チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

2016年上半期に映画館で観た映画のまとめ/『オマールの壁』など

2016年が半分終わってしまいました。自分用メモも兼ねて私が上半期に映画館で観た映画をまとめます。映画館で観た映画なので、DVDなどでの視聴は含んでいません。全部面白かったので、公開が終わってしまったものもありますが、まだやっているやつもあるので気になるものがあったら観てみてください。

サウルの息子/ネメシュ・ラースロー


「サウルの息子」予告編

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、ユダヤ人である同胞をガス室に送る役割を担っていた特殊部隊「ゾンダーコマンド」の主人公を描いた映画。詳しい感想はSOLOに書いています。

「ゾンダーコマンド」を描いた映画にあなた独自の解釈を加えてみよう | チェコ好き - SOLO

2月後半からイスラエルに向かう旅に出る予定だったので、ユダヤ人を描いた映画があるなら観ておきたい、と思って観たのでした。

光りの墓/アピチャッポン・ウィーラセタクン


『光りの墓』予告編

タイのチェンマイを拠点に活動するアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画。私はアピチャッポンの映画を観るといつも必ず途中で寝てしまいます。この『光りの墓』も例外ではなく、途中は記憶がありません。この人の作品に宿る強烈な睡魔はなんなのでしょう。が、私は大好きなアンドレイ・タルコフスキーの映画も通しで観れたことがあんまりなく、いつも必ずどこかで寝てしまうので、そういうある種の「睡魔系映画」だと思えばいいのかもしれません。タイの軍事政権への批判であるなどという評もあるようですが、途中の話をあまり理解していないのでそのあたりはあまり書けません……。DVDになったら懲りずにまた観ようと思います。

オマールの壁/ハニ・アブ・アサド


第86回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品!映画『オマールの壁』予告編

『オマールの壁』の詳しい感想はブログに書きましたが、今のところこれが私の今年いちばんです。イスラエル占領下のパレスチナ、その境界にある「分離壁」で分断されてしまっているパレスチナ人のラブストーリー。

よくある三角関係の話……にならなかった話、『オマールの壁』 - チェコ好きの日記

この映画を観る約1ヶ月前に、実際に自分の目でパレスチナ分離壁を見てきたことは、やっぱり大きかったように思います。現地でロケやってるんだから当たり前だろという話ではあるのですが、本当に、「ある」んですよ。ああいう場所が。自分の足で歩いたからわかる。だから、主人公が警察から逃げ回ったり、見覚えのある格好の兵士がライフルをぶら下げていたりするのが、私は本当に怖かったです。同じ監督の『パラダイス・ナウ』もそうだったのですが、恐怖で泣きました。感動とかじゃなく、恐怖で。

バンクシー・ダズ・ニューヨーク/クリス・モーカーベル


映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編

これは、映画の感想単体としては書いていませんが旅行記のなかにこっそり紛れ込んでいます。そもそもパレスチナ自治区バンクシーを観たから映画を観に行こうと思ったのであって、これも私のなかでは旅行関係の映画です。

【中東旅行記/7】パレスチナ自治区と、Banksy - チェコ好きの日記

評判はそこそこのようですが、私がこの作品でいちばん感銘を受けたのは、上記のエントリ内でも書いていますが「アートは人を動かすことができる」ということです。動かすというのは、やる気を出させるとか感動させるとかじゃなくて、文字通り「移動させる」って意味で。やる気出すのも感動させるのも結構なことですが、「移動させる」って本当にすごいことだと私は思います。マンハッタン中央部にしかいないような人たちを、治安が悪いブロンクスやブルックリンに、アートを見るために「移動させる」ことができ、そこに経済効果が生まれる。「やる気」とか「感動」よりも「移動」のほうがワンランク上だ、と私は思ってしまいました。

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カルテル・ランド/マシュー・ハイネマン


映画『カルテル・ランド』予告編

メキシコ麻薬戦争のドキュメンタリー映画。麻薬を扱うカルテルと、カルテルの脅威から町を守る自警団がいるのですが、悪のカルテルVS正義の自警団という構図にはまったくなっていません。自警団とカルテルが混ざっていたり、カルテルが政府と癒着していたりと、もうめちゃめちゃです。まさしく善悪の彼岸

aniram-czech.hatenablog.com

丸山ゴンザレスさんを生で見れたので個人的には満足度の高い作品でした。関連本もいろいろ読んでみたいです。

FAKE/森達也


佐村河内騒動のドキュメンタリー/映画『FAKE』特報

最後に、いろいろなところで話題になっている『FAKE』。森達也監督の久々の新作映画ということで、楽しみに観に行きました。人気の理由は、佐村河内さんと新垣さんというテーマがなんだかんだいいつつわかりやすかったからかな? などと考えていますが。

