チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

「できる」と「できない」の間の話

Twitterで教えてくれた人がいたので、高橋秀実さんのエッセイ『はい、泳げません』を読んでみた。著者の秀実さんはカナヅチで、水が怖くてまったく泳げないのだけど、そんな秀実さんが中年になって一念発起し、スイミングスクールに通い出すというエッセイである。

はい、泳げません

はい、泳げません

が、「水泳とか興味ねーよ」という人がこのブログを読んでいる人の大半だろう。私も正直、水泳そのものにはほとんど興味がない。でも、この『はい、泳げません』という本はべらぼうに面白かった。私一人が面白いといってもきっと説得力がないので、単行本当時の帯を書いた村上春樹の言葉をここに引用しよう。

「変てこな、人の足をひっぱるような『ハウ・トゥー』本(なのか?)が、いったい世の中のどんな役に立つのか、僕には今ひとつよくわからないのだけど、まあそれはともかく、無類に面白い本です」。

そう、これはれっきとした「ハウ・トゥー」本である。ただし何のハウ・トゥーかというと、決して水泳のハウ・トゥーが書いてあるわけではない。これを読んでもたぶん泳げるようにはならない。では何のハウ・トゥーかというと、もっと広義の、今自分が「できない」あることに対して、どのように考え取り組んでいくのが正しいのか? ということ、いってみれば思考そのもののハウ・トゥーが書いてあるのだ。

どうして私は「できない」んだろう?

世の中のあらゆることには、「できる」人と「できない」人がいる。自転車に乗れる人乗れない人、泳げる人泳げない人、英語がしゃべれる人しゃべれない人、もっと複雑になると、仕事ができる人できない人、納得のいく恋愛ができる人できない人。自分がすべてにおいて「できる」側だなんて人はまずいないだろうし、反対に、自分はすべて「できない」側だという人もいないはずだ。

で、「できない」けれどあることが「できる」ようになりたい場合、練習というか鍛錬を積むことになる。あまり苦もなくすぐ「できない」から「できる」に変わるものもあるけれど、「できない」ままの状態がずっと続き、苦しむものも種類によってはある。たとえば、私は小1の頃自転車に乗る練習をし始めてわりとすぐに乗れるようになったけど、一輪車は苦手でどんなに練習しても上手くいかず、結局今もまだ一輪車には乗れないままだ。

自転車にわりとすぐに乗れるようになった人は、自転車になかなか乗れるようにならない人の気持ちはわからない。同じように、泳げる人には、泳げない人の気持ちはわからない。そんなことを示すように、『はい、泳げません』の冒頭は、「泳げる人」へ向けた秀実さんの恨み節が延々と書いてある。プールで泳いでいて人を抜く場合、挨拶があってもいいのではないかとか、泳げる人は自分さえよければそれでいいと思っているとか、泳げる人は人間として何かが欠けているとか、ゴーグルをつけた顔が怖いとか、何においてもとにかく無性に腹が立つとか、もうあまりにも卑屈というかほとんど言いがかりである。だからこの恨み節の冒頭は笑い所なのだけど(ゴーグルの顔が怖いって何だよ)、しかしまあ自分が「できない」ままの状態に長くとどまっている場合、「この世のすべてが憎い!!!」みたいな心境になることはある。私も一輪車の練習をしていた小1〜小2時代、自分の前をスイスイ通り過ぎていく同級生を見て、「こいつ頭がおかしいんじゃないか?」とよく思っていた。

しかし、泳げる人の悪口ばかり言っていても始まらないので、秀実さんはとりあえずプールの水に浸かる。が、水がとても怖い。水泳の本を読んで「水に慣れよう」「水に親しもう」「人間の体は水に浮くようにできているから大丈夫」などと書いてあっても、それを全部承知の上で怖いのだ、と反論する堂々巡りがしばらく続く。

