごとよりも2年遅れくらいで描いていたらしいのです。つまり、マンガで子供が小2ならリアルタイムでは小4。マンガの中でサッシーさんが救急車で運ばれたり娘さんが大怪我したりしても、2年前のできごと。リアルタイムで描いてればそりゃあキツかっただろうなと思う。私は今後も身辺雑記はあまり書かないと思うけど、年月が経って時効になったらいろいろなことが書きやすくなるというのは、わかるなあ。書きやすくなるというか、どこらへんに配慮して書くとまわりを傷つけないかコントロールできるようになるというか。そういう距離感の工夫があったからこそ、24巻まで続いたんじゃないかなあとも思う。


「私だけの納豆ごはんだから流水さんのマンガについてはブログに書かないもん」とか思っていたのだけど、やっぱりもっともっと世に広まるべきだという気もしてきたのでなんかまた書こうかな!?(私に広げられるのかという疑問はともかく……)。いやでも、自分のおすすめのオシャレイタリアンについて書くことはあっても毎日食べてる納豆ごはんのことって書きにくいよな。ちなみに流水さんの旦那さんであるサッシーさんは練馬で「ケララバワン」という南インド料理の店をやっているので、私はここも行ったよ。

くそ、ただの大ファンかよ。すみません、ただの大ファンでした。海外解禁の日がやってきたら、絶対バラナシ行ってガンガーからのぼる朝日を拝んでやるからな〜!

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真ん中のものは唐揚げじゃないです。マライティッカだよ

tabelog.com

2020年に読んで面白かった本ベスト10

年末恒例のやつです。今年私が読んだ本の中で、面白かった本10冊のまとめ。「今年出た本」ではなく、あくまで「私が今年読んだ本」の中で順位を決めています。ちなみに上半期のまとめはこちら。

aniram-czech.hatenablog.com

10位 『贅沢貧乏のマリア』群ようこ

贅沢貧乏のマリア (角川文庫)

贅沢貧乏のマリア (角川文庫)

本家の森茉莉の『贅沢貧乏(新潮文庫)』よりも、それを一歩引いて見つめた『贅沢貧乏のマリア』のほうが結果的には面白かったな。私はいわゆる自己責任論がめちゃくちゃ嫌いなので「金がないのも孤独で寂しいのも自己責任、自分次第、努力で解決できる!」とはあまり思ってないんだけど、心の中で貴族になることってできるんだよね。自分もせかせかと働いてお賃金を得ておりますが、マインドだけはいつだって高等遊民さ。


(※このツイートは私の本『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか 女の人生をナナメ上から見つめるブックガイド』に書いた話)

(※この本について書いたコラムはこちら)
am-our.com

9位 『アーレントハイデガー』E・エティンガー

アーレントとハイデガー

アーレントとハイデガー

ハンナ・アーレントハイデガーは俗にいう不倫関係であったわけだけど、実際のところお互いのことをどう思っていたのか? それは往復書簡をいくら辿ったところで当人同士にしかわからない。わからないんだけど、思想と歴史によりめんどくささが倍増してしまったこの2人の関係が私はどうもすごく好きらしい。アーレントは情に絆されてかつての恋人ハイデガーの思想を擁護したのか、あるいはその真意はユダヤ批判ではないとするハイデガーの思想を見抜いて信じていたのか。今後もこの2人に関する面白い関連書籍があったら読みたい。

8位 『聖なるズー』濱野ちひろ

聖なるズー (集英社学芸単行本)

聖なるズー (集英社学芸単行本)

2020年の上半期に読んですごく面白かったノンフィクション。ただ読み終わって時間が経ってみると、「動物性愛」とはつくづく難しいテーマだなという考えが深まっている。彼ら(人間)とパートナー(動物)の間にはたしかに信頼関係があるので、彼らのしている性行為を即時に動物虐待と結びつけなくてもいいんじゃないかなーと私は思うのだが、それをもって「対等な関係」といえるかどうか、そもそも「対等な関係」なんて人間同士でも成立しうるのか、なんて考えていくと本当にキリがない。

7位 『猫を棄てる 父親について語るとき』村上春樹

今年の読んでよかった本には村上春樹が2冊も入っていて「あんたやっぱりムラカミのおじさんが好きなのね」という感じになってしまった。ただしこの『猫を棄てる』は、村上春樹がはじめて自分の父親、出生について語ったエッセイということで、サンドウィッチもウイスキーもレタスもコーヒーもオムレツもジャズも出てこない。なぜなら村上春樹は日本人だから。代わりに出てくるのは、納豆と味噌汁と梅干し。それがなんとも不思議に感じるエッセイだった。

(※詳しい感想はこちら)
note.com

6位 『ワールズ・エンド(世界の果て)』ポール・セロー

AMのコラムでは表題作『ワールズ・エンド(世界の果て)』と『ボランティア講演者』について書いたんだけど、他にも『コルシカ島の冒険』『真っ白な嘘』『緑したたる島』あたりの話はかなり好きだったなと。「何かが間違っているのだけど、何が間違っているのかがつかめない」と訳者の村上春樹が解説で書いていて、まあ全体的にそんな雰囲気の短編集。極めて個人的な行き詰まりを描いているのに、舞台だけはグローバルなので旅行気分も味わえて楽しい。