森達也『FAKE』 佐村河内さんと新垣さん - チェコ好きの日記

全然別のところで嬉しかったのは、上記のブログのリンクから、『A』を買ってくださった方が少なくない数でいたこと。『A』は本当にすごくいい本です。

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

下半期に観た映画も12月になったらまとめて、たぶん『オマールの壁』になるとは思いますが、年間ナンバーワンを決めようと思います。『ズートピア』も観に行きたいのですが、ベイマックスと同じ感想を持ってしまいそうでちょっと足踏みしています。

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森達也『FAKE』 佐村河内さんと新垣さん

ユーロスペースで連日満員御礼、ドキュメンタリー映画としては異例のヒットをとばしているらしい森達也監督の『FAKE』を観に行きました。15年ぶりの新作だそうです。

森達也監督は、オウム真理教信者のドキュメンタリー映画(本もある)『A』や『A2』、低身長症の人たちが行なうミゼットプロレスの取材など、物議を醸しだしそうなテーマにあえて突っ込んでいく人として有名です。今回の『FAKE』は、2014年にお茶の間を騒がせたことで記憶に新しい、佐村河内守さんと新垣隆さんのゴーストライター問題をテーマにしています。

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映画『FAKE』公式サイト|監督:森達也/出演:佐村河内守より

2014年のことだから、きっとこのニュースとそれを取り巻いていた状況を、みんなもおぼろげながら覚えているはずです。だけど私は、正直にいうとこの佐村河内さん問題に当時そこまで関心があったわけではありません。佐村河内さん問題への関心ではなく、完全に「森達也」の名前で観に行きました。というわけで今回はこの『FAKE』の感想を書こうと思います。

佐村河内さんと新垣さん、騒動振り返り

まず、騒動自体は覚えていてもその詳細を忘れてしまった人もいると思うので、この佐村河内さんゴーストライター問題を少し振り返ってみます。

佐村河内守さんは、耳が聞こえません。だけど、「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作曲家として知られ、「現代のベートーベン」として一部では有名な音楽家でした。が、突如そこに新垣隆さんという人が現れ、佐村河内さんの曲は実は自分が作曲していたと主張します。つまり、「現代のベートーベン」佐村河内さんの裏にはゴーストライターがいた。佐村河内さんの曲に感動して泣いていたファンの人たちは、曲そのものが素晴らしかったのもあるけれど、障害を乗り越えて作曲家として活躍している佐村河内さん自体に心を動かされていたという部分もあったのでしょう。そういうファンの人たちにとって、このニュースは大変なショックだったというわけです。

私がこの騒動にあまり関心がなかった理由は、ニュースを聞く前は佐村河内守さんという作曲家の存在を一切知らなかったからです。元々のファンの人になら佐村河内さんを責める資格があるとしても、そうではなくニュースを聞いただけの人間が「騙したな!!!」と怒る資格はないと考えていました。だって知らなかったんだから騙されてないもんね。この騒動はあくまで佐村河内さんと新垣さん、あとはレコード会社? とファンの方々、内々でやるべきことで、ここぞとばかりに佐村河内さんを叩いていたネット民のほうをむしろどうなのと思っていました。このことがきっかけで人が死んでるとか怪我したとか病気したとかならまだしも、だれも実質的な迷惑は被ってないですしね。佐村河内さんのせいで聴覚障害者の方が差別されるようになってしまうかもしれないと心配していた人もいたようですが、だったらそれこそあまり騒ぎを大きくしないほうがいいわけで。

佐村河内さんが自身でも認めている嘘は1つで、それは「作曲を行なう際、新垣さんの手を借りていた」ということ。自分1人ですべてを作っていたわけではない、ということです。「共作だった」というのが、佐村河内さんの主張。

一方、新垣さんはさらに重大な嘘があると主張していました。その1つは、「佐村河内さんは実は耳が聞こえる」ということ。現代のベートーベンというのは大嘘で、健常者と同じように会話ができるというのです。もう1つは、「共作なんてレベルじゃなく、自分がメインで作曲していた」ということ。佐村河内さんはプロデュース面のみ行ない、音楽に関わる実質的な部分は自分がやっていたということです。佐村河内さんのピアノは初歩的なレベルでしかなく、楽譜も書けなかったといいます。

映画では、新垣さんの主張するこの2つが「フェイク」なのか「真実」なのか、あるいはフェイクでも真実でもない何かなのか、探っていくことになります。

テレビで叩かれること

この作品、普通に2時間くらいあるのですが、その2時間のシーンの90%以上が佐村河内さんの自宅で撮影されています。例外は、監督の森達也さんが新垣さんの本のサイン会に行ったりするところだけ。が、画面に動きがなくて退屈なんじゃないかと観る前の私がしていた心配は、まったくの杞憂に終わりました。同じことを懸念している人がいたら、それはまったく見当はずれな心配であったと、とりあえずいっておきます。