「できる」人から見た「できない」人

この本の面白いところは、そんな卑屈なカナヅチ秀実さんと、スイミングスクールのコーチである桂さんの、往復書簡になっていることである。秀実さんの体験談が続いたあと、それを読んだ桂コーチのフィードバックが入る。そして、この「できる」人と「できない」人の認識のズレ、みたいなのがとても興味深い。通常、スイミングスクールで水泳を習っていても、その途中の心境を文章にして残すことなんてほとんどないだろう。また、それを読んだコーチ側が、文章でフィードバックを返してくれることなんてもっとない。「できる」人と「できない」人の間にはズレみたいなのが当然あるはずなのだけど、それが言語化・可視化されると、ここがこんなふうにズレてたんだ、みたいなのがわかって面白いのだ。

冒頭の卑屈な秀実さんに対して、桂コーチは「泳いでる人がプールで抜かすときに挨拶しないのは当たり前でしょうが、泳いでるんだから」とごもっともなことを返す。だけど、「それにしても、水がこんなにもこわかったのですね」とも書く。この桂コーチのパートはちょっとした答え合わせにもなっていて、ここの認識がおかしいから変えればいいんだとか、ここの考え方は普通だし合ってたとか、「できる」側は「できない」側の世界を、「できない」側は「できる」側の世界を、想像するためのヒントになっている。

あとは、単純な言った言わない論争みたいなのも「あるある」なのだけど、読んでいると面白い(というか笑える)。桂コーチはあのときこう言った、いやこうは言ってない、桂コーチはあのときこう言った、いやそれはそうじゃなくてこういうニュアンスで言ったんだ、桂コーチは言ってることがコロコロ変わる、いや秀実さんの段階に合わせてあえて変えてるんですよ、いや混乱するから変えないでくださいよ、などなど、もうホントに細かいのだけど、人間同士だとこういうことってまじでよくある。

みんな苦しかった

なんとか水に顔を浸けることには慣れた秀実さん、しかしなかなか泳げるようにならない。息継ぎができないのである。息継ぎができなくて、苦しいので、25mを泳ぎ切ることができずプールの途中で立ってしまうのだ。

すると桂コーチ、同じ水泳クラスの生徒さんたちに問いかける。

「鈴木さん、泳いでいて苦しいですか?」
「そりゃあ、苦しいですよ」
「山本さんは?」
「苦しいわよ。決まってるじゃない」
「中村さんは?」
「苦しいわ」

秀実さんは、ここで「うそ?」と驚く。自分以外は苦しくなくて、苦しくないから25mを泳ぎ切れるんだと思っていたらしい。しかし、実はみんな苦しくて、苦しいのを我慢していた。桂コーチは、驚く秀実さんに「我慢すれば息継ぎしなくても25mはいける」と説く。

しかしそうは言っても、苦しいものは苦しい。苦しいのは恐怖である。我慢すればいけると説かれても、はいわかりましたとすぐに25mいけるわけではない。が、桂コーチは「呼吸しにここに来てるんですか? 泳ぎに来てるんですよね。じゃあ泳いでください」とスパルタである。読んでるこっちが泣きそう。秀実さんも完全にビビっている。が、そう言われては仕方ないので、秀実さんは泳いでは途中で立ち怒られ、泳いでは途中で立ち怒られ、を繰り返すうちに、だんだんと25mはいけるようになってくる。しかし、「なんで立つの!」と怒り狂う桂コーチ、プールの真ん中で立ち尽くしシュンとする秀実さん、怖いのとかわいそうなのと面白いのとで、この本のいちばんの盛り上がり所である(たぶん)。

どうすれば「できる」ようになるのか

ネタバレご法度かもしれないが、結論からいうと、秀実さんは最終的に泳げる人になる。「できない」世界から「できる」世界へ、見事な飛翔を遂げる──といいたいところだが、泳げるようにはなるものの、泳げるようになっても秀実さんは未だにグジグジウジウジしている。巻末に秀実さんと桂コーチと小澤征良さん*1の鼎談があるのだけど、そこでもまだ「水が怖い」「プールに行きたくない」「泳ぎたくない」「泳げない(泳げるのに)」などと言っている。

