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村上春樹『遠い太鼓』に見る旅の極意3つ

以前、作家・村上春樹の旅エッセイについてのエントリを書いたことがあります。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む前に、これもチェック! - (チェコ好き)の日記

村上春樹の旅行エッセイというのは、本当に味わい深く、小説とはまたちがった趣きがあります。『ノルウェイの森』などを読んで、その鼻につく、まわりくどい言い回しに挫折してしまった人も、エッセイなら! ということで、ぜひ村上春樹の文章に再チャレンジしてみてほしいです。


ところで、この村上氏の旅エッセイ、上記のエントリで紹介した『雨天炎天』『辺境・近境』『もしも僕らのことばがウィスキーであったなら』の3冊以外にも、まだ『遠い太鼓』という本が残っているんです。

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)


この本は、私が以前紹介した3冊の本と同じ“旅エッセイ”なのですが、大きく異なる点も、いくつかあります。


まず1つ目は、そのボリューム。本の厚さです。
『遠い太鼓』はページ数が570ページもあります。私は毎夜ちびちびと読んでいたので、読み終えるのに1週間程度かかりました。おかげで、村上春樹の旅の世界を、じっくりと堪能することができます。


そして2つ目は、旅する期間の長さ。
この本は、村上氏が30代後半のとき、3年ほどヨーロッパに滞在していたときの記録が書かれています。村上氏と彼の奥様は、主にイタリアのローマにアパートメントを借りて、この3年間を過ごしています。しかし、ずーっとローマにいたわけではなく、シシリーやパレルモに行ってみたり、トスカーナ地方をまわってみたり、ギリシャのミコノスやロードスを訪れたり、オーストリアのザルツブルクやイギリスのロンドンに行ってみたり。ローマに拠点を置きつつも、ヨーロッパをぐるぐる、ぐるぐるしているわけです。

ちなみに、私が以前紹介したギリシャ・トルコの旅行記『雨天炎天』は、この3年間の間に敢行された旅行のよう。いってみれば『遠い太鼓』のスピン・オフだった、というわけです。

3年もの間、ずっと「旅行者」であり、「異邦人」であり続けるという体験は、なかなかできるものではありません。


最後に3つ目は、このエッセイが書かれた時期。
村上氏は、この旅行中の1987年に、大ベストセラーとなった『ノルウェイの森』を、ローマにて完成させています。そして、途中に数々の翻訳の仕事をはさみながら、『ダンス・ダンス・ダンス』も、この旅行中に仕上げているのです。

村上氏は、『ノルウェイの森』が大ベストセラーになってからの自分のまわりに起きた環境の変化について、この本でポツポツと心境を語っています。そのあまり分量は多くありませんが、ここに少しだけ引用してみましょう。

すごく不思議なのだけれど、小説が十万部売れているときには、僕は多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。表面的には何もかもがうまく行っているように見えたが、実際にはそれは僕にとって精神的にいちばんきつい時期だった。いくつか嫌なこと、つまらないこともあったし、それでずいぶん気持ちも冷えこんでしまった。

『遠い太鼓』は、彼の代表作である数々の小説を書き上げた旅であり、また彼が『ノルウェイの森』のショックによって日本にいられなくなってしまった、とてもつらい時期の記録でもあるのです。しかし、村上氏は3年間日本を遠く離れることによって、そのつらいショックから立ち直り、新たに小説を書くためのパワーを、少しずつ充電していきます。


旅行者であること。異邦人であること。その土地の人間ではない、ということ。自分から学歴や職業などのラベルを、一切合財はがした場所にいる、ということ。

『遠い太鼓』を読んでいると、人間には、そんな経験からしか得られない世界観や、成長や、癒しがあるような気がしてきます。



だいぶ前置きが長くなりましたが、『遠い太鼓』を読んでいると、1人の旅行者として、遠く離れた地で純粋に驚き、純粋に楽しみ、純粋に目の前で起きたことを受け入れる――そんな旅の極意とでもよべるものを、おぼろげながらつかむことができます。


村上春樹『遠い太鼓』に見る旅の極意とは?

以下に3つ、紹介します。

1・よーく、人を観察する!

村上春樹の旅エッセイを読んでいると、彼が街の人々をよーく観察しているなぁ、ということに気が付きます。知人に紹介された現地の人はもちろん、ホテルの従業員からタクシーのおじさん、キオスクのおばさんから、街の少年少女まで。どんなふうに観察しているのか、ちょっと本文を見てみましょう。

「その男ゾルバ」みたいなおっさんやら、血色の良いおかあさんやらが、ピレエフスかアテネで買い込んできたらしい荷物をどっさりと抱えて、どたばたと波止場に降りてくる。彼らは正真正銘の庶民である。僕は彼らのことを、「ゾルバ系ギリシャ人」と呼ぶ。

「その男ゾルバ」というのは、1964年のギリシャ映画ですね。
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この文章は、村上氏がギリシャのスペッツェス島を船で訪れるときの描写です。一緒に船に乗った乗客たちを観察して、映画の「ゾルバ」みたいなおっさんがいっぱいいるぞ、ということに気付いた何気ない文章なのですが、「ゾルバ」がいっぱい、という場面を想像すると、ちょっと笑えます。