(※この本について書いたコラムはこちら)
am-our.com

5位 『幻のアフリカ納豆を追え!ーそして現れた〈サピエンス納豆〉ー』高野秀行

「納豆は日本にしかない、日本の伝統食」とみんなが言うので「へーそうなんだ」と素直に信じる反面、「食文化に限ってんなわけねえだろ」という疑いも持ち続けたまま30年以上生きてきたのですが、どうやら「んなわけねえだろ」が勝ったもよう。納豆は韓国にも他のアジア諸国にもあるし、なんならアフリカにもある。この本を読んで思ったのは、「歴史」ってのはやっぱりずいぶん恣意的なものなんだなということ。バイデン氏が大統領選で勝利したことは歴史として残るけど、今日誰かが食卓で納豆卵かけごはんを食べたことはどこにも記録されない。だから、「生活」ってあとで振り返るときにすっぽり抜けてブラックボックスみたいになってしまうんだな〜なんか怖! と思いました。

4位『ラオスにいったい何があるというんですか?』

私は村上春樹旅行記がとにかく大好きなんだが、ある時期から旅行エッセイ書かなくなっちゃったんだよねこの人。そんな村上春樹がまた旅行エッセイを出したぞ! と聞いたときは嬉しい反面、「めっちゃつまんなくなってたらどうしよ」という恐怖があり今年になるまで手が出なかったのを、やっと読んだ。結果、やっぱり村上春樹の旅行エッセイはすごくすごくよかった。恥ずかしいことをいうと「私もこんなふうに書けたらいいのになあ」と相変わらずの嫉妬を覚える文章だった。特に好きなのはアイスランド編。海外旅行解禁されたら行きたい場所として脳内予約してあります。

3位 『ニューヨークより不思議』四方田犬彦

ニューヨークより不思議 (河出文庫)

ニューヨークより不思議 (河出文庫)

四方田犬彦氏のニューヨーク滞在記。著名な映画監督や画家や評論家がたくさん出てくるので嫉妬を覚えるが四方田犬彦氏なのでしょうがない。ただもちろん「イケてる俺のイケてる交流記」などではなく、焦点が当てられているのはニューヨークに住むアジア系の人たちで、「なんでもアリ」なはずのニューヨークでstrangerとして生きる人々のどうしようもない居心地の悪さみたいなものが書かれている。まあ、四方田犬彦氏って私の恩師なので、こんな浅い感想が目に入ったら半殺しにされる気がするので先生読まないでください。

2位 『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー

この小説は、とにかくもうめちゃくちゃ面白かったしAMのコラムもたくさんの人に読んでもらえたっぽいので大満足。すごく意地悪な終わり方をしているし、実際「うわ、きっつー!」と思った方も子育て終えた勢のなかにはいるみたい。主人公は3人の子供を育て終えたマダムなんですが、本当にこういうお母さんいそうだもんな〜。人間の孤独に終わりなし。

(※この本について書いたコラムはこちら)
am-our.com

1位 『リヴァイアサンポール・オースター

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

2020年に読んでよかった本、1位はポール・オースターの『リヴァイアサン』。理由はシンプルに、主人公のベンジャミン・サックスというテロリストが、自分とよく似た思想の持ち主だったからです。私は常々自分のことを「一歩間違えていたらテロリストになっていたかも」「一歩間違えていたらカルト宗教にハマっていたかも」と思っているんだけど、なんか、狂信的なんですよね、根が。ときどき噴出する破壊衝動を「どうどう」と制してくれるのはいつだって文学(あるいは映画)なので、やっぱり私は文学に救われている人生だな。

(※詳しい感想はこちら)
note.com

まとめ

「人生何が起きるかわかんないからね〜」とは昨年だって一昨年だって言っていたし理解もしていたが、それにしたって、「まさかこんなことになるとは思わなかった」の一言に尽きる1年だったし、これは決して私ひとりのごくごく個人的な感想ってわけでもないと思う。今日眠って明日起きたら実はまだ2020年の2月後半くらいで、「全部夢でした〜」というオチもありうると私は思っていますからね。いやー、こんなことってあるんだなあ。


医療従事者の方や経済的に困窮している方のことを考えると、一時期は何を書けばいいのかわからなくて何も書けなくなってしまって、今もまだその状況を完全に脱したわけではない。でもまあ、私にできるのはせいぜい少額の寄付をすることと、真面目に働くことと、経済をまわすことくらいなので、来年もあまり身分不相応な欲を出さずに黙々とやっていきたい。


最後に、出版からもう1年以上が経過しましたが私の本の宣伝です。今もときどきTwitterで感想を呟いてくれる人がいるので嬉しい。よいお年を。