森達也さんは単身で佐村河内さんの自宅に何日もかけて通い、この映画の撮影を敢行します。佐村河内さんには香さんという奥さんがいて、森さん、佐村河内さん、奥さん、あとは佐村河内さん宅の猫ちゃんの4人(3人+1匹)で進んでいくシーンが、映画の大半を占めています。

この映画を観る限りだと、佐村河内さんは、共作を黙っていたこと、そして結果的にそれが音楽を聴いてくれた人を騙す形になってしまったことを、申し訳なく思っているように見えます。しかしそれ以上に、殺人でも犯罪でもない行為をなぜここまでテレビや雑誌に叩かれなければならないのか理解できず、そのことに戸惑っているように思えました。

佐村河内さんは奥さんと一緒に自宅のテレビで、自分の騒動を報じるテレビ番組をじっと見ています。なかにはほとんどワイドショーというかバラエティ番組のようなかんじで、佐村河内さん騒動をパロディにしたり笑い事として扱っているテレビ番組もあります。それを、佐村河内さんは一言も発さずにじっと見ています。私は別に
「これじゃ佐村河内さんがかわいそう」などといいたいわけじゃないのですが、テレビでだれかを笑い者にするというのはものすごい暴力なんだな、ということが実感としてよくわかりました。

テレビというのは、インターネットが発達した今でもなんだかんだ強大なメディアです。私もブログが炎上してネットで悪口をいわれたことくらいならあるけど、ネットの悪口程度だと、まあちょっと気は沈むけどみんながみんな敵ってわけじゃないしなー、とそんなに深く考え込むことはないです。だけどそれをテレビでやられると、まるで国民全員が自分のことを嫌っていて、日本中が敵のように思えます。テレビの前で黙り込んでいる佐村河内さんを見ていると、この問題って、やっぱりそんなに大騒ぎするほどのことじゃなかったのでは……と思えてくるのですが、むしろ、殺人や犯罪が絡んでいなかったからこそ、みんな面白がって思う存分やりたい放題いいたい放題できたのかもしれません。

私が特に印象的だったのは、テレビ局の人が佐村河内さん宅にやってきて、年末特番への出演を依頼するシーンでしょうか。黒いスーツを着た4人くらいのテレビ局の人たちが、奥さんの香さんにコーヒーを出してもらいながら書類を広げて、佐村河内さんに年末特番の説明をします。番組の趣旨は2014年に起きた出来事の振り返りで、司会はお笑い芸人(おぎやはぎ)だけど佐村河内さんを悪くいったりはしない。むしろ、これをきっかけにすべてを笑い飛ばし、佐村河内さんの今後の活動のきっかけになればいいと。テレビ局の方々はとても誠実そうに見え、私などはこれならそんなに悪い話ではないんじゃないかと思ったりもしました。

が、佐村河内さんは「すべてを笑い飛ばし」というところが引っかかったみたいで、やはり自分をバカにする番組になるんじゃないかという懸念が拭えず、結局出演を断ります。そしたら、年末に件の特番を確認してみると、なんと新垣さんが笑顔で「事件の真相!」みたいなことを語っているではありませんか。テレビ局の人はあんなに「佐村河内さんを悪くいう内容にはしない」と語っていたのに、出演しなかったことによって結局自分は笑い者になっている。新垣さんが特番のノリで大久保佳代子さんに壁ドンしている場面が、映画館に虚しく響きます。


佐村河内騒動のドキュメンタリー/映画『FAKE』特報

ドキュメンタリーは嘘をつく

『FAKE』は佐村河内さんの側から描かれた作品なので、多くの場合、観客は映画を観たあと基本的には佐村河内さんの側に立つことになると思います。私のこの感想も、思いっきり佐村河内さんのほうによっているでしょう。だけど監督は「ドキュメンタリーは嘘をつく」とずっと言い続けてきたあの森達也なわけで、監督自ら「この作品を鵜呑みにしないでどういうことなのか自分でよく考えてね」というメッセージを発信しています。

ラストの12分をだれにもいうなと予告編のなかでいわれているので私もラストについては触れませんが、まあこれは確かに衝撃ではありました。結局、この騒動はなんだったのか。だれがどんな嘘をついていたのか。真相はわからないし、そもそも真相なんて追求できる類のものではないのかもしれません。新垣さんや、新垣さんの側からノンフィクションを書いた神山典士さんの視点を排しているので、この映画が真実だとはとてもいえません。映画に突っ込みを入れることはいくらでも可能です。

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

だけど、繰り返すようですがそもそも「真相を究明する」なんてことが無理なのかもしれません。書面で契約内容を残すことはできるけど、だれがいつ、何を思っていたかなんて絶対にわかりません。小保方さんの問題もそうだし、ゲス不倫問題もそうだし、とにかく世の中で騒動になっているあらゆる問題がそうです。『FAKE』は佐村河内さんゴーストライター問題の映画だけど、そこで語られているのは、決してこの騒動に関してだけではないのでしょう。