せっかく泳げるようになったのに何でこんなに卑屈なんだ……と人によっては疑問に思うかもしれないけれど、しかしこれこそがリアルな「できる」人の世界なのだろう。水中では息が吸えなくて、それが苦しいのは泳げるようになっても変わらないのだ。各々の「できる」ことと「できない」ことを思い出してみると、心当たりがあるはずだ。

何かが「できる」ようになるためにはどうすればいいのか? となると、究極な話、「できるまで頑張る」しか道はない。しかし、できるまで頑張れないことが多いから、できるようにならない。では、「できるまで頑張る」にはどうすればいいのか、どうすれば諦めずにいられるのかというと、秀実さんみたいにエッセイのネタにするとか、ブログに書くとか、人に話すとかして、できない状況そのものを「面白がる」しかない。福音なのは、できないままでもイヤイヤでも真面目に続けていると、意外とまわりの人が世話を焼いてくれるということである。

もう一つは、「できる」人の世界を、なるべくリアルに想像することである。そして、この本はそんなリアルな「できる」人の世界を想像するのに、とても役立つ。泳げる人でも、水は怖いし息は苦しいし、プールには行きたくないのだ。

というわけで、この本はとても面白い。何かが「できない」ことで悩んでいるすべての人に、読んでみてほしいと思う。1日で読めるが、笑っちゃうので電車などで読む際は注意が必要だ。

最後に、このエッセイは以前紹介した高野秀行さんの『腰痛探検家』の続編として読むと、理解が深まる。『腰痛探検家』は「解決したい悩みがあるけどどうしたらいいかわからない」人へ、『はい、泳げません』は「どうしたらいいのかはなんとなくわかるんだけどできない」人へ、贈りたいエッセイである。どちらも、読み物として一級品であることを私が保証する。
aniram-czech.hatenablog.com

*1:指揮者の小澤征爾さんの娘。桂コーチの生徒だったらしい

タラレバ娘、抗えない老い、後悔、そして『騎士団長殺し』

村上春樹の最新長編小説『騎士団長殺し』の感想を書く。物語の核心に触れないよう細心の注意を払うけど(つまり、まだ読んでない人が目にしても大丈夫なように書くけど)、とはいえ「何も知らない状態で『騎士団長殺し』を読みたいんだッ!」という人にはこの感想はスルーしてもらったほうがいいと思う。本を読み終わったらまたブログを読みに来てください。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

ある時点に戻ってひとつの間違いを修正できたとしても

まず読み終わって最初に思ってしまったのは、村上春樹ももう68歳、作家としては大ベテランだ。『騎士団長殺し』も過去の作品の焼き直し感が強く、特に目新しい手法が導入されていたようには思えなかった。もちろん小説として面白かったし、夢中で最後まで一気に読んでしまったけれど、村上春樹ファン以外に特別にこの作品をすすめたいか、と問われると答えはNOである。上巻で張り巡らされた伏線が下巻でカチカチとパズルがはまるように回収されていくのだけど、そのパズルが鮮やかすぎるというか、「上手くなりすぎちゃったなあ」と思ってしまったのが正直なところだ。私はもう少し、不格好でイビツで危なっかしいほうが個人的には好みである。まあ、それは読む前からある程度予測できていたことでもあるので、ここでは特に深入りしない。

それが全体的な印象ではあるのだけど、『騎士団長殺し』で個人的にグッときた部分をあげると、下巻で主人公が自らの結婚生活を振り返るシーンがある。この小説の主人公は36歳で、肖像画を描く仕事をしているのだけど、ある日突然妻から離婚を切り出されてしまうのだ。そしてそのことを、近隣に住む免色(メンシキ)という中年の男と、こんなふうに語る。

