1.
一部のクリエイターの間では、「創作者が幸せになってになってしまうと、生み出すものから面白さが失われてしまう」という噂が、真しやかに囁かれている。これは、本当なのだろうか?
その謎を解明すべく、私は一同を率いてアマゾンの奥地へ……は、向かってないけど、かねてよりこれに関してはちょっと言いたいことがあったのだ。
2.
「毎日幸せ、ハッピーハッピー!」と思うときのパワーと、「まじで不幸、この世の人間全員殺してやりたい」と思うときのパワー、創作活動にプラスになるのはどちらかというと、私の考えでは間違いなく後者である。まれにお花畑でスキップしている文章でほっこりできることもあるが、歴史に残る名作などを振り返ると、圧倒的に後者のパワーが原動力になっているもののほうが多い。なんだ、ほら、『カラマーゾフの兄弟』とか。
3.
では、「創作者が幸せになってになってしまうと、生み出すものから面白さが失われてしまう」は、やはり真なのだろうか。これは身も蓋もないことをいってしまうと、私の考えではズバリ真である。悲しみ、寂しさ、怒り、不満、恨み、嫉妬、そういう負のパワーが綺麗さっぱり心の中からなくなってしまえば、生み出すものから面白さは失われるだろう。
しかし大切なのはここからだ。
4.
「幸せに"なる"」という表現に、私は昔から違和感があった*1。人生には不幸な時期と幸福な時期があって、何かの条件が揃えば、オセロみたいに黒がひっくり返って白になる。揃えた何かの条件を失わない限り、白くなったものはずっと白。そ、そんなわけない!
人間という生き物は残念ながら欲が深い。1つコップを水で満たしたと思ったら、ただちに隣にもう1つ、空のコップが現れる。
そのコップを満たしたと思ったら、今度は隣に3つめのコップ。3つめのコップを満たしたと思ったら、最初に満たしたコップは穴があいて、空になっている。あちらを立てればこちらが立たず、理不尽は常に降りかかり、隣の芝生はいつだっていつまでも青い。自分の人生に必要だと思われるピースをいくつ集めたって、私たちにはきっと永遠に何か足りない。
5.
だからそもそも、創作者は──というか人間は、何をやっても手に入れても、満たされる期間はどうせ一時的だ。生み出すものから面白さが失われることがあっても、たぶんその状態はめちゃくちゃもって1年とかである。「創作者が幸せになってになってしまうと、生み出すものから面白さが失われてしまう」は確かに真だが、「生涯にわたって幸せになる(永遠に満たされる)」なんてことはそもそも仏陀レベルの超人でないと無理なので、私たちのような凡人は、「面白さが失われてしまうのでは?」なんて、んなことわざわざ心配しなくてよいのである。
この世が地獄でよかったね。
6.
……という話、昔思いっきり書いていました。また同じこと言ってしまった。
7.
だから、自分に必要そうなピースをかき集めることに、そんなにビビらなくても大丈夫だ。一度満たした空腹も、どうせ時間が経てば元どおり。どんどん大切なものを手元にかき集めるといい。逆にいうと、何か大事なピースが欠けているような気がしていても、特に問題はない。なぜならそれが普通なので。
8.
なぜか定期的にこういうことを書きたくなってしまう。なぜだろう。今の世の中が、負のパワーを排除しようと躍起になりすぎているように思えるからかもしれない。
負のパワーは存在自体が悪いのではなく、燻らせて不発弾になるのが悪いのだ。原動力にして昇華させればただのガソリンである。刃を自分や相手の心臓に向けず、天に向かって突き立てるといい。空を切って青く血に染まるナイフ!
*1:って、言っちゃったけど、私も前「なる」って使ってましたね。すいませんすいません