おまけ

オーソン・ウェルズの『フェイク』と比較してみたりとかしようと思いましたがキリがなくなるのでやめます。森達也さんは著書の『A』『A3』も面白いので、これを機に興味がある人は読んでみるといいかもしれません。

オーソン・ウェルズのフェイク [DVD]

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A3〈上〉 (集英社文庫)

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A3〈下〉 (集英社文庫)

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昔書いた森達也さんの『オカルト』の書評です。

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正義も悪も区別なし/メキシコ麻薬戦争のドキュメンタリー『カルテル・ランド』

先日、TBSの『クレイジージャーニー』で犯罪ジャーナリストの丸山ゴンザレスさんによるメキシコ潜入取材の様子が放映されていましたね。そのへんの道路に拷問を受けた(と思われる)死体がフツーに転がってるという、ちょっとありえない映像でしたが、そういう地域がメキシコの一部にはあるみたいです。

なぜメキシコの一部地域はそんなに治安が悪いのかというと、麻薬の製造や密輸を行なうカルテルが、このあたりを支配しているからです。そして、丸山ゴンザレスさんが潜入取材を行なったまさにその地域を舞台にしたドキュメンタリーが、マシュー・ハイネマンの『カルテル・ランド』。

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今回は、『カルテル・ランド』初日・ゴンザレスさんのトークショー付き回を観に行ってきたので、これの感想文を書きます。

メキシコ麻薬戦争とは

「メキシコ マフィア」でGoogle検索をすると、食欲が大幅に減退する画像がたくさん出てくるので、ダイエット中の方以外にはあまりおすすめしません。『カルテル・ランド』の舞台になっているメキシコの一部地域は、前述したように麻薬の製造密売組織であるカルテルが支配していて、政府ですら恐れをなしてなかなか介入できない状態だったといいます。だけど、カルテルのメンバーが銃を持って街中をふらふらしたり、民家に押し入って金品を奪ったりといったことが日常的にあっては住民もたまったもんじゃないので、映画ではミレレスという町医者を中心に、カルテルに立ち向かうための民間組織・自警団を結成します。

しかし、悪の組織・カルテルと、正義の味方・自警団の抗争! という単純な対立構造にはならないところが、このドキュメンタリーの見どころです。自警団は自分たちの町を自分たちの手で守るために立ち上がった勇気ある民間組織ではあるのですが、「銃を持った物騒なやつらが町をふらふらしている」という点では政府にとっても地域住民にとってもカルテルとあまり変わりません。だから政府は自警団を認めていないし、住民も自警団賛成派と自警団反対派がいるんですね。図にするとこういうかんじ。

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TVの『クレイジージャーニー』だと、ゴンザレスさんが町で屋台を経営している女性に「この地域のカルテルについてどう思う?」と尋ねる場面があるんですが、女性は苦笑いしながら「どっちのカルテル?」なんて聞き返しています。悪のために結成された組織なのか、正義のために結成された組織なのか、そんな大義名分は住民にとってはどっちでもいいわけです。とりあえず、町で銃撃戦を始められたら困るし、自分たちの生活が脅かされたら困る。自分たちを守ってくれるのであれば、正義だろうと悪だろうとかまわない。政府公認だろうと非公認だろうとかまわない。自警団は正義の組織なのに、TVでも映画でも、住民から冷ややかな目線で見つめられています。

さらに複雑になる構造

自警団を組織した町医者のミレレスは、相当なカリスマ性を持った人物のようで、彼が町で演説を行なうと民衆がわっと沸きます。だけど演説の直後に、妻子持ちで、さらにけっこうなお年でもあるミレレスが若い女の子を思いっきり口説いていたりして、ちょっと「アレ?」といった印象も受けます。まあ女の子を口説くくらいなら、英雄色を好む的な話であまり非難すべきことでもないのかもしれませんが、理想的な正義、理想的な英雄、理想的なリーダーといったものを頭に思い浮かべていると、ここで一気に崩れます。

さらに、冒頭に現れる悪の組織・カルテル。彼らは監督のインタビューに対して、自分たちの行なっていることをとても切実に語ります。「違法なことだし、犠牲者を出していることもわかってる。だけどこの仕事以外で生計を立てていく術が現状ないんだ。俺たちだって、いろんな国を自由に旅行したりしてみたいよ。あんたたちみたいにさ」……うろ覚えですが、なんかこんなかんじのことをいっていました。