「結婚生活について悔やんでいることはなくはありません。しかしもしある時点に戻ってひとつの間違いを修正できたとしても、やはり同じような結果を迎えていたんじゃないかな」
「あなたの中に何か変更のきかない傾向のようなものがあって、それが結婚生活の障害となったということですか?」
「あるいはぼくの中に変更のきかない傾向みたいなものが欠如していて、それが結婚生活の障害になったのかもしれません」


p.140『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編


「ある時点に戻ってひとつの間違いを修正できたとしても」、やはり同じ結果を迎える。私は人生において後悔というものをほとんどしたことがない人間なのだけど、それは「いついかなるときも目の前のことを全力で(しかし客観性は失わず)やってきたからですっ!」なんて理由からでは全然なくて、一種の諦念から来ているというか、ひとつくらいの選択を変えたところでどうせ人生はたいして変わらないだろう、という感覚を持っているからだ。「あのときああしてたらよかった」なんて思わない。「あのときああしていたとしてもきっと同じだった」と思う。だから「〜していたら」「〜していれば」なんて全然考えないのだけど、他の人は人生に対してどういう感覚を持っているのだろう。「タラ」「レバ」で自分の人生の可能性を広げて考えることができる、というのはけっこう幸福かもしれない。私の場合はまさに、自分の中に変更のきかない傾向のようなものがあって、それが人生の障害になっている。あるいは強みになっている。そういう感覚があるので、この主人公にはけっこう共感を覚えることができた。人生を点として考えるか(そしてそこから様々に枝分かれする)、線として考えるか(一時的に枝分かれしているように見えても最終的には同じ場所に着地する)。

そして、村上春樹の小説に通じているその一貫した「諦念」のようなものが、やはり私は好きなのだった。運命には抗えないというか、配られたカードで勝負するしかないというか。天から授けられたgiftに変更はきかないし、文句をいうこともできないのだ。

待ってください。あともう少しすれば──

『騎士団長殺し』の主題はなんだったのか? という話になると、それは「老い」と「子供」になるのかな、と思う。生きていると、人は老いる。世の中にはお金持ちも貧乏も、男も女も、モテる人もモテない人も、いろいろいる。だけど唯一、時間だけは平等で、「やがて老いて死ぬ」という点は残酷なことに、どんな人であっても皆同じだ。

この小説の主人公は前述したように36歳なのだけど、その主人公が追いかける存在として、90代の老齢画家・雨田具彦という人物が登場する。この老齢画家は意識が混濁していて、養護施設に入所しており、マトモな話ができる状態ではない。しかし、それは主人公そして我々が、遅かれ早かれ向かっていく避けられない姿でもある。

作者の村上春樹がなんといっても68歳なのでそういう描写にならざるを得ないのだろうけど、この小説における36歳という年齢は、まだまだ未熟な若者だ。死ぬまでの時間は、基本的にはたっぷりと残っている。が、たっぷりと残っているように見えても、それが刻一刻と減っていっていることに変わりはない。だからプロローグで、肖像画家である主人公は焦っている。ある人物に対して、あなたの顔はまだ自分には描けない、と。そして、「待ってください。あともう少しすれば──」と訴える。主人公はそうすることでとりあえずの猶予を得られるけど、しかしあと何回、チャンスがあるかはわからない。

どうしたらそのある人物の顔が、主人公は描けるようになるのか。時間を味方につけるしかない。「老い」は一般的にはネガティブな響きをともなうけど、誰にでも平等に訪れる避けられないものなのだとしたら、敵にまわすより味方につけたほうが賢明だ。だから老いることを、時間が過ぎていくことを、味方にするしかない。村上春樹自身も老齢に差し掛かっているので、この人は自分のために、そんなメッセージを込めた『騎士団長殺し』を書いたのかな、と思った。

村上春樹の小説はファンタジー要素が多いし、登場人物もすぐにパスタ茹でたりセックスしたりするのであまり現実味がないというか、個人的な香りがしないのだけど、唯一このプロローグには村上春樹自身の個人的な香りが、少しするような気が私にはした。あともう少し、時間をくださいと。まだ書きたいことがある、でも書けるようにならないんだ、と。だけどきっと、「完成」など迎えられるはずもなく、未完成のまま、中途半端に人は死ぬのだろう。

「子供」については、たぶん私以外にも感想で触れる人がたくさんいると思うので、ここでは特に言及しない。だけど繰り返すように、村上春樹自身がトシだから、「老い」とは何か、そして遺伝子的な子供を持つ人も持たない人も、何を残して自分は死ぬのか。そんなことを考える小説にしたかったのかなあと思った。