他にも、博報堂の高橋さんに雰囲気が似ている、という理由で島の商店のおじさんに「タカハシさん」とあだ名をつけたり、何かを強調したいときは言葉の真ん中の母音を「それはもうビュウウウウウウティフルなお家なわけ」とながあああああああああく(長く)ひっぱる知人の紹介で出会った女性のことを描写したり、本当に人のことをよーく観察しているなぁ、と思います。

旅行先の、その土地に住んでいる人々というのは、当然ですが私たち日本人とは、その顔つきも所作も異なるわけです。それを具体的に、どういうふうに顔つきや所作が異なるのか、細かいところを観察して文章でもスケッチでもいいので記録しておくと、その旅の思い出は後で思い返したときに、より鮮明によみがえってきます。

旅先で出会った食堂のおばちゃん、公園にたむろしている兄ちゃん、だれでもいいので、印象に残った人をよーく観察し、できれば適切な「あだ名」をつけて、1人で楽しんでみる。これが旅の極意その1です。

2・食事を、しっかり味わう!

『遠い太鼓』には、ギリシャやイタリアのタヴェルナやリストランテの様子、そこで出された食事の描写が、頻繁に登場します。日本では出会えないような美味しいものから、ちょっとつまらないもの、あまり美味しくないものまで。これも、本文をちょっと見てみましょう。村上氏が、パレルモにある『ア・クカーニャ』という店について描写している文章です。

ここはまずビュッフェ形式のアンティパストが美味しい。イタリアのレストランのアンティパストは見た目は美味しそうでもいざ食べてみると脂っぽいものが多くて閉口することが多いのだが、ここのは実にさっぱりとしていて、家庭料理っぽいところが嬉しい。それを食べながら腰のある美味しいシシリーの白ワインを飲む。それからプリモのお勧めはシシリー名物のパスタ・コン・サルデ(鰯のパスタ)とイカスミのリングイーネ。このふたつは優劣つけがたく美味しい。鰯のパスタというのはパスタに鰯と松の実とフェンネルとレーズンを混ぜたとても香ばしい料理で、皿が運ばれてきたときの匂いが実にいい。

村上春樹という人は、エッセイでも小説でも、食べ物の描写がおそろしく上手い人だと私は思っています。(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、コーヒーとオムレツの描写がすごい)

旅先で食べた食事の記録というのも、後で思い返したときに、その記憶をより鮮やかによみがえらせるために、とても重要なものです。イタリアやフランスなど、ごはんが美味しいといわれている国においては、なおさらです。

そう、イタリアの食事は本当に美味しかった。シエナで食べたフンギのパスタや、タルクイニアで食べたムール貝、ミモザのケーキ。私もイタリアで食べたいろいろなものを、ちょっと思い出しましたよ。

3・こまめに記録する!

私が3年前にイタリアとフランスを旅していたとき、同行の先生に、
毎日、夜に日記をつけなさいね
と、口酸っぱくいわれていました。

が、夜にホテルに着くともうクタクタで、日記なんてつける間もなく、すぐにぐーぐー寝ていた私。今となっては、何て惜しいことをしていたんだと、先生のいっていたことの意味が、はっきりとわかります。

何枚写真を撮っても、どんなにすごい体験をしても、それを自分の手と頭を使ってしっかりと記録しておかないと、記憶というのは、あっという間に薄れていきます。写真を見ても、教会の名前が思い出せなかったり、食材の名前が思い出せなかったりすることは、後になってみるとけっこうさみしいものです。

村上春樹は旅行中、いくつものスケッチや日記を、頻繁に書いていたようです。それらのスケッチや日記をかき集めて、後から編集したものが、この『遠い太鼓』という本になったのでしょう。

記憶が鮮明なうちに、自分が体験し、驚いたり腹が立ったり嬉しく思ったりしたことを、しっかりと記録しておく。ちょっとくらい絵が下手でも、文章が下手でも、しっかりと記録したそれらは、かけがえのない1つの立派な「旅行記」になります。


これから旅行に行く予定のある方は、ぜひ日記帳(メモ帳)を1冊持っていって、その日訪れた場所、出会った人々、食べた物、その土地の空気や雰囲気について、記録しましょう。毎日、日記を書きましょう。これが、1にも2にも増して重要な、旅から成長や癒しを得るための、「旅の極意」です。

★★★

いろいろな人の旅行記を読んでいると、当たり前ですが、同じ場所を訪れてもその人によって、着眼点や感じ方は異なることがわかります。

しかし共通しているのは、みなさん“その土地のもの”を、異邦人の目線でしっかり見ている、ということです。

旅行というと、ついつい観光名所や博物館・美術館をまわることに注力しがちですが(私はそうです)、それと同等に大切なことは、その土地に生きている人たちを、しっかりと見ること。その土地で出された食べ物を、しっかり味わって食べること。その差異に純粋に驚き、純粋に楽しみ、受け入れること。その土地の空気や雰囲気を感じること。
そういうことなのかなぁ、と思います。


まだまだ「旅行初心者」の私。
今後も、自分を回復させ、パワーを充電できるような旅をするためには何が必要なのか、ブログを通して考えていきたいと思います。

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