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初日の上映特典で、渋谷のイメージフォーラムでは、メキシコで信仰されているらしいサンタ・ムエルテというお守りがもらえました。サンタ・ムエルテは死の聖母で、死神の格好をしています。この死の聖母は、カトリックの教えに添うことができない犯罪者や、道徳や倫理に背いてしまった人にもご利益を与えてくれるんだとか。ゴンザレスさんの話によると、カルテルにはけっこう信心深い人もいて、こういったサンタ・ムエルテのお守りを買って大切にしているそうです。サンタ・ムエルテ信仰は、政情が不安定で、暴力や死がすぐ近くにあるメキシコならではのものといえるのかもしれません。そしてここでも、私たちがそうであってほしいと願う、理想的な悪の像はガラガラと音を立てて崩れていきます。

さらに、映画の後半になると、なんと自警団が分立。飛行機事故に遭いリーダーを務めることが難しくなってしまったミレレスは、幹部の1人であったパパ・スマーフに、リーダー代理を依頼します。パパ・スマーフは自警団を政府公認の組織に昇格させ、制服を着ることを許可されたり高性能な武器を新たに貰い受けたりして、一見コトが上手く進んだかのように見えるのですが、自警団としての組織の役割は空洞化。政府公認の制服を着た物騒なやつらが、相変わらず武装して町を歩いているだけ、なんて事態になってしまったりします。

さらに、自警団であるはずのメンバーがカルテルと絡んでいたり、結局政府はどちらの味方なのか、あるいはどちらの味方でもないのか、そこもよくわからない。メキシコ国内だけでなく、隣接する米国のアリゾナ州でも自警団が結成されたりして、どの組織がどの組織と対立しているのか、だれが悪でだれが正義なのか、状況は映画を観るにつれどんどんカオスになっていきます。


本年度アカデミー賞ノミネート『カルテル・ランド』|5月7日(土)全国公開!

まとめ

混沌を極めるメキシコ麻薬戦争。事態は収束していってるなんて話も聞きましたが、何をもって収束としているのかよくわからないし、実際の状況はどうなんでしょう。

トークショーでゴンザレスさんが強調していたのは、これは決して遠い国の対岸の火事ではないということです。

日本社会でも格差の拡大が進んでいて、もしかしたらそう遠くない未来に、「安心してタクシーに乗ることができない」とか「近付いてはいけないエリアがある(そのエリアが拡大・増える)」なんてことが起こらないとも限りません。そうやって周囲への不信が募っていったり、無条件で他人を信頼することができなくなってくると、そこから社会は徐々に崩れていきます。実質的な無政府状態、道徳や倫理の欠如した社会に、我々がいつ身を置くことになるかわかりません。

だからといって今すぐ対策できるような具体的なことは何もないんですけど、「今のこの社会とは異なる社会のあり方を想定しておく」「正義(に思えるもの)にも悪(に思えるもの)にもそれぞれ事情があって、そして実質はどちらも同じ人間」ということを、あんまり忘れないほうがいいなと思う今日この頃です。

※『クレイジージャニー』はDVDの売行きが好調のようです

自爆テロって、どんな人がやるんだろう? 『パラダイス・ナウ』

先日4月16日から、『オマールの壁』という映画が渋谷アップリンク等で公開されています。『オマールの壁』ってどんな映画? という人は、よろしければ以下をご覧ください。

aniram-czech.hatenablog.com

それで、『オマールの壁』と同じハニ・アブ=アサド監督の、『パラダイス・ナウ』という作品があるんです。舞台は『オマールの壁』と同じパレスチナ自治区で、ヨルダン川西岸のナブルスという町に設定されています。ヨルダン川西岸地区っていうのは↓このへんです。ヨルダンと接している黄色いところです。私の汚い字については触れないでください。

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『オマールの壁』はたぶん私の2016年ナンバーワンとなる映画ですが、実は個人的には『パラダイス・ナウ』のほうが、『オマールの壁』より好きだったりします。なぜかというと、恋愛要素がないからです。上記の記事であれだけ三角関係が云々といっておきながら、私は基本的に、かったるいから恋愛映画って好きじゃないんですよね。『オマールの壁』は恋愛要素がなければもっと私が気に入るかんじの映画になっていたと思いますが、まあそれは別にいいです。逆にいうと、見やすいのは『オマールの壁』のほうかな。ちなみに、『パラダイス・ナウ』は2005年の作品です。

パラダイス・ナウ [DVD]

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というわけで今回は、『パラダイス・ナウ』の感想文です。

「死ぬ直前に過去が早送りで見えるって。本当かな?」

物語の舞台は前述した通り、ヨルダン川西岸にあるナブルスという町です。ここはイスラエルへの抵抗運動がハンパないところらしくて、ちょっと旅行で行けるような場所ではありません。実際、映画撮影に参加していたドイツ人スタッフがあまりの治安の悪さに逃げ出したとか逃げ出してないとかっていう話もあるほどです。要するに、「めっちゃこわいとこ」だと思ってもらえれば間違いないと思います。