冒頭に書いたように、村上春樹ファン以外の人に特におすすめできるような要素がある小説ではない。だけど、「老い」について考えてみたい人が読むと、何がしかのヒントは得られるかもしれない。そして、「スタイルが完成されすぎちゃって上手くなりすぎちゃって面白くない」村上春樹が、そこからどう老年をあがくのかを私はメタ的に楽しみにしているので、今後も、村上春樹の小説は問答無用で発売日に買って読むと思う。まあ、こういうのは一種のお祭りだからこれでいいのだ。

関連エントリ
aniram-czech.hatenablog.com

格闘日記① 〜白馬の王子様編〜

 一年半くらい前、ひどい肩こりと眼精疲労に悩まされていた私は、某所で評判を聞きつけ、高田馬場にあるマッサージ店を訪れていた。当時の私は、この広い世界のどこかに人体について知り尽くしたゴッドハンドがいて、そのゴッドハンドに出会いさえすれば、私の肩こりは消えるのだと思っていた。ガチガチの白馬の王子様願望だ。いつか白馬に跨ったゴッドハンドが私を迎えに来てくれて、神の手によって肩こりを取り除いてくれると思っていたのだから。 
 
 八月の夕暮れ。「今度こそ」と意気込んで、私は店舗である長屋の戸をガラガラと開いた。しかし、王子様(女性だったけど)の施術自体は、さしたる感動もなく、一時間程度であっさり終わってしまった。終わったあとも肩の気だるさは抜けず、爽快感はいまいち。施術台を降りた私は、「この人もちがった。私の運命のゴッドハンドじゃなかった」とどこぞの婚活女子のような感想を抱き、そそくさと店を後にしようとした。が、この店は自分が当時足繁く通っていた「てもみん」とはちがうので、施術のあとに「カウンセリング」という時間があった。

 カウンセリングでは、日頃の生活習慣や食生活、運動についてなどを根掘り葉掘り聞かれた。しかし正直、施術がいまいちだったので、また通り一遍のことを言われるんだろうと私はナメきって答えていた。どうせ「お仕事はデスクワークなんですね〜パソコンを使う仕事ってどうしても肩がこっちゃいますよね〜」とか言うんだろ。それくらい私だっていえる。

 が、そのゴッドハンドじゃなかった人がカウンセリングで放った一言は、その後の私の人生……というと話が大きくなりすぎるので、その後の私の生活、くらいに言っておくけれど、その後の私の生活に大きな衝撃をもたらすことになったのである。


「あのね、あなたは、実は、肩は全然こってないですよ」


 言われた私は思わずポカンとしてしまい、「どういうことですか?」と聞き返した。肩がこってこってこってしょうがないから運命のゴッドハンドを探しているのに、「こってない」というのはいったいどういう了見なのか。

「肩がだるいのは、こってるっていうより、筋肉がないんですよ。かたいものをほぐすことは意味があるけど、柔らかいものをもっとほぐしても意味がないでしょう。あなたの場合は、筋肉がないから、マッサージをどんなにやってもダメ。筋トレしてください」

ゴッドハンドじゃなかった人は、そう言い放つと、私に今日の施術の内容をまとめたメモのようなものを差し出し、カウンセリングを終わらせた。

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 以来、「筋肉がない」という言葉は私の心に小さな棘のように突き刺さっていたが、「アラブ愛が高まったので中東に一カ月くらい行きたい」という理由で唐突に会社を辞めたり、転職したり、引っ越し先を探したりと、どたばたしているうちにその棘の存在感は次第に薄れていった。

 棘が熱を持ってチクチクと痛み出したのは、昨年の秋近くである。どたばたしていたのが少し落ち着いたところで、変わらず肩こりと眼精疲労に悩んでいた(というか、今も悩んでいる)私は、約一年ぶりにゴッドハンドじゃなかったあの人の言葉を思い出した。「筋肉がないと、どんなにマッサージを受けてもダメ」とは、「自分の軸がないと、どんなに出会いの数を増やしてもダメ」みたいなのとなんだか語感が似ている。どうもすみません。あと知人に、「あなた筋肉がないから将来寝たきりになるよ」と五回くらい言われたのも、棘が痛み出した一因になった。
 