その「めっちゃこわいとこ」に、サイードとハーレドという2人の青年が住んでいます。この人らは友達同士なんですが、組織に声をかけられて、2人で自爆攻撃を実行することになります。実行の地に選ばれたのは、イスラエルの経済の中心、実質的な首都*1、大都会テルアビブ。このテルアビブは、私も旅行で訪れた街です。

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※テルアビブ美術館の内部。大きな絵は、ロイ・リキテンシュタインのもの

だけど2人のうち、サイードくんのほうは、何やら自爆攻撃に関して疑問を抱いているよう。親しい女友達のスーハは「何か別の方法があるはず」っていうし、自分が体に爆弾を巻きつけてイスラエルの兵士に突っ込んでいくことで、本当に事態は前に進むのかな……? テロ決行直前だというのに、サイードくんはモヤモヤしている様子です。

一方、ハーレドくんはやる気満々。「俺たちは1時間後には英雄だぜ!」意気揚々と語り笑顔を見せるハーレドくんですが、「死ぬ直前に過去が早送りで見えるって。本当かな?」などといい、若者らしい幼い一面も垣間見せます。

ちょっとネタバレになってしまいますが、結論からいうと、2人のテロの第1回目は失敗します。金で買収したはずのイスラエル兵に裏切られたのか、有刺鉄線の隙間を突破できず、2人は散り散りになって逃げるのです。だけど、諦めずに第2回目を決行する。その結末は、本当にネタバレになるので気になる人は映画を観てください。お楽しみに。

組織の問題、外部からの批判の問題

真面目な話をすると、この映画のなかにはさまざまな問題が散りばめられています。1つは「組織の問題」で、自爆攻撃っていうのは1人とか2人とか単独でやるよりは、組織の後ろ盾があって、計画的に行なわれるケースのほうが多いみたいなんです。サイードとハーレドの後ろにも、「組織」がいます。それで、この「組織」の人たちにもいろいろ言い分はあるのだろうけど、組織の中核にいる人物は自ら爆弾を背負って突っ込んでいったりしない。犠牲になるのはいつもサイードやハーレドのような、まだまだ若い青年たちなんですね。「テロで死んだら英雄だよ! 殉教者は天国に行けるよ!」という言葉に、壁のなかで閉塞感をかんじて鬱屈とした毎日を送っている彼らは、反応してしまうのです。

不正と占領とその犯罪に対し、さらなる抵抗のために私は殉教を決意した 戦う手段は他にない

パレスチナと共に国を創ることは──ユダヤ国家の自殺だとイスラエルは考えている

”2つの国家”という彼らに有利な妥協案すら受け入れない 彼らの望みは永遠の占領か我々の消滅だ

ハーレドくんはテロ決行の直前、ビデオカメラの前でポーズを取りながら、上記のセリフを演説口調で語ります。イスラムの殉教者、英雄として、その勇姿を撮影して残しておけるぞということなんですかね。「組織」のエライ人たちが、「ウンウン」と頷き腕組みをしながら、力強く演説するハーレドくんを見守っています。

ところが、ビデオカメラの調子が悪いのか、ハーレドくんが決死の名演説をしてもその勇姿が撮れていないらしい。ビデオカメラがなかなか直らないので、飽きてきちゃったのか、エライ人たちは近くでパンをむしゃむしゃ食べ始めます。するとハーレドくんもヤケクソになってきたらしく、「母さん。もっと安いフィルターを見つけたからさ、あれを買ったほうがいいよ」とかってビデオカメラの前で語り始めます。名演説はどこ行った名演説は。笑いを誘いつつここで行なわれているのは、監督による組織的な存在への批判です。

次に、外部からの批判の問題がある。これは、こんな文章を書いている私自身の問題でもあるのですが、映画に登場する主人公サイードの女友達・スーハがこれを体現しています。

スーハちゃんは、お父さんが抵抗のために殉教した「英雄」です。だからまわりの人にとても親切にされるし、彼女自身もパレスチナ人でありながらフランス帰りというエリート階級。そんなスーハちゃんが、テロを実行しようとしているサイードくんやハーレドくんの行動に勘付き、「テロなんて意味がない。何か別の方法があるはず」と説得します。だけど説得を受けたサイードくんは、「君は外国育ちで英雄の娘で、住む世界が違う」という絶望的なことをいいます。「いい生活をする人の余興だ」とも。

これはもう、私はぐさっとやられましたね。いちばん痛いところを突かれた。私がいくら現地を旅行しても、本を読んでも、映画を観ても、実際に分離壁のなかで暮らしている人たちのことはわかりません。それでも、たとえ余興だと笑われても私はこのことについて考えたいので考えますが、外部から見る世界と、内部から世界は同じものでもまったく異なって見えるものです。そして、だからこそいえることもあるし気付くこともある。外部から内部を批判をするとき、何ができるのか、また何ができないのか。そんな部分も深堀することもできそうです。

パラダイス・ナウ

地獄で生きるより、頭の中の天国のほうがマシだ。占領下は死んだも同然、それなら別の苦しみを選ぶ

最後に、タイトルについて。主人公たちの会話のなかに何回か登場する「天国」という言葉が、タイトルのもとになっているのは明白だと思います。

第1回目の自爆攻撃を未遂で終わらせてしまったサイードくんとハーレドくんは、再び決心し爆弾を体に巻き付け、イスラエルのテルアビブに出発します。このシーンの、パレスチナ自治区からイスラエルに入ると景色がガラッと変わるかんじとか、本当によく描いてるな〜と行ってみた身としてはしみじみ思いました。テルアビブ、夜の写真しかないのですが、東京と比べてみても謙遜のない大都会です。

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この第2回目の自爆攻撃が、どう終わるのかは書きません。映画全体としては、テロの実行犯(といってももちろん、サイードやハーレドのような人たちがそのすべてではないですが)が何を考えているのか、どういった境遇にあるのか、どう追い込まれていくのか、そういうことをより身近に考えられる作品になっているのではないかと思います。外部にいる人間としてはつい「テロリスト=悪」と考えがちですが、決してそんなことはない。ハニ・アブ=アサド監督は、「自爆攻撃に関する映画を作るために、日本の神風特攻隊のことも調べたんだ」とインタビューで語っています。時代と境遇さえそろえば、我々だって自爆攻撃をやらざるを得ないときがやってくるかもしれません。

エルサレムでまたテロがあったらしくて、「この緑のバスあったなー、見たなー」と思ったのですが、サイードくんが映画のなかでいうように、まさしく「世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ」というかんじです。私はニュースを見ることしかできません。イスラエルパレスチナの問題について、直接的にできることは何もありません。
www.timesofisrael.com

にも関わらずなんでこんなことを延々と考えているのかというと、彼らのことを考えることによって、自分の身近に転がっている問題を何か1つ、クリアにできるのではないかと思っているからです。


映画 『パラダイス・ナウ』

★参考文献★

パレスチナ・ナウ―戦争・映画・人間

パレスチナ・ナウ―戦争・映画・人間

*1:イスラエルは首都をエルサレムだとしていますが、国連などは首都をテルアビブだと見なしているそうです

よくある三角関係の話……にならなかった話、『オマールの壁』

男の子二人と、女の子が一人いるんですよ。三人は幼馴染なんですが、男の子二人がそろって一人の女の子が好きなわけです。まあ、よくある話ですね。だけどこの一人の女の子もちょっといけないところがあって、二人の気持ちを知っていながらどっちつかずの態度をとるもんだから、男の子二人が混乱するわけです。


女の子には兄がいて、この兄と男の子二人も仲がいい。だから主人公は、好きな女の子と、その兄と、それから三角関係でちょっとギクシャクしてしまっている親友に、会いに行くわけです。だけど、この「会いに行く」のが、すっごく大変なんですね。

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なぜなら、イスラエルパレスチナを分断している壁を、ロープでよじのぼって越えていかないといけないから。向こうの兵士に見つかったら、運が悪ければその場で銃で撃たれて殺されます。上の写真は私が先月パレスチナ自治区ベツレヘムで撮影した「壁」ですが、映画の冒頭でもちょうど同じような「壁」を、主人公が器用にのぼってこえていくシーンがあります。

というわけで、先日公開されたハニ・アブ=アサド監督の『オマールの壁』という映画を初日に鑑賞してきました。冒頭を数分観ただけで確信しましたが、これはたぶん、私が2016年に観た映画のナンバーワンになるでしょう。まだ4月で今年は半分も終わっていませんが、2016年はこれで終わりです。あとはもう余興ですね。


第86回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品!映画『オマールの壁』予告編

三角関係はどうなっちゃうの!?

物語の背景をもう少しちゃんと説明すると、舞台はイスラエルとヨルダンの間にある、ヨルダン川西岸地区というところです。映画撮影の一部がこのなかの、ナブルスという町で行われたらしい。ちなみに、私が写真を撮ったベツレヘムも、このヨルダン川西岸地区というエリアのなかにあります。ヨルダン川西岸地区とは基本的にパレスチナ自治区のエリアだと思ってもらっていいと思うんですが、ここを囲うようにして、2002年からイスラエル政府がパレスチナとの間に分離壁というのを作っています。それで、パレスチナの人が自由に行き来できないようにしちゃったのです。

ところでこの分離壁イスラエルパレスチナの境界(=グリーンライン)にきちんと建ててくれればまだいいものを、イスラエル政府は国連の決議や国際法違反勧告を無視して、パレスチナ側にだいぶ食い込みながら建設しちゃってるんですね。不自然なかたちで勝手に分断しちゃったものだから、壁の向こう側に恋人の家があるとか、壁の向こう側に学校があるとか、壁の向こう側に職場があるとかいうことになって、パレスチナの人はとても大変な思いをしています。