 そんなわけで、私は何か筋肉が付きそうなことを始めたかったのだが、じゃあジムにでも通うかとなると、それは何だかちがう気がした。ジムに通うと筋肉は付くかもしれないが、しかしそれでは筋肉が付くだけで終わってしまう。筋肉は付けたいが、ケチなので、せっかくお金を払ってやるなら何かもう一つくらい付加価値が欲しいと思ってしまった。
 
 そこで、目に止まったのが護身術である。格闘技なら、続ければ筋肉はそれなりに付くだろう。それと、私はよく一人で海外に行くので、いざ危ない目に遭ったときに、相手に一撃でもくらわせて逃げることができたら随分心強いような気がした(もちろん、下手に抵抗するくらいなら有り金全部渡して命乞いしたほうがいいのだが、それでもダメだったときというか、本当に窮地に追い込まれたときを想定している)。何より、「肉体的・物理的に強い」という状態は、ハードボイルドでかっこいいのではないかと思ってしまった。

 かくして私は都内某所にある某教室の門を叩くことになり、そしてそのことを、ちょっとだけSOLOに書いた。現在、始めてからようやく半年といったところで、回数でいうと二十回くらい通ったことになる。
sololife.jp

 強くなったか? と言われたら別に強くなっていないし、肝心の筋肉も付いたのか付いていないのかよくわからない。少なくとも、見た目の変化はあまりない。何より、肩こりと眼精疲労に回復の兆しがまったく見られない。
 
 じゃあお前は二十回の間にいったい何をやってたんだと言われると困るのだが、とりあえずこの半年間でわかったことは、「人間の動きは胴体に出る」ということである。

 
 どういうことかというと、私の教室ではよく二人一組になって攻撃側と防御側の練習をそれぞれ行なうのだが、私は最初の頃、相手の打撃をミットで受けるのがとても怖かった。パンチやキックをミットで受けると、衝撃を上手く逃がせずにそのままダイレクトにくらってしまい、足元がふらふらしてしまっていた。その様子はまさしく「腑抜け」「腰抜け」「間抜け」「アホ」といった言葉がぴったりで、私は情けない自分の姿に毎回泣きたくなるくらい失望していた。ハードボイルドどころではなかった。
 
 見かねた先生がレッスン何回目かでアドバイスしてくれたのは、「あなたは攻撃が怖いから、いつもパンチを打つ相手の手元やキックを出す相手の足先を見ている。だけど、体の先を見ても防御は追いつかないから、胴を見なさい。動きは胴に出る」ということであった。
 
 かくして先生に言われた通り、私は相手の胴体を見ながら攻撃を受けるように意識し始めた。すると確かに、手元や足先に注目しているときより、体の反応が追いつくようになり、攻撃を受けてもその衝撃をよそへ逃がすことができる。考えてみれば当たり前だが、足先が動くタイミングよりも、足の付け根が動くタイミングのほうが、コンマ何秒か早い。一秒に満たない差とはいえ、相手の動きをより早く予測できるようになれば、攻撃を受けても、その衝撃をやわらげることができるのであった。
 
 が、根底にはいまだ恐怖心があるのか、私にとってはまだ、「胴を見る」ことはなかなかの集中力を要する。少しでも気が逸れると、またすぐに相手の手元足先を見るようになってしまう。そして、手元足先を見ながら受ける攻撃は、衝撃を逃がせないので、ミット越しとはいえ痛い。ミットなしで受ける攻撃練習のときは、当然ながらもっと痛い。防御に失敗し、「もしかして、DV?」と一瞬疑われるような青痣を腕に作ったこともある。
 
 怖いけど、怖がると視線が狂って防御に失敗し、もっと痛い目にあう。だから私は、「男だろうと女だろうと、巨漢だろうとマッチョだろうと、ナイフを持っていようと銃を持っていようと、どんな相手を前にしても怖がらない」というメンタル作りに今、励んでいる。
 