映画の主人公であるオマールくんもこの大変な思いをしている一人で、ただでさえ三角関係でそわそわしているというのに、恋人に会うためには命懸けで壁を越えていかないといけない。「遠回りすればいいじゃん」って思うかもしれないですが、遠回りして検問所へ行こうとすると6時間とかかかるケースもあって、しかも検問所を通過できるかどうかもわからない。壁ができる前はたった10分くらいだったところを、こういうかんじに分断されてしまうっていうのはけっこう腹立ちますよね。

オマールくんもとうとう我慢できなくなってきたのか、恋敵であり親友のアムジャドと、それから恋人の兄貴であるタレクと三人で、イスラエルの兵士を一人狙撃して殺っちゃうんです。だけどそこからはまた大変。イスラエルの秘密警察に逮捕されてしまったオマールくんは、「刑務所で一生囚われの身になるか、イスラエルのスパイになって仲間を密告するか」どちらか選べといわれます。オマールくんは、幼馴染のナディアが好きで、刑務所を出てどうしても結婚したい。だから、イスラエルのスパイになる道を選びます。

そこから先は完全ネタバレになってしまうので書きませんが、実はオマールくんだけがスパイなわけではなかったんですね。イスラエル政府は、パレスチナの人々を団結させないようにしている。本当の敵は分離壁を作ったイスラエルなのに、裏切りと密告、逮捕と拷問、そして壁の内側の閉塞感、などなどが重なって、だれが仲間でだれが敵なのか、だれを信じてよくてだれを信じちゃいけないのか、そういうのが何もわからなくなってぐちゃぐちゃになってくる。人間関係も、自分の人生もめちゃめちゃです。

「自由がない」ってこういうこと

本作は、パレスチナ人の監督が、100%パレスチナ資本で、しかもオールパレスチナ人スタッフで製作した映画らしいのです。だからものすごく社会的な作品で、実際に社会的なんですが、それでも本作を「単なる恋愛映画」だと思って見ると、それはそれで面白い気がします。

どういうことかというと、つまりやっぱりこれは古典的な三角関係の作品なんです。好きな女の子がいるけれど、ライバルもいて、結局上手くいかないという話。ただ、舞台がパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区であるというだけ。

それなのに、舞台が異なるだけで、平凡な三角関係で済むはずだった物語がこうもねじ曲がって歪んでしまう。これはパレスチナを描いた遠い国の作品ではなく、「パレスチナが舞台であるだけのごく普通の恋愛映画」だと思って観たほうが、私たちはもっと身近にこの作品をかんじられるんじゃないかと思います。私は日本で海外の映画が配給されるときに、無理やり恋愛っぽい雰囲気を醸し出してくることにイラっとくることがあるんですが(ゴダールの映画のタイトルが『さらば、言葉よ』からなぜか『さらば、愛の言葉よ』に変えられたように)、『オマールの壁』は、予告編を真に受けて普通の恋愛映画だと思って観に行ったほうがいいかもしれません。

私はこのブログを日本語で書いているので、基本的に読者の方も日本語ができる方、つまりそれは多くの場合日本で生まれて日本で育った日本人の方であることを想定しています。で、日本で生まれ育った人というのは、多くの場合「自由な状態」しか経験したことがないと思うんですよね。なかには海外で育った人もいるかもしれませんが、その場合だってアメリカとかシンガポールとかだと思うんです。政治的に大きな問題を抱えた国、すなわち「自由でない状態」で育った人というのは、私自身を含め読者の方にもあまり多くないと思ってます。

生まれてからずっと「自由」が当然で、それが空気のように当たり前だと思って生活していると、「自由でない状態」というのは想像するのがちょっと難しい。私は正直、これまでどんな文献を読んでも、「パレスチナの人が大変っていうけれど、具体的には何がどう苦しくて何がどう大変なのか」というのが、我が身のこととしてはちょっとピンときませんでした。実際にパレスチナ自治区ベツレヘムにも行ってみたけど、私のコミュ力では自爆攻撃に関することや密告者に関することを現地の人から聞くことはできなかったです。分離壁をこの目で見たことによって、けっこう実感みたいなものはわいてきたけど。

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そんなところだったのが、『オマールの壁』を観てようやくピンときましたよ。これはですね、大変です。イスラエルが憎くて憎くてたまらなくなります。平凡な三角関係で済むはずだった物語が、どうしてこうなってしまったのか、どこでこうなってしまったのか。それをああだこうだと考えながら観るのが、この作品の楽しみ方かもしれません。

とりあえず、早々に宣言しますがこれは私の2016年ベスト映画です。

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note.mu
※『ONE PIECE』の空島編をイスラエルパレスチナに見立てて考察したもの。一部有料です。