 しかし考えてみると随分遠回りというか、肩こりと眼精疲労を解決するためになぜ私は防御の際のメンタルについて語っているのだろうか。
 
 あと十回行くと、昇級テストが受けられるらしい。私の格闘の日々はまだ、始まったばかりだ。

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【追記】ちなみに、運命のゴッドハンドとは、その後あるところでひょっこりと出会ってしまうことになる。その話はまた別の機会に。

バリ島旅行記に関するまとめと宿情報などなど

長々と書いていたバリ島旅行記、ブログエントリとnoteの記事をすべてまとめました。見逃している方も、時間のあるときに改めて読んでみてくれたら嬉しいです。また、今回利用した船やツアー会社の情報も追記しているので、バリ島を旅される方は参考にしてください。

【0】バリ島に関する本、旅行中に読んだ本

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【1】【2】バリ島のこと

旅情報としては、バリ島はUberが使えるということを旅行者は覚えておくといいかも。あと、私はプリペイドSIMを空港で買ってWi-Fiに頼らない快適ネット環境を用意していました。そして下記のサイババ占い体験で利用したツアー会社はAPA?という会社。お世話してくれたワヤンさんは日本語ペラペラで、よく電話口で「了解〜」と言ってました。あとAirbnbで泊まった宿のオーナーもワヤンさんでした。

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note.mu
※こちらがウブドの宿。しゃれおつだが虫除けスプレー必須。
www.airbnb.jp


【3】【4】ギリ・アイルのこと

この旅でもしかしたらバリ島よりも好きになってしまったかもしれないギリ・アイル。滞在するだけで幸せになれる島。小さすぎてUberどころかそもそも車が走っていません。移動は徒歩で。バリ島からギリ・アイルまで海の移動はワハナ・ギリオーシャンという会社の船を使いました。宿からバリ島のパダンバイ港までの送迎付き。ただし時間通りには来ない(30分くらい遅れたので超焦った)。
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note.mu
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※ギリ・アイルの宿。家族経営なのか、受付の奥でちびっこが遊んでいました。
www.booking.com

【5】ロンボク島のこと

旅行前にいちばん心配していたのがギリ・アイル→ロンボク島への移動で、いくら検索してもこのルートで旅した人の記録が出てこない。ロンボク島→ギリ・アイルのルートで旅している人はけっこういるみたいなのだけど、もしかして逆は船がないのか!? とちょっと心配していた。でももちろん、そんなことはなかった。船着場のところにボートの時刻表が出ている。値段も書いてある。ロンボク島ではUber使えません。
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aniram-czech.hatenablog.com
ロンボク島の宿。こちらのオーナーの名前もワヤンさん。あと翌日に乗ったタクシーの運転手もワヤンさんだった
www.booking.com

【6】ジャカルタのこと

ジャカルタUberが使える。が、道路交通事情が悪すぎるため、呼んでもなかなか来ないし流しのタクシー拾ったほうが早い気もする。
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note.mu
ジャカルタの宿。高級住宅街みたいなとこにある。
www.airbnb.jp

最後に

なんだかんだいって参考になった高城剛さんの本。バリ島、ギリ・アイル、ロンボク島のことが載っています。次にインドネシアを訪れるときは、ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡を見て、バリ島から東にずっと移動し、東ティモールパプアニューギニアまで行ってみたいです。めちゃハードなルートになりそうなので、できるかできないかは別として。

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【6】灼熱のジャカルタと信用できない警官

バリ島旅行記、これで最後。念のため確認すると、ここまでのルートは、成田→シンガポール→バリ島→ギリ・アイル→ロンボク島と来ている。そして、私はロンボク島の空港からジャカルタに移動した。

【5】ロンボク島の神様 - チェコ好きの日記

ジャカルタには現地時間の20時くらいに到着したのだけど、空港からタクシーでAirbnbで予約した宿に向かった。タクシーの中ではなぜか日本語教室的なラジオが流れたり、日本語の歌謡曲が流れたりしていて、一瞬日本に帰ってきたのかと疑ってしまった。だけどもちろんそんなことはなく、私と運転手さんの会話は英語だ。だけどお互いカタコトなので意思疎通が難しい。

灼熱のジャカルタと信用できない警官

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翌日、東南アジア最大のモスクであるというイスティクラル・モスクを見学する。モスクの見学ツアーはかなり丁寧で、ごく普通の一般観光客に過ぎない私に、係員のかわいい女の子がマンツーマンで施設について解説してくれた。しかも無料。至れり尽せりの宗教施設だ。彼女については、noteにちょっと詳しく書いている。

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モスクを見学した後は、その正面にあるジャカルタ大聖堂へ。私に施設の解説をマンツーマンでしてくれた女の子は、イスラム教のモスクから、キリスト教のカテドラルが見える。でも全然問題ないの。私たちは別に憎しみあってないし、互いを尊重しているから」といっていた。宗教がちがうからわかり合えないなんて嘘だ、と思った。

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ジャカルタ大聖堂を軽く見学した後は、国立博物館に向かう。かなり暑かったので、耐えかねて物売りのおばさんから水を買う。するとそこに、なぜか複数人の警官が現れて、「ここで商売するな!」みたいなことをいって、座っていたおばさんの腕を無理やり掴んで立たせ、どこかへ連れていこうとした。おばさんは「何なのよあんたたち!」みたいなことを言って抵抗している。取っ組み合いのようになってしまって、私は警官がおばさんを殴るんじゃないかと恐怖でその場で固まってしまった。

結局、おばさんがかなり強く抵抗したからか警官は諦め、何かを吐き捨てて立ち去った。おばさんは、抵抗して乱れた髪を直している。なんだあいつら、感じ悪いな……と思った私は、この街ではもし道に迷っても警官に道を尋ねるのはやめよう、と決めた。警官よりもそのへんにいるホームレスのおやじのほうが、ここでは信用できそうだ。

国立博物館を見学して、この日は終わり。なんか賑やかだなと思ったら、現地の小学生が社会見学をしていたみたいだ。制服がかわいい。

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オランダ領時代の風景が残るコタ地区

そして翌日は、ジャカルタがオランダ領時代だった頃の名残が強く残っているというコタ地区に行く。鉄道がよくわからなかったので、そんなに高くないしタクシーを使ってしまったのだけど、ジャカルタは道路交通事情がかなり悪い。一本通行しかできない道が多いのか、Googleマップを見ながら「あ、もうすぐだー」と思っていてもなかなか着かない。渋滞もひどいし、これはどうにか改善しないとやばいのではないか。みんなどうやって通勤しているんだ。この後にちょっとした好奇心からバイクタクシーに乗ってしまったんだけど、渋滞の中をガンガンすっ飛ばして走るバイクは、まじでここで命が終わってもおかしくないと思った。もう二度と乗らない。

コタ地区のファタヒラ広場というところには、カフェ・バタビアというお店がある。ジャカルタの中でもかなりの高級店の部類に入ると思うのだけど、コーヒー1杯が1200円くらいした。しかし雰囲気は抜群に良く、クラシックの映画に出てきそうな感じだった。

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というわけで、いつも長々と書いてしまう旅行記はこれで終わり。コタ地区を見学した次の日、私はジャカルタから羽田空港へ飛んだ。

インドネシアという国はとても不思議で、1000以上あるといわれている島から成り立っているし、民族も伝統も細かくいうとバラバラらしい。確かに、ジャカルタの人とバリの人では、宗教もちがうし雰囲気もちょっとちがう。そんな国が、なぜ「インドネシア」という国家としての統一感を保っているのかというと、これは「統一感を保って外部の圧力に抵抗するしかなかったから」というのが実際のところらしい。ようは『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)』みたいな話だ。そして、バリ島、ギリ・アイル、ロンボク島、ジャワ島(ジャカルタ)と、常に海を越えた移動をしていたせいか、「島」というものについて何だか深く考えてしまう旅だった。

海を越えると、人が変わり、植物が変わり、宗教が変わり、世界が変わる。だけど、それでも想像上の国家としては統一されている。国境というのは、人間が便宜的に引いた想像の産物でしかない、と思った。

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★おわり★